でっきぶらし(News Paper)

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45号(1985年06月)7ページ

動物園の1年 後編 2月

キリンの人工哺育・コモンマーモセットの死他
 
 ほぼ予定日に産まれ、ほぼ予想通りの人工哺育。それがキリンの出産からその後の経過でした。母親のタカコが事故で死んで後、出産の話題を受け継いだのが、娘のトクコです。が、面倒見の悪さと言ったら、天下一品。最初の子にはいきなりハイキックを見舞い、2度目もあわや!?3度目、今回とてお腹から足が出てきた時、少しなめる仕草を示しただけで、いざ我が子を見ると威嚇。愛情のかけらも見られませんでした。
 18日に産まれたので、カズヤと名付けられたキリンの子。今も元気に放飼場を飛び回っています。でも、その眼はいつも飼育係のほうへ向けられています。「早くミルクをくれないかなあ」とでも言っているようです。
 いたずら盛りを迎えている今、悪のりしてふざけられると、けっこう痛い目に遭わせられるようで、担当者もその辺りには悲鳴を上げています。まだまだ赤ん坊と言っても2m近くあり、体重も恐らく100kg前後。そんなのに飛びかかって来られたら、たまったものではないでしょう。
 コモンマーモセットのノゾミ。生きる望みもはかなく、19日遂に逝きました。病院の保育器に入れられていて、息も絶え絶えの日が続いて―。これがあの「ノゾミ」。子供動物園の飼育係室を元気に飛び回っていたあいつなのか、と眼を疑いたくなる程でした。尻の骨を折ってから調子がよくないと聞いていたものの、こんなひどい状態になっていたとは・・・。
 ノゾミは日本で初めて人工哺育で育てられたコモンマーモセットです。もちろん、繁殖賞を受賞しました。わずかに23gしかなかったのを立派に育てあげたのですから、数ある繁殖賞の中でも、最も価値のある賞のひとつ、と言ってもいいでしょう。が、結局は2年足らずの生命で終わってしまいました。繁殖賞がちょっぴり色あせた、そんな感じがしないでもありません。
 オウサマペンギンが死んだ!これは寝耳に水でした。10月に1羽がアスペルギルス症で死んで、とうとう最後の1羽になっていたのです。最盛期には4羽もいたのに、時には有精卵も取れ、ふ化寸前までいったこともあったのに、と思っていた矢先の突然の出来事でした。
 23日、新しいペンギン池を見ることもなく、心臓マヒで急逝。日本平動物園のオウサマペンギンの飼育に幕を閉じました。

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