でっきぶらし(News Paper)

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106号(1995年07月)5ページ

子育て・裏方事情【全編】

 コンドルの人工育雛が続いています。他の鳥類ならとっくに手を煩わせずに済む時期ですが、コンドルの成長は思いの他ゆっくりです。担当者、代番者はそれを知りつつも、時にはため息をもらします。
 成長がゆっくりだと言うことは、それだけ思わぬアクシデントに見舞われる確率が高いということです。又、それが悩みを作り、気分をゆううつにもさせるのです。
 ふ化直後の足の爪の歪みはまだしも、暑さによる食欲不振、右の翼がたれて体のバランスを崩したのには、担当者、獣医を大いに慌てさせました。原因は、翼の成長に筋力の成長が伴わずにアンバランスが生じた為です。
 ですが、それらは小さいとまで言わなくても、それほど大きな悩みでもありません。私たちを究極的に悩ませるのは、彼女が自分が誰であるかの自覚を失ってしまうことです。人と付き合える?ようになっても、同類のコンドルと付き合えなくなってしまうことです。
【私は誰】
 “刷り込み”って聞いたことがあるでしょうか。鳥類の場合では、ふ化した後に眼が見えるようになって初めて見たものを親と思い込む習性がありますが、それを“刷り込み”って言うのです。
 作為をほどこさない限り、人工育雛の場合では、真先に見るのはヒトです。「ああこのヒトが私のお母さん、私を守ってくれるんだ」って思い込んでしまって何の不思議もありません。当然の成りゆきです。
 で、親と思い込んだそのヒトの一挙一動から、生きる術を学んでゆきます。自分の姿や形がどうであろうとそれが見える筈がありませんし、よしんば鏡で自分を見たところで、自分の姿が映っていると理解する能力は持ち合わせてはおりません。
 「醜いアヒルの子」と言うアンデルセンの有名な童話がありますが、もし現実にアヒルがハクチョウの子を育てたとしたらどうなるでしょう。やはり周囲のアヒルの子に醜い、といじめられてしまうでしょうか。
 私には、そうは思えません。むしろ、逆の現象が起きてしまうと思います。アヒルに比してハクチョウは二倍以上の大きさです。゛ちびっこ"をいじめまくるような気がします。餌だって独占的に食べてしまうでしょう。
 そして、将来一人前になってハクチョウと結高キる、これもあり得ない話です。先にも述べたように初端にアヒルを見てしまっているのです。ましてやアヒルと一緒に育ってしまっては、自らがハクチョウと自覚できる道理がありません。
 ハクチョウにはハクチョウのコミュニケーションの方法があります。それらは生まれついてのものではありません。成長過程の中で身につけてゆくものなのです。
 アヒルの中で育ったハクチョウには、その術が身についている道理はありません。夢を壊して恐縮ですが、ハクチョウは生涯“アヒル”でしかあり得ないのです。
【交尾は?育児は?】
 仲間のところに戻せるなら戻すべきです。それもできるだけ早くにです。それがリハビリ、本来性を取り戻すきっかけにもなります。
 フンボルトペンギンのロッキー(数年前に死亡)の場合ではそれが効を奏して、交尾につまづき、抱卵しては失敗を繰り返しながらも、なんとか一人前のペンギンになってゆきました。
 苦労するのは、むしろサル達です。生い立ち、初端に我々が関与することでのダメージは計り知れないものがあります。
 母親の肌の暖かさを求めながらも、代わりに与えられるのはせいぜいタオルのふんわりした暖かさです。どう間違ったって心臓の鼓動は聞こえません。仲間の声も聞こえません。
 物心がつけば、指をチュッチュッ吸いながらも人懐っこくなってきます。可愛らしくはありますが、最も様々を学ばなければならない時期に接する相手がヒトのみでは…最近では、チンパンジー、オランウータン、シシオザルなどがそうして大きくなりましたが、正にその大きな問題を内抱しながら育っていたのです。
 そう、将来同種とうまく付き合えるのか、なんとか付き合えたとして、交尾能力が、メスなら育児能力が、どうであるのかの問題を抱えてです。ヒトが関与してしまうことの悩み、ゆううつの最大のキーポイントです。
【一頭で育つか、二頭で育つか】
 要は育ち方、育て方、最近ではだんだんそう考えるようになっています。人工哺育で育った場合でも交尾能力を発揮し、育児に参加しているケースを見れば、苦労もしてみるものだとの気にもなってきます。
 言葉をかえて、少々クールになっての観点で言うなら、成功と失敗の狭間はなんなのか、何が決定的な違いを招いたかです。キーパーとしてぜひ捕らえておきたい要点です。
 かれこれ五〜六年前になるでしょうか。甲府の遊亀動物園でピグミーマーモセットが生まれ、なおかつオスがしっかり育児に参加しているとの報に、一瞬我が耳を疑いました。
 そのピグミーマーモセットのオスは私達が育てた、つまり人工哺育で育てた個体です。何がいったい効を奏したと思いながら、ひとつピンとくるものがありました。
 たいていは一頭で人工哺育しますが、ピグミーマーモセットの場合は違いました。二頭で育てられたのです。物心がつく前から、ヒト以外で触れ合う、遊び相手がいたのです。
 交尾と育児は学習、とよく言われ私もそう言ってきましたが、どうもこの表現は的がはずれているような気がします。むしろ乳幼児期の育ち方に大きな問題がある、と言っておいたほうがよいように思えます。
 ピグミーマーモセットに限らず、人工哺育で育ちながら交尾、育児能力を有している個体を見ていると、必ず向かい合って遊べる相手がいます。同じ種でなくてもです。
 つい最近の話ですが、「お宅からきたシシオザルは交尾姿勢をとっていますよ」との話を聞き、驚くと共にピンとくるものがありました。そう、人工哺育ながらダイアナモンキーと一緒に育っていたのです。
 白浜のアドベンチャーワールドへもらわれていったチンパンジーのジーコ、人工哺育故にもらい手を逸したオラウータンのジュリー、私はこの二頭にも密かな興味を抱いています。お互いに向かい合い遊びながら育っている、それがきっかけで交尾能力を有しているのではないか、とです。
【人工哺育後の試行錯誤】
 人工哺育(育雛)は、避けられるなら極力さけるべきでしょう。今まで語っている悩み、切なさは、ヒトが母親替わりになってしまっているが故に生じているのですから。ですが、無意味だからしたくない、すべきではないとの考えには同意しかねます。
 人工哺育で育てられ後に群れに戻そうとして失敗したケースでも、行動を観察していれば、その記録自体が貴重な財産になるし、今後の判断材料にもなります。
 例えば、古い話で恐縮ですが、かってダイアナモンキーの子をそのようなケースで親の元へ戻そうとした試みがあげられるでしょう。
 母親とはなんとか同居が可能、いよいよ父親と同居を試みたところで失敗、同居を断念せざるを得ませんでした。が、当時はまだ若かった私にとって、サルを考える上で、貴重な体験でした。
 サルは、社会性の強い動物です。序列の厳しい動物です。ルール違反には、厳しい制裁が待ち受けています。
 人工哺育で育ったが故にルールをしらず、それが原因でオスに制裁を受けて同居を断念せざるを得なかったのですが、殺そうと思えば殺せたであろうに、咬んだ箇所は腕、脚、尻尾とあまりダメージの残らないところばかりでした。失敗した嘆きより、妙に感心してしまったのを今でも覚えています。
 ただ、当時のボスは非常に気性の激しい個体、キーパーがどんな理由があったにせよ仲間に手出しをすれば、翌日になっても激しい形相でキーパーに向かってきた個体でした。もう少し性格の穏やかな個体だったら、うまくいっていたかもしれません。
 当園では、このような試みは一度きりですが、他園ではそう珍しいケースではありません。が、同居後を聞いておりません。交尾、飼育能力がどうなったか気になりますが、それは望みは薄いと言わざるを得ません。
【リハビリ】
 自覚を失ったサルを立ち直らせる方法、術はないものでしょうか。成獣になってしまえば絶望ですが、幼い内になら何らかの方法があってしかるべきです。
これも少々古い話で恐縮ですが、他園の方とそんな悩みを語り合って、大変感服したことがあります。思い出せる限りを語ってみましょう。
 一般の家庭で飼われていたブタオザルの幼獣を保護したものの、サルとしての自覚はなく、とても仲間と一緒にできる状態ではなかったそうです。
 毛づくろい(グルーミングとも言い、サルのあいさつ行動のひとつで、互いの緊張をほぐすのに大事な意味を持つ)さえ知らず、まずそれをどう教えようかの思案から。ふと、自分の毛深い腕の毛を利用するのを思いついたそうです。
 それで毛づくろいの術を見い出させたとして、次は交尾です。教えるたって、どうやって教えていいのか、ちょっと思いつくものではありません。
子猫を使ったそうです。子猫と接しさせていわゆるマウントするように仕向けたのです。その話を聞いた時、更に遠い昔の出来事を思い出しました。
 昔、当園にもサンペイと言うブタオザルがいたのですが、彼に何かの時にヒヨコを持たせると、暖かい柔らかい感触に何かを思わさせたのでしょう。ヒヨコに対してマウント姿勢をとりました。
 その根気のいるリハビリを続けて、仲間との同居が可能になった、かつ交尾もしたと言うのですから立派な成功例です。これは私が見聞きした中で、最も感銘を受けた話です。

 動物の内面を語るのはむずかしいものです。食性や習性を語るのと違って資料も情報も乏しく、かつ自らの勝手な思い込みで語ってしまう恐れもあります。
それでも語ってみたくなったのは、かっての園長であり今の理事長でもある方に、何の折りか人工哺育の後の大変さの話になって、「お前達の力でなんとかならないのか」と問われてです。決して答えにはなっていないでしょうが、苦しい胸の内の一端は語れているでしょう。
(松下憲行)

 

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