でっきぶらし(News Paper)

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182号(2008年06月)1ページ

ホッキョクグマは・いずこに

<前編>
私が次世代に継なぐためのホッキョクグマを本格的に導入しようと考え始めたのは、2002年1月にオスのジャックが亡くなり、生前大変仲の良かったメスのピンキーもジャンクが亡くなってから、しばらく元気がなく食欲も減退し、そのためか幾分痩せて毛艶も薄れてきました。

そんな姿を毎日眺めていた頃、ふと若いお婿さんが来ればピンキーも多少若返ることが出来るかな?・・・。いや、もう30歳という高齢だし、今更そんな冒険をさせても可哀そうかな。残りの余生をのんびり過ごさせてあげる方が彼女にとって一番幸せだろう。

『野生下のホッキョクグマの平均寿命は25年位と言われています』
そんなことを考えながらも月日は経ち、もしもピンキーまでもが亡くなってしまうと動物園からホッキョクグマが消えてしまう、楽しみに来園する子供たちにも寂しい思いをさせてしまう。これはまずい‼

そろそろ新たな個体を探さなくてはと考え始めたのは、その年(平成14年)の暮のことでした。しかしこれより前の1998年頃から日本各地の動物園や動物専門業者へ新たなホッキョクグマの導入のお願いはしていたが、いずれも無しのつぶてでした。

転機は意外なところから始まりました。2002年(平成14年)日韓FIFAワールドカップサッカー開催に伴い、ロシアの代表チームが旧清水市にキャンプ地を構えたことで、ロシアとの文化交流が進み、世界三大美術館の一つエルミタージュ美術館や本市の芹沢美術館、ロシア国立図書館などを交えた文化美術交流が一段と飛躍する中、モスクワ動物園へ導入の協力依頼をしたところ、世界中の動物園から同様な申し込みがあり、7番目ぐらいに組み入れる協力はしますと回答を得ました。7番目ということは、隔年で順調に繁殖しても14年後の話になってしまう。

暗中模索していく中、今度は在日ロシア大使館の支援協力を得ることができ、エルミタージュ美術館の近くにあるサンクトペテルブルグ市のレニングラード動物園を紹介され、早速協力依頼をすることにしました。レニングラード市は旧ロシア国家の首都で大変古い歴史と由緒ある建築物が多い都市です。

市長の親書を送るだけではモスクワと同様な回答しか得ないだろう、そんな声が上層部から持ち上がり、「それなら直接親書を持って交渉してこい‼」この一声で私達は急きょ一路ヘルシンキ経由にてレニングラードへ赴きました。

空港の雰囲気は一種特有で、入管検査担当官は美しい女性、あまりの美貌に見とれていると、担当官はほほ笑むこともなく冷静で鋭い視線、つい目をそらしたくなるほどでした。後からその理由を知ると納得しました。

渡航時は1月下旬、外気温はマイナス15度、「寒い」呼吸が苦しいような気さえ感じました。レニングラード動物園の園長室では和やかな交渉が続き、テーブルの上は溢れんばかりの、もてなしの巨大なケーキ、飲物、軽食などが置かれ、通訳者が「出されたものは全て頂くのがこちらの作法です」

それを聞くや否やゲップが出るほどでした。通訳者にも「これはあなたのノルマです」と巨大なショートケーキを差し出すと、「私は通訳で忙しいので貴方がたで頂いて下さい」の一言。交渉は二日間に亘り続き、「売買はしません。その代り私のチャンネルに幾つかの個体があり、その内の2頭を日本平動物園に送るための仲介をしましょう」

交渉は予想外の展開でしたが、仮の合意書を結ぶ成果を得ることができました。レニングラード動物園でも2頭のペア個体が飼育されていましたが、600kg以上はあろうかという程の巨漢、そしてビロードのような細やかで真っ白な毛並、動物園人にとっては、いつまでも眺めていても飽きないほどの逸品でした。

帰路は意気揚々で凱旋できました。しかし、これから大きな壁が目の前に立ちはだかるとは想像もしていませんでした。<後編に続く>
(海野 隆至)

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