でっきぶらし(News Paper)

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279号(2024年09月)7ページ

飼育員になった日

 飼育員といえば小さいころから動物大好き、ずっと夢見ていて叶えました!みたいなイメージがあるのでしょうか?「お仕事は?」―「飼育員です。」のやり取りだとよくこういわれることが多いのですが、この仕事をやろうと思ったのは周りの人と比べるとなかなか遅いタイミングでした。いやいや、じゃあなんで飼育員になったのかって?聞かれることも多いのですが、いろいろあって話せば長くなるのです。今回は私がここで働くことになるまでをつらつら書いてみたいと思います。

10年以上前、動物園で働きたいと思っていた時期がありました(皆さん一度はそう思ったことはあるのでは?)。その時母がどうやったらなれるのか知り合いに聞き、とっっても狭き門で、なるのは大変だということを知って速攻であきらめていたのです。当時は他にもやりたいことがあったのでこの仕事に就くことはないだろうと思っていました。

時は流れて高校生の時、いよいよ今後のことを考えないといけない時期になりました。ずっと音楽をやっていたので音楽に関わる仕事ができたらいいのかなぁとかも思っていたのですが、なんだかその将来像がぱっとせず、さて私のやりたい仕事は一体何なのだろうとさまよっていました。転機は国立科学博物館に久しぶりに行ったときでした。前は化学や宇宙の分野によくいることが多かったのですが、その日は剝製がずらりと並んでいるところになぜか導かれるように入り、これだ!博物館で働きたい、生物を勉強しようとなったのです。ということで大学では(それまで物理を勉強していたのに)海洋生物を勉強できる大学に進学しました。

入学してみたらなんとびっくり、水族館でずっと働きたいと夢見てそれを叶えるべく真剣な眼差しで進学した人ばかりだったのです。こんなにも世の中に飼育の職に携わりたいと考えている人がいるなんて思っていませんでした。そんな愉快な仲間と共に4年間何とか学生生活を送り(半分くらいはコロナ渦でした)、そのなかで水族館や動物園も博物館の仲間であることを学び、水族館や動物園で働くということも視野に入ってきました。それでもやはりこの業界に入るのは昔聞いたようにとてつもなく大変でした。一緒に頑張ってきた仲間でも諦めてしまう人もいました。なんとかご縁あって日本平動物園でしばらくお世話になることになりました。

ずっと動物病院を担当してきましたが、最初のうちはてんやわんや、とにかく必死でした。あるときは軟便・便秘の症状ばかりで今日のウン勢とか言いながら毎日ウンチを観察しまくり、どうしたら皆が健康的なウンチを出せるのか考えたり、あるときは寄生虫が病院のトレンド入りして、やっと駆虫が終わったと思ったら別の動物で寄生虫が見つかってずーっと誰かしらに虫退治をしたりしていた時期もありました。昨年夏からはイベント「標本から見える動物の世界」や剝製などを活用した企画展を担当させてもらい、生き物のことを色々な視点から見ていただく機会をつくってみました。生き物たちにはまだわからないことがたくさんあり、世界中の研究者が今も地球上の生物についてさまざまなことを調べています。水族館や動物園でも調査研究をしており、また教育普及するのも役割の一つです。皆さんが生き物たちに会いに来てほっと憩いの場になり、また1つちょっとだけ生き物のことに詳しくなって帰ってもらえたら、この仕事について本当によかったなぁ!と思います。

ということでこんな人も働いているのです。ここまで何度もボキボキと心が折れてきましたが何とかなるものです。恩師の座右の銘は「奇跡は起きない。努力は必ず報われる」でした。まさにそうでした。今この業界に入りたいと思い全力で頑張っている方たちといつか一緒に働ける日を心から願っています。

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