でっきぶらし(News Paper)

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32号(1983年03月)2ページ

繁殖賞を受賞した動物 (第2部)

動物園の正面をピンク色に染める色あざやかな3種類のフラミンゴ。これらは一時、どこの動物園でも飼いこなすのがせいぜいで、繁殖は夢の又夢と言う状況でした。そうは言いながら、飼育技術が曲がりなりにも進歩した今日、序々に繁殖し始め、昭和44年越前松島水族館においてチリーフラミンゴが繁殖し、その後も各地でフラミンゴの繁殖が見られるようになりました。
が、比較的どこの動物園でも飼育されていながら、未だに繁殖に至っていないのがコガタフラミンゴです。当園でもまだ産卵すらみられません。このようにどこの動物園でも割合多く飼育されていながら、意外に繁殖していない、あるいは繁殖が極めて少ない動物にはどんな種類があるにでしょう。本題に入る前に少し追ってみようと思います。
一番驚くのが、何と言ってもゾウです。アフリカゾウにしても、インドゾウにしても、生まれて元気に育っているという話が、全く聞けないのですから、不思議とした言いようがありません。せいぜい18年前に関西の宝塚動植物園でインドゾウの死産の例があっただけです。この他、当園でも飼育されて1年以上経過したオオアリクイ、これもまだ繁殖例がありません。概して、この仲間の貧歯類は、繁殖に導くのが困難なようです。
国内産の動物ではどうでしょう。ニホンカモシカは一時飼育することすら困難と言われましたが、現在はまずまず繁殖が見られるようになっています。受賞に関しては、日・動・水に加盟していない園館が先行したと言うことで、適用は除外されています。ムササビが繁殖したと言う話をまだ聞きません。これからの課題と言うべきか、ぜひとも繁殖に導きたい動物のひとつです。当園でも飼育していることは飼育しているのですが、長生きさせているだけで、ペアを組むことすらできないで今日に至っています。
他に、鳥類ではダチョウ。首の長い、飛ば(べ)ずに走るこの大きな鳥、人工繁殖に関しては、宮崎のフェニックス自然動物園、及び浜松動物園において、かなりの数の繁殖が見られました。が、気候の違いの為か、自然繁殖はまだ見られません。ツルの仲間では、つい最近まで、アネハヅル、ナベヅルの自然繁殖が見られませんでしたが、多摩動物公園において、ようやく繁殖し始めているようです。恐らく57年度の繁殖賞受賞の対象になるものと思われます。
繁殖賞一覧表のページをめくってゆくと、比較的ありふれていながら受賞が見当たらない動物は、まだまだいっぱいありそうです。しかし歴史の流れの中で、そんな動物が何故繁殖しなかったのだろうと、不思議に思える時が来るかもしれません。そう夢を大きく描き、そろそろ本題に入りましょう。

◆シロガオオマキザル (霊長目、オマキザル科)◆
自然:昭和51年2月3日生
それは、死産、流産の繰り返しにいささか諦め加減の中で、予想すらしなかった出産でした。当時のモンキー舎は、私が担当していて、その時の様子を今でもよく覚えています。
いつものように放飼場に出して寝部屋を見ると、床面に血が落ちて汚れています。これは何かあったと急いで放飼場に回ってよく見ると、あの弱々しいメスがしっかりと仔を抱いているのです。これには本当に驚きました。妊娠、それだけでたちまち体力を消耗して、入院させなければならない破目になったり、挙句に流産したしまったリ、何度それを繰り返したでしょう。初産の時だって、無事に産みはしたものの、結局ミルクが出なくて殺してしまっています。
そいつがしっかり仔を抱いている。しかもちゃんと生きている。最初は信じられず、その後は慌てました。人工哺育にすることも考えました。が、何よりも落ち着かせることが先決です。観客サービスからは問題があったもののシュート(寝部屋と放飼場の出入り口)を暗くして、開放、何かがあればそこへ逃げ込めるようにしておきました。
これぐらいのことが効を奏したとは思えませんが、母乳もよく出ているようで、仔は順調に成長してゆきました。くるくると巻いてぜんまいのようだった尾も、しっかりと握力を持ち、成長するに従ってオスの背に乗っかったり、その頃まだ元気に同居していたジェフロイクモザル夫婦の間を行き来して、可愛い盛りを迎えていました。
そんな風に静かに仔を見守っている時、獣医の方から「シロガオマキザルの繁殖例はないよ、6ヶ月経ってるから繁殖賞だな。」そんな話がありました。よくよく調べてみると、ペアで飼育している園は当園と日本モンキーセンターのわずか2園しかないのです。簡単に取れる訳です。賞としてはあまり価値のあるものと言えないかもしれません。でも、私には感慨深いものがあります。あんなに弱かったのが、無事に産み育ててくれたのですから・・・。
反面、もっと上手にやれば5〜6頭の仔が取れた、そんな悔いが今でも残っています。新世界ザルと言われるこのオマキザルの仲間は、相当に動物性タンパク質を与える必要があります。それに気付くのが遅かったのです。遅い分だけ体力の回復が遅れ、従って繁殖数もわずか2頭に留まりました。それが悔やまれてならないのです。もっともこんな話、決して言い訳にはなりませんが、意外にどこにでも今でも転がっている話です。このシロガオオマキザルの繁殖賞は私たち飼育係の反省を促す一面を持った繁殖賞と言えるかもしれません。

◆ミーアキャット (食肉目、ジャコウネコ科)◆
自然:昭和51年8月1日生
子供動物園の一角に小さな小さな猛獣、ミーアキャットが飼育されています。すばしっこく動き回り、と思ったら二本足でヒョイと立ち上がって周囲をキョロキョロ、その動作が何とも愛らしく、名前が売れてない割には人気があり、お客様の足を思わず止めてしまう動物です。
当園でミーアキャットが飼育され始めたのは、かれこれ10年ぐらい前になると思います。最初に購入したオス3、メス4の計7頭は、わずか1年余りの間に、仲間同士の闘争や病気で相次いで死亡、あえなく全滅させてしまいました。これに諦めず翌年新たにオス2、メス4の計6頭を購入、改めて飼育、繁殖への挑戦の始まりです。
2度目の挑戦では、まず見た感じ以上の気性の激しさに注意、特にトラブルを起こし易いメス同士の同居を避け、別々のケージに飼うようにしました。病気について前回ほど悩まされる事もなく、死亡はわずか1頭に留まりました。
こうなると繁殖は案外スムースに進むもので、翌年(50年8月3日)に早くも1回目の出産を見ることができました。が、ミーアキャットのような小さな動物にとって、生まれたことが即、万歳にはつながりません。体力のなさは、ちょっとしたアクシデントでそのまま死亡につながってしまいます。事実、この初回の出産、その後の2回の出産も、生まれた仔は全滅してしまいました。当時、他園における飼育はなく、6ヶ月以上の成長はそのまま繁殖賞の対象であったものの、そこにたどりつくまで、1年以上の日数を要したのです。でっきぶらし(2号)における繁殖ベストテンで3位にはいりながら、死亡率が非常に高かったことを思い出して頂けたでしょうか。
繁殖賞獲得後も、決して道は平たんではなく、4〜5頭生まれたからといって、全てまともに育つことはありませんでした。冬場は凍え、夏場は蒸れ、成長過程による餌の奪い合いによる栄養失調等、担当する者にとって、出産後は神経のすり減らす毎日でした。それでも担当する者にとって思いやる気持ちが、何とか分かって貰えたと言うのなら、少しは安らぎもしたでしょう。その返礼が、ひっかき、咬みつきに来るとあっては、担当者ならずとも「ちっともかわいくない」と、ぼやきたくなろうと言うものです。
こんな話も今は聞けなくなりました。増え過ぎて放出する時、いくらよく産むメスを間違えて出したからと言っても、他のメスが続けて産んでくれてもよさそうなものです。動物の世界は分からないことが多過ぎ、特に個体同士の相性については、何ともしようがありません。

◆パラグアイカイマン (ワニ目、アリゲータ科)◆
人工:昭和51年9月26日生
爬虫類唯一の繁殖賞獲得が、このパラグアイカイマンです。爬虫類が展示され始めたのが48年11月ですから、おおよそ3年後のできごとです。当時を思い出して、その時の様子を振り返ってみますと・・・。
担当者がいつものようにワニの部屋に入り池の中を見ると、タマゴが沈んでいて大急ぎで取り上げたのが、7月7日のことです。タマゴは全部で23個あり、この内の8個はすでに破損、残りの15個をポリバケツに水草を敷いて並べ、保温の効く部屋に置きました。
18日目頃よりタマゴの両端が灰色になって、序々に変化し始めるのが分かりました。39日目、タマゴの成長が順調かどうか調べる為に、かわいそうですが1個を割ってみました。発育は順調です。このままそっとしておけば75〜6日目にフ化が期待できそうです。
77日目になっても、まだかえりません。心配になった担当者は、2つのタマゴを試しに割ってみました。1個は完全に成長していて、スルスルと走り出し、もう1個のほうもほとんど成長しており、ヘソの緒のようなものを切ってやると、元気に走り出して、残りのタマゴもフ化寸前であることをうかがわせました。
80日目、待望のフ化です。午前11時12分に始まり、夕方の5時25分までに全部が無事にかえりました。
ほっとしている間はありません。これからが大変なのです。成長すれば全長2メートルぐらい、体重も50キロギラムになるだろうこのワニも、生まれた時22センチ弱、40数グラムしかないのです。まず彼らが食べてくれそうな餌探しにほん走です。メダカ、コブナ、オタマジャクシ、ドジョウ、ザリガニ、手に入り食べてくれそうなものは何でも与えました。食欲が上向くと更に、モロコ、モエビ、キンギョ等も与えました。その苦労のかいがあってか、どの仔も順調に成長、11月の下旬には馬肉も食べてくれるようになりました。
6ヶ月後、あんなに小さかった仔も、全長60センチメートル近くに、体重も10キログラムを越えるぐらいに成長しました。飼育係にとってここまで来てやっと“やったあ”と言う気分に浸れ、それまでの苦労の連続が、充実感に変わってきます。
爬虫類はまだ全般に繁殖例が少なく、このパラグアイカイマン以外で、ワニの繁殖賞獲得例は、わずかに4例しかありません。ひとつの道に到達したと言っても、ほんの小さな歩みに過ぎないのです。これからも、まだまだ険しい道は続きます。

◆アオエリヤケイ (キジ目、キジ科)◆
人工:昭和51年11月12日生
自然:昭和52年7月16日生
◆ミミキジ (キジ目、キジ科)◆
人工:昭和52年6月16日生
キジ類についても2種類が前記のように獲得しています。繁殖の経過については、でっきぶらし(11号)に掲載されていますので、ここでは少し視点を変えてみたいと思います。
キジ類は、全般に繁殖状況はどうなっているのでしょう。繁殖賞一覧表を見ますと、他の鳥類に比べ表彰例は多く、又愛玩用で飼われていての繁殖例も多い為、受賞除外の対象が多いのも目に付きます。
どこの動物園でも、キジ類の繁殖はありふれている、26種類もが自然ないし人工繁殖で受賞しているのですから、そんな風に言えなくもないようです。これからキジ類において、繁殖賞の対象があるとすれば、一般大衆のみか、私たち飼育係すら知らない、聞いたこともないようなキジ類が、飼育され繁殖した場合でしょう。

◆オグロワラビー (有袋目、カンガルー科)◆
自然:昭和51年12月3日生
(昭和52年3月10日袋より確認)
カンガルー全滅の後、しばらくの期間を経て飼育され始めたのが、オグロワラビーです。野生では湿地の低木林地帯を好むところから、別名沼地のワラビーとも言われているようですが、飼育そのものは、さほどむつかしくもなく、餌もよく食べ環境にも比較的簡単に慣れて、まずは順調な経過と言えました。
そんな調子で、のほほんとしていると、獣医より、「過去、上野動物園でカンガルー病が発生した経過がある。」の報告にびっくり。ここは元カンガルー舎、しかもそのカンガルー病で全滅しているのです。ワラビー類はその病気に強いと聞いて入れたのに、これでは大変です。放線菌は土壌にいつまでも残り、死滅することはありません。
毎月の初めに土壌を消毒して、極力放線菌を弱めるように努めました。当のオグロワラビーは、その度に何も分からずに狭い部屋に閉じ込められたのですから、さぞ迷惑だったことでしょう。
幸い発病することはなく、飼育も順調に進んで、来園時メスよりよりひと回り小さかったオスもメスを凌ぐ大きさになっていました。又その頃より盛んにメスを追い交尾も確認できたことから、袋の中に赤ちゃんが入っているのではないか、そんな期待が持てるようになりました。
担当者より袋がもそもそ動いている、そんな話があったのはそれから間もなくのことです。顔を出してくれるのはいつ、気ももどかしく待ち続けた数ヶ月後、まだほとんど毛も生えていない顔をちょこんと出し始めました。
担当者は単にその喜びに浸るだけでなく、自ら率先して観察チームを作り、仔の成長を数ヶ月に渡って追い続けました。その報告書は、貴重な記録、資料として今もきちんと保存されています。
その当時、オグロワラビーの飼育例はほとんどなく、繁殖賞としては、そう値打ちはないかもしれません。しかし、そのひたむきな熱意によって、資料作りに励んだ地道な努力は、大いに評価されてよいでしょう。

◆キンバト (ハト目、ハト科)◆
自然:昭和52年7月6日生
これもでっきぶらし(11号)で繁殖経過は、大まかながら説明しました。あまり省いてばかりいては愛想がなさ過ぎます。そこで少しは掘り下げて、今少し成長過程を追ってみようと思いましたが、紙面の都合でそうはいかなくなりました。いずれの機会にまた詳しく説明したいと思います。
当時、キンバトの飼育していたのは10園あり、ペア以上の飼育は7園でした。その中で繁殖に真先に導いたのが当園ですから、やはりよくやったと言えるでしょうか。もっとも繁殖はキンバトに限らず、個体の相性等、技術以前の問題が多いもので、天狗にならず、その後の飼育経過を、じっくり追うことが大切です。

以上、何とかかんとか“繁殖賞を受賞した動物”をまとめてみました。締めくくりに何か気の効いた文句でも書きたいのですが、ページがありません。まあ次号も何とか工夫して、できるだけ面白い話題を提供したいと思います。
(松下憲行)

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