でっきぶらし(News Paper)

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84号(1991年11月)10ページ

動物病院だより

 月日がたつのは早いもとよく言いますが、年々早くなっていく気がしています。皆さん、お元気ですか。今年は暖冬ということで、暖かいことは暖かいですが、その分寒暖の差が激しいですから、くれぐれもかぜには気をつけて下さい。
 さて、獣医日記をめくり返してみますと、11月27日、アメリカバイソンの直子が、夜9時28分、無事出産しました。無事というのは、今までに、陣痛が弱くて、なかなか産まれず、何人がかりかでひっぱりだしたことがあるからです。そこで、予定日が近づくにつれ、担当の鈴木飼育課員とのあいさつは、「どう?直子にがんばるように言っておいて!!」と。毎日ゝ直子の前に立っては、「なんとか、一人で産んでちょうだい」と念じていました。
 そして、予定日の夕方、代番の佐野一成飼育課員より「陰部から粘液が多くでているし、餌の食べ方もゆっくりだから、今晩かもしれないよ。」との連絡をうけました。そこで、チンパンジーの夜間哺乳にきている小野田飼育課員に、夜、バイソンの様子を見てほしいと頼み、帰宅しました。
 9時を少しまわった頃、電話のベルがなりました。受話器を取ると、小野田飼育課員より「お産が始まっているよ」と連絡が入りました。関係者に自宅待機をお願いして、車に乗りこみました。(直子、頼むよ。そろそろ一人で産もうネ)などと思いながら車を走らせました。
 バイソン舎前に行くと、小野田飼育課員が見ていてくれ、「今、産まれたところだよ。9時28分に破水がきて、9時58分に産まれたから、あっという間だったよ」と言われました。やれやれ、助かった。関係者にその旨を連絡し、授乳を確認して帰りました。
 第一段階は突破したのですが、次は後産がなかなかでてくれません。二日待ってもすすまない為投薬し、それから二日後に無事排出しました。
 それで終わったと思いきや、一週間ぐらいたって陰部から白い膿みたいなものがでていると連絡を受け、のぞいてみるといやーな感じで陰部からでているではありませんか。
 またしても抗生物質を吹き矢で投与することになりました。最初は、何が何だかわからないのでスムースにいくのですが、そのうちに、この角度だとねらわれるとわかってきて、しっかり死角をつくるありさま。担当者と獣医にオリ越しにかまえられて、直子さんも必死に考えているようでした。それでもどうにか経過は良く、二週間ほどで膿はみられなくなりました。出産はうれしいことですが、いつの場合もどんなアクシデントがおこるかヒヤヒヤしています。
 冬になると当園の池にもカモ達が飛来してきます。池の周囲の外柵も擬木で新しく作りかえて整備されました。そして12月9日に当園でフ化したオシドリ24羽、カルガモ4羽、ツクシガモ3羽、池に放してさらににぎやかとなりました。一度、双眼鏡を持って、池を訪れてみませんか?友の会の皆さんは、先日探鳥会をやっていましたネ。鳥の名前を覚えましたか?
 池から少し下ったところにバーバリシープ舎があります。そこで12月13日1頭赤ちゃんが生まれました。いつもは2〜3月かけて出産がみられていたのですが、少々時期はずれのおめでたとなったわけです。以前のおかあさんは、子の肛門あたりを時々なめてやり、糞で汚れていないようによく世話をしてくれたのですが、代を重ねるにつれ、手ぬき(?)をするのか、生まれてしばらくすると、子のお尻は、糞がくっついて、尾が肛門をふたしている状態になってしまってることが、たびたび見られるようになりました。そこで、肛門のまわりに糞がこびりつかないように、お尻のまわりや尾の毛をハサミで短く刈ってしまうようにしました。そうするようになってからは糞づまりで衰弱してしまう子は、見られなくなっています。
 今回生まれた子は、さらに脚弱が見られ、前肢はO脚、後肢は蹄のちょっと上で曲げて歩いていました。歩き方もちょっと歩いてはすぐに座ってしまう状態でした。そこで、前肢は、包帯で矯正し、後肢は、そえ木をつけて固定することにしました。そえ木はあまり重いものですと、子に負担がかかってしまいます。そこで使うのが、アイスクリームのスプーン。よくお店で買うと紙の袋に入った木のヘラみたいなスプーンをアイスクリームといっしょにくれるでしょう。あのスプーンを工作して、そえ木に使っています。
 三週間たって、この固定をはずしてみると、他のバーバリシープと変わらぬ様子でピョンピョンとはねまわり、大成功とあいなりました。
 1991年は、ほんとうにつらい1年だったので1992年は、数?良いニュースを多くお伝えできるよう努めたいと思います。
(八木智子)

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