176号(2007年06月)9ページ
ホッキョクグマのピンキー 「思い出をありがとう」
楽しいGWの最中、今年は皆さんに悲しいお知らせをしなければなりませんでした。
5月4日にホッキョクグマのメス、ピンキーが亡くなったのです。日本一長生きだった推定35歳、人間に換算すると100歳以上のおばあちゃんでした。
彼女の訃報は新聞やニュースでご存じの方も多いと思います。多くの皆さんにお悔やみの言葉や花束をいただき、本当にありがとうございました。
ピンキーの元気な頃の話は、語っても語り尽くせません(動物園のホームページにもエピソードが載っていますのでご覧下さい)。ここでは、私たちが共に過ごした彼女の最期の話をしたいと思います。
ピンキーの闘病生活は、3月11日に始まりました。
食欲がなくなり、精彩がなく、吐いたり下痢をしたり・・・寝ていることが多く、声をかけても調子の悪そうな表情でこちらをちらっと見るだけでした。
「ピンキーを死なせたくない」私達の想いはひとつでした。固形物が食べられないので栄養補給に流動食をあげ、できる投薬は全部しました。4日後、大好きな煮イモを1本食べ出してから少しずつ食欲が戻り、28日には展示場に出てプールに入れる位まで回復しました。「元気になって良かった!」
しかし、喜びもつかの間、4月13日から再び状態が悪くなりました。「13日の金曜日・・・」。23日の休園日、調子がよさそうなので外の空気を吸わせたいと展示場に出してみましたが、そこで座り込んで立てなくなってしまい、ネットをかけて皆で部屋に運びました。
猛獣であるホッキョクグマと同じ部屋に入るなんて、とても考えられないことです。ピンキーは「フーッ、フーッ」と威嚇の声をあげて上半身を起こすことができても、立てません。
それから、寝たきり生活が始まりました。最初は食欲があり通常の餌を食べていましたが、だんだんと食欲がなくなり、5月3日には頼みの流動食も少ししか飲まず、大好きだった煮イモ1切れ、牛レバー4切、煮ニンジン1/2本を口元に持っていって食べたのが、最期の食事になったのです。
4日の朝、亡くなったピンキーを解剖するため、シマウマ模様の作業トラックに彼女を乗せてまだ開園前の園内を病院に向かいました。この時の職員皆の寂しそうな表情を私は忘れられません。
今、ホッキョクグマの放飼場の前に立つと、主のいなくなった空間がその存在感の大きさを感じさせてなりません。
日本平動物園に来て32年10ヶ月、たくさんの人に親しまれ、愛されてきたピンキー。今頃は天国で長年連れ添ったオスのジャックと再会して、元気に暮らしていることでしょう。これからも日本平動物園を空から見守ってほしいと思います。
さよなら、そして、ありがとう、ピンキー。
(野村 愛)