でっきぶらし(News Paper)

一覧へ戻る

« 31号の4ページへ31号の6ページへ »

31号(1983年01月)5ページ

モンキー舎だより (その3)

(松下憲行)
◆ダイアナモンキーの出産と子の負傷◆
もうあきらめかけていたが、9月も半ばに近い11日になって、ダイアナモンキーが出産した。過去1年置き、5〜7月に出産していたのだが、今年はややお腹のふくらみが目立つだけで、7月を過ぎてもいっこうに出産する気配はなかった。
昨年1年間空いているし、かと言って産めなくなる程、老ける年でもあるまい。あれやこれやと思っている内に、ブラッザグェノンやニホンザルのことにすっかり気を取られてしまった。そんな訳だから、朝1番の獣医の発見には誰もが驚いた。その驚きから気落ち落胆するまでに、さほど時間は要しなかった。
かつては、子育てのできなかったこの母親も、今では2頭の子を自らの手で育てている。ベテランとはいかないまでも、もう立派な母親である。その母親の抱き方がどうもおかしい。ふつう子は母と向かい合い、胸にうずくまるようにして丸くなっている。それなのに、子の顔は母と向かい合わず、しかもだらりと力が抜けていてるように見える。どうもいやな感じがすると、よくよくながめれば子はもう死んでいた。
後は母性愛のなせる業、母親がしっかりと抱きしめて離すまいとしているだけである。まさか死んだ子を展示する訳にもいかず、何とか子を取らなくてはと、母親をおびき寄せシュートに閉じ込めた。死んだ子ですら奪われまいとする母親は、必死に抵抗。その興奮のあまり子に咬みつき、引き裂いてバラバラにしてしまった。その有様に改めて母性愛の執念と言うか、何かすさまじいものを見せつけられた思いがした。
2日も経って、ようやくもとの落ち着きが出て来たと思った矢先、今度は上の子がびっこ、右後足つって全く使えないでいる。どうも太ももの部分を咬まれたようで、やったとすれば父親。あいつしかいないだろう。とにかくモンキー舎1番の冗談の通じない父親で、かんしゃく持ちこの上なし。子相手にむきになって怒っているのは、しょっちゅう見かける。遊び盛りの子は、親のしっぽでもおもちゃにしてしまうし、遊びに夢中になると思わず親を唐?づけてしまう時がある。たいてい母親に限らずこれらは無礼講で、子供のやることとして許される。だが、ダイアナモンキーの父親にかかっては、これがまったく通じない。虫の居所が悪いものならその場で首根っこを押さえてギュウ。更にすごいと今回のような事になってしまう。ダイアナモンキーの子等は、えらい父親を持ってしまったものである。
傷は割と深かったが、何度か捕えて根気よく治療したのと、消炎剤が効いたのか、意外と早く完治した。使えなかった右足も徐々にながら使えるようになり、今では傷口の周囲に毛がないのが、気になる程度になった。まあ不幸中の幸いと言ったところだろう。
このダイアナモンキーの負傷事件以降は、平穏な日々が続いている。このまま何もないことを祈りたいが、オマキザルのメスの場合など、もう活気を失いはっきり言って今年の冬場は心配である。ニホンザルのメスも衰えを見せ、餌をたらふく食べさせていても、毛づやのなさに老齢を感じずにはいられない。
日本平動物園も開園してからたった13年余りだが、最初の老化の波が、このモンキー舎にも、静かに忍び寄っているように思える。開園当初からの生き残りは、わずかにオマキザル夫婦とダイアナモンキーの夫婦だけとなってしまい、一時に比べ出産の楽しみがなくなった。来年もブラッザグェノン、ダイアナモンキーの出産は望めても、ニホンザルはもう連れ合いすらもいないし、オマキザルだってもう如何にせん無理だろう。ニシクロシロコロブスに至っては、健康を維持するだけで大変である。メスを欲しいが、入手困難と今の飼育技術、環境ではとても買ってくれとは言えない。
こうなると少し淋しい気がしないではないが、元来陽気で騒々しい動物である。その時はその時でドラマを綴ってくれるものである。とにかくサルを飼育していて、良かれ悪かれ退屈することがない。平穏な中ででも明日にまた、何かを仕出かすかもしれない。

『追記』
現在モンキー舎を担当している訳ではなく、代番の身でありながら飼育日誌のまとめを書いているようで、せんえつな気がしないでもない。しかし、私にとってモンキー舎は、非常に関りが深く、担当、代番から完全に離れたのはわずか2年余り、ひとつひとつのサルに思い出が深かったので、あえて筆を取らせて頂いた。

« 31号の4ページへ31号の6ページへ »

一覧へ戻る

ページの先頭へ