でっきぶらし(News Paper)

一覧へ戻る

« 116号の3ページへ116号の5ページへ »

116号(1997年03月)4ページ

飼育員として、そして親になり考えた事

 突然ですが、皆さん。
 動物園で悪戯をした事がありますか?
 ない。そうですか。
 まあ、かなりの割合の方々はそう答えることでしょう。自分はそんな事したことないよ、と。
 では、動物にお菓子等の餌をやった事がありますか?
 な・・・い?ある人は、あるでしょう?
 いうまでもないことですが、これも悪戯です。
 悪戯なんてそんな大げさな・・なんてことは言わないで下さい。立派な、しかし立派じゃない悪戯です。
 もちろん、私たち飼育員も判るんです。餌をやりたくなっちゃうお客さんの気持ちは。
 もの凄くわかります。 
 悪意がない事も知っています。
 でも、これを読んでいる人の中で餌を動物にあげた覚えのある方。
 その後のこと、考えた事がありますか?
 へっ?その後?後って?
 そうです。
 お菓子を食べた動物の、その後です。
 考えた事、ないでしょう?
 
 全部そうなる、とは言いません。しかし、時としてそうした、餌ではない餌をもらった動物たちの中には、お腹を壊したり、病気になったりするものも出てきます。
 だいたい、人間の食べ物は塩分や糖分が多く、場合によっては動物にとって刺激物にしかならない調味料はどかどか入っています。
 そんな物を食べさせられたらどうなるか・・
 ・・極端な話、赤ちゃんに激辛カレーを食べさせたり、消化器系が弱っている御老人に沢庵やスルメをあげたり、糖尿病でカロリー制限をしている人に砂糖をどっさり与えたりするのと同じ結果を招く場合もあるのです。
 そんな事、知らなかったから・・そう言う人がいるかもしれません。可愛かったから、餌をあげたくなっちゃった・・・唯それだけだよ、と言う人もいるでしょう。
 けれども、唯それだけじゃ済まなくなる事もあるので、『動物に餌をあたえないでください』と看板が立っている訳であり、その看板の表示を無視してお菓子をあげたりする行為を悪戯と呼ばないで、何と呼んだらいいか、逆に教えて欲しいくらいです。
  
 しかし、すでにお話した通り、こうした行為ははっきり言って悪い事ですが、気持ちは判ります。見当違いのものであっても、一種の善意すらあるかもしれません。
 が、本題はここからです。
 こうした、いわばソフトな悪戯以外に、ハードな、悪意がこもっているとしか思えないことをする人たちが存在します。
 よくあるのが、投石。石を動物たちに投げつける行為で、ほとんどの場合、小は小指を爪くらい、大はクルミ大の石を投げるのですが、動機はまあだいたい同じでしょう。
 動かないで寝ている動物、自分の声や拍手やその他のリアクションに反応しない動物、その反対によく動き回っていたり、よく反応する動物。そうした相手に過剰にちょっかいを出したくなってしまう・・・。多くはそんなところだと思います。
 つまり、自分勝手な性格の人の短絡的な行動で、絶対にやめてもらいたい事ですが、実はこんなのは序の口で、中には石は石でも拳大の石を投げたり、吐き出したガム、更にひどい奴(あえて奴と呼びますが)は釘や火のついたままの煙草を投げ込んだり、わざわざ空気銃を隠し持って来て動物を撃つ阿呆までいて、開いた口がふさがりません。
 その他には、雨上がりに差していた傘をたたんで、尖った先をオリ等に突っ込んで動物を刺そうとする連中までおり、しかもそれを笑いながらやっている事すらあるのです。
 言いたくありませんが、こんな連中は“入場者”かもしれませんが、“観客”とは呼びたくありません。
 こんな残酷でねちっこくって変質的なことを平然と、あまつさえ笑顔でできる人たち・・・そんな連中を“観客”と呼んでしまったら、それ以外の大多数の人たち・・・本当に動物園を楽しんでいる人たちが気の毒です。
 しかも、えてしてこうした、程度が悪いにも程がある行為をする連中は、こちらが怒って注意をすると、この行為そのものを恥じるのではなく、唯、悪戯を見つかってしまった運の悪さ?でバツが悪そうにするか、反対に開き直ってふざけたりする事が多いのも事実で、私たちに食ってかかる人さえいます。
 非常識というより、精神的に何か変なんじゃないか?と首をひねりたくなります。
 
 しかし、けれども、でも、こんなたわけ者ばかりが動物園に来る訳じゃありません。
  
 人間は、見かけで判断してはいけませんね。
 事実、外見上、いわゆるお嬢様風の、普通に見える若い女の子が、にやっと笑いながら馬鹿でっかい石を眠っているライオンに投げる事はあっても、その反面、見るからにこの人は危ない筋の人ではないか・・と思いたくなる男性が、実に柔らかな優しい眼差しで動物に話しかけている場面に出会ったりする事もあります。「おいおい元気か?」とか・・・。
 カッチリした服装をした、固そうな印象を与える人が、超激辛チップスのような油っこくてひどい味の代物をおもしろがって動物に与えている時、茶髪の兄ちゃん姉ちゃんが、「おい、腹壊すようなもん動物にやるなよ、なあっ!」とか言ってたしなめている光景にも出会ったことがあります。
 捨てたもんじゃ、ありませんよね。
 見かけがどうであれ、“地”が出る場面でしっかり、きっちり、優しい人が、本当にいい人だと私は個人的にそう思っています。
 そして、動物園ほど、そうした人間の“地”が現われやすい場所はないと、私は個人的に感じています。
 特に、ここだけではありませんが、私が仕事をしている日本平動物園には、「人間のオリ」があります。
 ほとんどユーモアの結晶と呼んでもいい施設ですが、この施設の前に書かれている言葉を、私は毎日と言っていいくらい読みます。
 それは、こんな文章です。
 ひと MAN HOMO SAPIENS 霊長目 ヒト科 分布 全世界
 平和を好み、たがいに協力しあって集団生活をする。
 反面、他の種族を絶滅に追いやり、地球上の生き物すべてを消し去る力を持っている危険な動物でもあります。
 
 私にも、小さな、幼い娘がいます。
 彼女には、できるだけ、人間社会で生きていく上で必要な“術”はそっと教えていくつもりですが、たった一つだけ私個人的に強く、でしゃばって伝えたいことがあります。
 この仕事を選んだ親として・・
「娘よ、好きな人ができたら、お父さんが働いている動物園に一緒に遊びに来なさい」と。
 誰か・・・大切な人のことをよく知りたくなった時、一緒に動物園に来れば、その人の本質が垣間見えるかもしれません。
 多分・・・動物園に来れば誰でも持っている素顔に戻る瞬間があるのでしょうから。
 現在、飼育員として・・・それよりも、一人の親として、私は、私の子供に、静かに笑いかけながら、伝えたくて仕方がありません。
 『大切な人と、動物園においで・・・』
 
動物園は、本当はそんな場所なのです。
(長谷川裕)

« 116号の3ページへ116号の5ページへ »

一覧へ戻る

ページの先頭へ