でっきぶらし(News Paper)

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176号(2007年06月)6ページ

子トラの成長を振り返って

前号のでっきぶらしの病院だよりで野村獣医が概略を書いてくれました。重複するところもあると思ますが読んでください。

昨年の5月中旬に出産予定だったアムールトラのナナは、寝室に慣れるように部屋での生活をするようにしました。数日前から乳頭もかなり大きくなりつつあり胎動も確認できました。動物の出産は満潮の時間にあることが多いと言う話から、清水港の満潮時刻を新聞で毎日確認しながら出勤しました。

出産日の5月23日は満潮が午後2時20分でした。この日は朝から鳴いたり、陰部をなめる行動が見られ、もしかしたらと注意をしながら満潮ちょっと前、1時30分にそっと部屋をのぞきに行くと、1頭が生まれているのを確認できました。その後3時45分までには2頭が生まれ合計3頭が誕生しました。ナナは子供をくわえて授乳しやすいように並べて面倒を見ていました。

その後、毎日子供のトラの確認をしていると、どうも1頭の子はナナの背中の方にいることが多く、動きも他の2頭より少なく授乳している様子が見られませんでした。生後5日目に、獣医に立ち会ってもらいその子の様子を見るためにナナを通路に出し部屋に入りました。子を触ると2頭は丸々していましたが、その子のお腹はへこんで体温も低く冷たい状態でした。丸々した2頭には、私たちの臭いを消すためにナナのおしっこの付いたわらでふき元に戻しました。

取り上げた子は暖めるため私の作業着の腹の中に入れて動物病院まで連れていき、体温を測りましたが体温計では計ることが出来ないくらい体温が下がっていました。そこでドライヤーの強風で暖めながら、皮下にブドウ糖などを注射しながら体力の回復を待ちました。2時間ほどしたら少し動くようになったので、哺乳すると15?tを飲ませることができました。

体重を計ったところ1,08?sと少し小さめの個体でしたので、保育器にいれて人工保育を始めました。最初は1日5回(6時・10時・14時・17時・21時)の哺乳でした。哺乳前にはお尻を手でこすり刺激して、排尿、排便を促してさせます。

母親は舌で舐めて排尿、排便させ、出たものは食べてしまいます。子トラの哺乳は順調にいきましたが、首が右側に曲がり右回りの旋回をする行動や、左目から目やにが出たり、吸うことは吸うが空気ばかり吸い込みミルクはそれほど入らないのにお腹は膨らんでしまうといった状態が続きました。

そんな状態のため、どうもミルクを肺の中に吸い込んでしまったようで肺炎を起こして熱が出て、ぐったりした状態が続き、注射を打ったり酸素吸入をしながら少しずつ哺乳をして体力を戻していきました。
 
この頃より、空気を余分に吸わないように口の横を押さえながら哺乳すると一気に飲むようになりました。生後60日目には体重が4,5?sになり、母親についている2頭は倍の8?sになっていました。病院の中を歩かせていましたが、この頃より園内を散歩するようにしました。

散歩中、何かに驚くと突然パニックになり左旋回をする時もありましたが、哺乳回数は1日4回にして哺乳量を増やしていきました。この頃になると排尿は自力でしましたが、まだ排便は刺激を与えないとしませんでした。

母親が育てている2頭は生後55日目頃より母親の餌を舐めたりかじったりしていたので、70日目から缶詰のミンチ肉をミルクに混ぜ与え始め、その後は肉を細かく切ったものを皿に入れてミルクと混ぜて与えるとよく食べるようになりました。3ヶ月を過ぎる頃より、餌の時は皿を触ろうものなら威嚇をしてくる状態になってきました。

母親に付いている2頭には、公募でカイとケンという名前がつきました。部屋から放飼場に出す訓練をし始めましたが、慣れない運動場では母親とカイが通路に入った直後にケンがプールに落下したこともありました。すぐに通路のカウンター(扉)を閉めケンを引き上げに入りましたが、ケンは私に威嚇することより驚きの方が大きくてされるがままにしていました。

その後も、ケンはあの深い堀にも落下しましたが、下に張った落下防止用のネットがクッションになり怪我もなく、堀の中を歩いていたので後ろから追い階段を上らせることが出来ました。それからケンは堀側には数ヶ月は来なくなりました。

トラ子と呼んでいた人工保育中の子は、依然けいれんを起こしたり、首が左側に傾いたり、右目が白内障になったりして、治療のために点眼や投薬する日々は続きました。

私の考えとしては、何とかこの子を母親のところに戻し、兄弟と一緒に4頭での生活ができ人工のトラからに本当のトラになってほしいなという願いがあり、それに向けての準備をしていました。朝には園内を散歩させ体力づくりをしました。

10月中旬より午後の時間お客様に見ていただくようにフラミンゴ前で一般公開をおこない、お客様に喜んでもらいファンも沢山できました。この時の体重は24?sにもなって力も強くなり、11月中旬で一般公開は終了しました。この時、名前の公募をしてトラ子からメイと命名しました。
 
12月4日にはいよいよトラ舎に移動することになりました。一般公開の時にいつも乗って行った特注のリヤカーに乗りトラ舎に行きました。

まず、最初はトラ舎の部屋に慣れることから始めました。部屋の両隣りにはトシの部屋と母親のナナと兄弟カイ・ケンの2頭がいる部屋があります。隣室から普段見える柵にはベニヤを張り、まず仲間がいることをベニヤ越しに感じることから始めました。

しかし、不安そうでウロウロし私が行くと金網越しに体をすりよせ鼻を鳴らす行動が見られました。1週間ほど通路との出入り行いましたが怖がってスムーズにはなかなかいかなく、これがこの後も続くことになりました。
 
今度は、放飼場に慣れさせる訓練もさせなければいけませんがなかなか通路から放飼場に出ないので、最初は引きずり出したりしたものです。放飼場に出ても恐がり、隅にある竹の裏側よりなかなか出てこない状態でした。

それでも部屋の方が安心するのかスムーズに入舎するようになりました。次に、母親の部屋側のベニヤをとり外し柵越しの見合いを始めました。柵越しでは母親に鼻をならす挨拶や体をすりよせることもできました。この時期は、朝は7時から雄のトシを放飼場に出し、10時に入舎させメイを放飼場に出しましたが、通路から出なく餌で釣ったり外で呼んだりしてかなりの時間をかけ出していました。

また奥にある台に上ることができても下りられなくなり、何時間も台の上をウロウロしているので、人手で下ろしたこともありました。このため、上り口に石の階段を付けることによりスムーズに上り下りが出来るようになりました。

放飼場に出始めて10日ほどすると堀の近くまで来るようになり、堀の手前の木の枝を咬んだりして遊んでいると思っていたら、その直後に堀に落下してしまったこともありました。ケンと同じく落下防止のネットに引っかかりネットの上を歩いていたので、すぐに堀に下りて行き背中をつかみ放飼場に引きずり上げました。少し鼻の先を擦りむいた程度で大事には至らず、部屋に入れてすぐに餌を食べ始めました。
 
このように、メイを2時間ほど外に出した後に午後1時30分に入舎させ、今度はナナとカイ・ケンを出し1日3交代で放飼場の出し入れをしていました。これに慣れてきたので、今度は兄弟との同居を試みることにしました。まず母親についている2頭の様子を見て、どちらの個体から同居を始めようかと観察していると、餌の時などはケンの方が強い感じを受けたので、まずカイとの同居から始めることにしました。

同居を始めるにあたっては、トラブルのあったときの分け方を話し合いました。獣医は麻酔を用意しもしもの時は麻酔をかける、他にはシュート扉を開け閉めする人、ホースで水をかける人、どうしてもの場合には部屋の中に盾を持って突入する人、などの打ち合わせ後にメイの部屋にカイを入れました。

メイはカイの方に行き威嚇をしましたが、カイは鼻を鳴らし挨拶をしていました。しかしメイは耳を下げ怖がっており、不安で威嚇を続けましたので最初の見合いは10分ほどで中止しました。その次の日より毎日行うことにより、だんだんとメイも威嚇する状態も少なくなっていきました。
しかし、メイは柵越しでは挨拶ができるのに一緒の部屋に入ると挨拶がなかなかできませんでした。
 
その後、部屋の中に一緒にいることができても少し離れた場所で横になる状態が続き、時々メイが居眠りをしている時にカイがちょっかいをだしてメイの体に触ると、メイはびっくりして威嚇することもありました。

メイの横をカイが歩くとメイも手を出し、カイの体に触ることも出来るようになってきました。しかし、まだまだ心を開く様子はなかなかなく、12月30日にはとうとうカイが手を出しメイの額に少し傷をつけてしまいました。

それでも毎日少しずつ見合い時間を長くしていきました。今年に入り、額の傷が化膿してきたので治療をかねて麻酔をかけ、いろいろな検査を行うことにしました。まだ一緒に入ることができるメイを抱いて麻酔を打ってもらい、麻酔の効いている間に傷口の治療と血液検査、身体計測、レントゲン撮影などをおこないました。

検査の結果によりまだ体の状態が完全に健康でなかったので、他の薬を追加することにもなりました。レントゲン撮影の結果では、最初の頃に見つかった気管が太い症状が依然と同じであることも分かりました。

その後はカイと半日部屋の中で同居を試み、問題がなくなってきたので、いよいよ夜も一緒に入れて見ることにしました。夜間見ていないときにはトラブルがないかと少し心配でしたが、何とか問題なく同居ができるようになりました。

次は昼間の放飼場での同居です。カイが近づくと威嚇する動作はみられましたが、それでも時々鼻を鳴らし近づくことができ、メイがネコパンチをしてもカイは何もしませんでした。そんな兄弟が遊ぶような違和感がない状態にまでなることが出来ました。また母親がカイ・ケンに尾を振りそれにじゃれさせていた行動を、カイがメイにおこなっている姿はほほえましく見えました。

次の段階として、2月中旬より今度はケンとの同居を部屋の中で始めました。最初はメイがケンにネコパンチを出しても、ケンは鼻を鳴らしてなんにもしないよというようにしていました。しかし、ケンがメイに触ろうとすると威嚇して応戦してしまう状態でした。それでも最初のカイとの同居の慣れもあって、かなり接近度は増していました。夜はカイと、昼はケンと同居したので、入れ替えも激しく出し入れも大変でした。

2月下旬よりメイ・カイ・ケンの3頭の放飼場での同居を試みました。カイ・ケンがじゃれようとするのですが、メイは以前と同じく自分からはちょっかいを出すことはできるのに2頭に触られると威嚇する行動は変わりませんでした。また、カイがメイの首のところを遊び感覚で咬んでいることもあり、カイ・ケンが離れるとメイは威嚇しまくりました。

この頃よりメイはカイよりもケンとの仲が良くなり、ケンもメイの面倒を見ているのか、メイがケンの顔を舐めたりする行動が多く見られました。その後はメイとケンが一緒にいる光景が多くなりだし、カイは1頭でいることが多くなりました。

3月に入り母親のナナとメイの同居を始めることにしました。やはり最初はメイがナナにネコパンチで威嚇をして唸っていましたが、ナナは鼻を鳴らして挨拶行動をしていました。その後の同居でもナナはパンチされても鼻を鳴らし、時々何もしないよとお腹を出して寝ころぶ様子も見られ、メイはナナが横になっていると前足に触ったり臭いを嗅いだりしていました。

今度は放飼場での同居です。部屋の中よりも進歩があったのは、メイからナナに鼻を鳴らし挨拶をして近寄っていったことでした。

このように段階を踏み、3月20日より親子4頭で放飼場での同居が出来ました。放飼場ではカイがメイの上に乗るとケンも後ろの方に回りじゃれる様子も時々見られ、メイは慌てて威嚇して大きな鳴き声を上げている時もありました。

また、4頭でいてもナナとカイ・ケンの3頭がじゃれる様子は見られましたが、メイは1頭でいることが多く4頭一緒の親子の仲むつまじい姿とまではいきませんでした。しかし、親子の中に入れるとは始めの頃は思っていませんでしたので、うれしい気持ちで一杯でした。

カイが母親の生まれた福岡市動物園に行くことが決まり、ケンも山口県の徳山動物園に引き取られることが決まりました。メイの行き先はなかなか決まらずいましたが、ようやくアムールトラの国内種別調整園の神戸市王子動物園からお嫁入り先が決まったと連絡があった2日後の出来事でした。

私はその日はお休みでした。4時過ぎに携帯電話に「メイがカイに咬まれてしまった」と連絡があり、すぐに動物園に向かいました。途中「大丈夫かな」と思いながら行きましたが、残念でしたがメイは息絶えていました。
 
最初の状況は見ていないのでどのようになったかは不明ですが、3時過ぎまでは三々五々で休んでいたようです。私の想像ですが、入舎近くなると部屋の入り口付近に彼らはいることが多くなりので、その時にトラブルが起きたのではないかと思われます。

あまり挨拶のできなかったメイは咬まれても参ったという降参ができず、カイの方は獲物を襲う精神的状態になったと思われます。放飼場でいつも遊ぶときにケンも後ろの方に乗りかかっているのをよく見たので、同じ感覚でやっていたのではないかと思われます。

引き離すのにホースで水をかけると、ケンはすぐに離れましたがカイはなかなか離れようとせず執拗に獲物を襲うような目つきになっていたようです。母親のナナは見ているだけで、シュート扉を開けるとケンとすぐに部屋の中に入ったようでした。

メイは心臓停止状態になり、現場で蘇生を試みたそうですがだめでした。私が動物園に行ったときには、メイは動物病院の診療台で少し体に暖かみはありましたが息もなく横たわっていました。体を撫でながら「安らかに休んでくれ」と心の中でつぶやくことしかできませんでした。

最初に、私としてはメイにはいろいろなことを学んで本当のトラになってほしかった想いがあり、そこまで学習をさせてやれなかったことが残念でなりません。母親に育てられたトラと人間にある程度育てられたトラの違いが今回のトラブルの原因になったかとも思われますが、自然の状態に戻すことの大変さをしみじみ感じました。
この教訓を忘れずに今後の動物の飼育に活かせればと思います。

その後、ケンは3月29日に山口県の徳山動物園に無事に行くことができました。この時の体重は80,5?sにも成長していました。ケンがいなくなってからは母親とカイとの生活が続き、カイはナナに甘えていました。しかし成長が進み、だんだんナナも子離れをさせる為なのかカイが近づくと威嚇をして逃げ回るようになりました。

福岡市動物園の受け入れも準備が整い、4月23日の朝カイは福岡に向けて出発しました。まずは羽田空港に向かい飛行機で福岡空港まで行き、4時過ぎには動物園に到着しました。途中はとてもおとなしく移動は簡単でしたと動物業者さんよりお褒めをいただきました。この時のカイは85?sにも成長していました。

静岡で公募したカイ・ケンの名前は、両動物園でもそのまま使っていただいています。また、ケンの行った徳山動物園によくいらっしゃる来園者の方たちから、5月13日の母の日にちなんでナナにメッセージが届きました。色紙には来園者に書いてもらったメッセージが記載されていました。このようにカイは徳山動物園で人気者になっているようでうれしい限りです。私は動物飼育冥利につきません。
(佐野 一成)

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