でっきぶらし(News Paper)

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45号(1985年05月)8ページ

オランウータン・ケン 体温から何が見える?V 

(松下憲行)
 動物は、ふかふかして暖かい布団の中で寝るわけではない。置かれている場所もだいたいが厳しい。せいぜい雨、風が避けられればいいほうだ。それもたいてい四方四面がコンクリートで囲まれている。寒さに耐える力は強く、それでも健康でいるのだが・・・。
 類人猿は、そんな中では非常に恵まれている、と言えるだろう。温風暖房が入り、かつ床面にもヒーターが入っている。他の動物園に比べれば至り尽くせり。常識的には「低体温」の素地となるものはない筈。が・・・。
 まずオランウータンのケンの場合は、フロアヒーターが欠如。改造獣舎であったことが第一の要因。私自身、コンクリートによる冷え込みの恐さは、一応知っているつもりでいたから、近づいてくる冬に備えて、いつもケンが寝ている場所に分厚い板を張ってもらった。温風暖房が入って15度から20度もあるし、その分厚い板で一応底冷えは防げると考えたのだ。
 が、甘かった。真冬に向かうに従って、朝の体温はぐんぐん下がっていった。冬場に入るまでは、朝の8〜9時台では37度台を示していたのが、いつしか36度台が当たり前に。冬場は多少下がるものかと思索しているうち、とうとう36度台すら割るようになってしまった。
 これには慌てた。体温を上げる薬があるのなら与えもしたろう。しかしそんな薬などあろう筈がない。必要なことは、体熱を奪われないようにすること。獣医に相談、飼育課長共々話し合う中で、取り合えず部屋全体を厚い板で覆うしかあるまい、との結論に達した。
 掃除の大変さや夏場に向かった場合の「蒸れ」が心配になったが、とにもかくにも今必要なことは「低体温」のままにおかないことである。急いでその工事は実施された。
 効果は、予想以上に早く表れた。3日目より体温の下降はストップし、以後は好調時の37度台をずっと維持するように。春先に向かって体調も上向いて、「低体温」の恐怖にさらされることはなくなった。
 ここで、その時のケンの状態を述べてみよう。それが「ひとつの病変」なら、何らかの「異常」があった筈だからである。食欲は意外に変わらず、下痢したりすることもなかった。従って、体重も増加した。それらを唐ワえれば、消化器系に影響することはなかった、と言えよう。
 顕著に表れた異常は、「行動の鈍化」。同居していたクリコとの遊びが次第次第に乏しくなり、いつしか全く遊ばなくなった。放展しても遊具のタイヤの上にずでんと座り込み、動こうとはしなくなってしまった。日中がいくら暖かくても、表情は重苦しそうであった。そして、目つきは完全に“サバ目”。生き生きとした動作が全くなくなってしまった。
 行動が元に戻るまでには、体温が正常に戻ってからも、更にしばらくの日数を要した。「低体温」の期間が少し長引いたことによる影響か、風邪を引いてしまったのだ。その風邪が治って、ようやく活発に動き出し、クリコとの遊びも再び見られるようになった。
 「あれっ」と思う程低い体温を示したことは、日中でも2度ほどあった。書き初めに、類人猿舎には暖房が入り非常に恵まれていると述べたが、それは室内のことで、放飼場は関係ない。屋根を設け、両側にはベニヤ板であるがそれを張り、雨、風を避けられるようにしたが、後は他の獣舎となんら変わりはしない。
 その少しでも避けられるようにと思った雨や風、冬場は直接かかることはなくても恐い。想像以上に体熱を奪う。そんな日は出したくないのはやまやまだが、肝心のケンが承知しない。無視して仕事しようにも、出してくれと言わんばかりに、すさまじい悲鳴をあげるのだ。とても耐えられたものではなかった。「ええい、ままよ」と放展してしまったその結果、「低体温」を招いてしまうことに・・・。
 12月下旬の時は36度4分、この時はさほど強く受け止めなかったが、1月半ばの時には34度5分。これにはがく然とさせられた。雨や風を懸念していたが、こんなにもひどく体熱を奪うとは・・・。その日は声も出なくなる程のショックを受けた。
 以後、ケンがどんなに泣きわめき、食欲がどんなに落ちようとも、冬場における雨の日の放展はやめた。「低体温」と「ストレス」のどちらを取るかと言われれば、やはり「ストレス」。1日や2日、入室させっ放しにしても死ぬことはない。それに何だかんだと言っても、オランウータンはゴリラやチンパンジーに比べて神経は太い。ちょっとやそっとでノイローゼになったりはしない。
 陽気がよくなり、ケンが再び活発な行動力を取り戻すと、クリコだけでなく私とのプロレスごっこも日課となった。北海道・釧路市動物園へ放出するまでの日々を大事に過ごすために、悔いを残さない為に、言わばスキンシップとしてである。
 が、冬場にケンをひどいめに遭わせてしまったことは、決して脳裡から離れなかった。済まないという気持ちと、2度と繰り返してはならないとの気持ちが、絶えず交錯した。それは「体温の一定」とは何か、「異常」とは何か、に対する疑問の出発点でもあった。11月から3月における、フロアヒーターのないコンクリート、曇り空、雨、風に目を向け、体温との関連を考えるようになった。

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