171号(2006年08月)7ページ
V字カルガモ
今年から動物園内の病院で働き始め、2ヶ月近くが過ぎた5月の事です。
新しい仕事にも慣れず、常に時間に追われていた私はその時も慌しく昼食を摂っている最中でした。病院の電話が鳴り、カルガモが動物園の裏の側溝に入り込んで出られなくなっていると連絡が入ったのです。
電話を受けた獣医さんと共にタモを持ち直ちに現場に急行すると、1羽の大きなカルガモがけたたましく鳴いていて、近くの側溝の中には片手に納まる程小さな雛が10羽、元気よく走っていました。その可愛らしさに思わず笑みが漏れましたが、獣医さんや駆け付けた先輩飼育員の方は必死で救助作戦を練っていたので、新米の私も神妙な顔をするようにしていました。
お母さんカルガモは、子供が気になってあまり遠くに行こうとしません。子供たちの鳴き声に反応して何か喋るように鳴き続けていますが、捕まえようとしても上手く逃げます。仕方がないので、先輩飼育員が側溝の中に入り子供達を先に助け出しました。
用意しておいた籠に子供達を入れて母親を園内に誘導すると、距離を保ちながらもお母さんカルガモは私達を追ってきます。お母さんも人間がたくさんいて怖いはずなのに、離れようとはせず追いかけてきます。こちらも隙あらば捕まえようと必死でしたがお母さんも諦めません。
なんとか園内の一角に誘い込み、出入り口以外を密閉した小部屋の奥に雛の籠を置きました。人の姿が見えてはお母さんも近づいて来ないかと思い、みんなで物陰に潜んでいると、お母さんは辺りを見回しながらすぐに小屋の中に入っていきました。
すかさず出口を閉めて無事カルガモ親子を捕まえたのですが、この時すでに園内に住むカラス達はカルガモ親子に気づき狙っているようでした。動物園内の池に放したら、カラスに襲われてしまうかもしれないと獣医さんたちはその事が気がかりで話し合いをしていましたが、あんなに必死で子供を守った母親なのだからきっとカラスからも守っていくだろう、と園内の池に放す決断を下しました。
私は心配で、時間を作っては池に様子を見に行きました。その日は姿が見えなかったものの、何日か足を運んでいるうち遂に、母親を先頭にV字に泳ぐ親子の姿を見つけました。その時は感動してしばらくその場を離れる事ができませんでした。
新人の私には体験する全てが勉強、覚えたい事がたくさんありすぎて休む暇がありません。そんな中、唯一足を止めて物思いにふけるのがこの親子のいる池です。カラスは勿論、怪我をしたりはぐれたり、私たちの見えない所でも様々なドラマがある事でしょう。それでもたくましく子育てをした母親と、母親の愛情を一身に受けて日に日に大きく成長する子供達の姿は、私に様々な想像を膨らませる楽しみを与えてくれます。
(小川 史乃)