137号(2000年09月)8ページ
〜病院だより〜 【動物園獣医のある日 〈 前 編 〉】
早いもので動物園に赴任して一年半を過ぎようとしています。朝7時30分頃出勤して、病院内に収容されている動物たちの様子を観察しながら、数頭の動物の部屋掃除、この頃から病院に電話が鳴り始める、そしてレントゲンの暖機運転をしながら今日の段取りを再確認する。午前8時50分治療道具を持ちアジアゾウの治療をしながら、その足で前日の飼育担当者の業務日誌を脳裏に浮かべながら園内の動物たちの見回りへ出掛ける。
オラウータンのベリーはどうかな。(残念ながら本文投稿後の11月3日に薬効のか甲斐なく亡くなりました。お疲れさま、もう苦い薬は飲まなくてもいいんだよやすらかに)ベリーは昨年の流産から体調を崩し、高熱が続いたかと思ったら、今度は低体温、そして食欲不振が長いこと続いたりしたが、担当者の手厚い思いやりが彼女を勇気づけだいぶ回復してきた、頭が下がる思いである。そして近頃では、血便、続いて粘液便が続く苦悩な日々ですが、当の本人はそんなことはお構いなし、気分 は最近ハイである。担当者と内緒話(仕事の話))としていると檻越しにスナップを利かせ絶妙なコントロールでおいしいニンジン、白菜などをドア越しに投げつけてくる。おいおいベリーさんそんなにもったいないことをしてはいけないぞ、と檻に近づくと今度は私の顔面めがけてペッとツバを飛ばす。まあいいか! 最近苦い薬を毎日頑張って飲んでいてくれるし、元気な証拠だなと流しながら奥のチンパンジィーの寝部屋を覗きに行くと、ちょっとした隙に口に含んだ水を今度も吹く掛けられる。まあいいか、今日も元気元気。
3月5日ローランドゴリラ.タイコの死、それから間もない4ヶ月後の7月16日ゴロンの突然の死。言葉には言い表せないほどのショックでした。こんな時”あーあ”時間を戻すことが出来たならどんなに、過ぎてしまった時間を悔やんだり、夢物語のように空想の次元を羨んだりも一時はしました。しかし我々は彼に出来る精一杯の事はしたんだ。直接体に触れ手厚い手当をすることが難しい、それが野生動物とペットの診療分野での大きな違いなのではないでしょうか。マスメディアで報じられる単純な医療ミスによる人の死。これらと比べる訳ではないけど、担当者の看護は献身的で最善のものだと確信しています。
一年を過ぎた頃から感じたことですが、動物園の獣医は動物に嫌われると先輩から云われていたけど、始めの頃は動物たちの怪我や、病気を治し、楽にして挙げているから2、3頭の動物に嫌われることがあってもと思っていましたが、最近朝夕の見回り時、私の姿を見るなり一斉に動物たちは警戒したような眼差しをするのです。
いつものように中型サル舎の前に来ると、ブラッザグェノンの父親は私を見るなり威嚇体制をとり妻子、子供を守ろうばかりの形相を示すのです。彼には以前嫁姑のトラブルで苦い体験を与えたからでしょう。良く覚えているナーと感心します。そんな時気取って声を掛けたりするものなら増々彼は興奮するので見て見ぬ振りをしながら通り過ぎることにしています。
次にアジアゾウの前に来ると以前はよく身構えたものでした。それというのも、朝夕じっと柵越しに観察しているといきなりドロ水が飛んでくるのです、その頃の私は、相手に対して「オイ!いいかげんにしろよ!」と罵声を発したものでした。すると次の日も同じことが降りかかってきたのです。そんな時担当者が見て見ぬ振りをしなくてはだめだよ「獣医さんは」と一言教えてくれました。お陰様でそれ以来掛けられることはありません。ゾウの賢さには敬服しました。やがてなだらかな坂を上がりきるとオオアリクイ舎があります。原始的が動物としか以前は目に映らなかった彼らに、最近とても愛着を感じています。それはなんと美しい流線型のスタイルだろう、そして毛並みと見事なコントラスト、一重瞼の愛らしい眼 うっとり〜。みなさん今度じっくり見てください。そして池を通りすぎると右手にホンシュウジカが現れる。今日はどうかなと視線を配ると同時に、草食獣が餌を食べている時、敵が来ると急に頭を持ち上げ一点を見つめたまま微動作せず、次の瞬間一斉に走り出すあのテレビ画面の光景そのものです。彼らには痛い注射をしたりしたから無理もないことですが、と諦めています。今度動物園で働く時は、飼育係がいいなー! しかし動物たちには嫌われるけど、やっぱり病気や怪我が治り、無事に退院することが出来たときの歓びは獣医としては勿論、自分をほんの少しだけ誉めてあげたいものです。
( 海野隆至 )