でっきぶらし(News Paper)

一覧へ戻る

« 32号の2ページへ32号の4ページへ »

32号(1983年04月)3ページ

飼育の集い 〜素朴なプロの姿を見た〜

(松下憲行)
3月7日は私にとって、待ちに待った日であった。名古屋において飼育係の集いが開かれ、それも浅井力三氏を講師として招いてである。楽しみにせずにはいられなかった。
浅井力三氏について、たいていの方はご存知だと思うが、少し紹介しておこう。戦前より東山動物園に飼育係として勤務。その前半はゾウの調教で名をはせ、後半はゴリラの調教で一世を風靡した方である。昨年、17才の時よりの飼育係生活にピリオド。現在、東山動植物園協会の職員として勤務されている。
午後1時、全国から集まった飼育係の自己紹介から始まった。ユニークだったのは、ふつう席順に始めてゆくのを、指名制、自分が誰かに指名されると、自分もこの人と思う人を指名する。とまあこんなやり方である。どこぞこの動物園に務め、担当動物は何がし、氏名、勤務年数等々、そして最後に何かひと言、抱負かあればどうぞと言うように。自己紹介は、ほぼ1時間に及んだ。ただその中で気付いたのは、思いの他年配者が少なく、新人組がまあまあ、10年前後の中堅クラスがもっとも多かったことである。
いよいよ浅井力三氏の講演が始まった。私が氏の話を聞くのは3度目である。最初は、氏がまだ現役だった頃、表敬訪問した折りにゴリラ舎の片隅で30分ぐらいだったが、ゴリラの扱いについて説明してもらった。2度目は、当園へ講師として招かれた時である。が、この時もゆっくりと話を聞くことができなかった。オランウータンの人工哺育の最中で、途中で席を外さざるを得なかったからである。3度目と言っても、ゆっくり話を聞けるのは、今回が初めてである。
とつとつとゆっくり言葉をかみしめるように、話は始まっていた。上手な話し方とは言えないだろう。が、知らず知らずの内に、私は浅井氏の世界に吸い込まれていった。吸い込まれて聞いているのは私だけではなく、会場内は静まり、テープレコーダの流れる音さえ耳ざわりになるぐらいだった。
話は、この職業、飼育係になったいきさつから始まる。氏が最初から飼育係になるつもりはなかったと言われたのは、意外な驚きであった。時間が経つにつれて、次第に熱気を帯び、ゾウの飼育、調教のことに具体的にふれ出す頃より、氏の眼は一段と鋭く輝き出した。もっとも燃え上がった日々であっただろう。昨日の事のように語る鮮明なイメージに、ゾウの足音がのっしのっし聞こえてきそうな感じさえした。
ゾウは序列の動物。そのゾウにどうやって接していったか。タイより来ていた調教師、そのゾウの扱いかたから技術を盗もうとした苦労。兵役によるゾウとの別れ。戦後、共に生きのびて信じられぬ再会。しかし、ぎすぎすにやせ細っていた上に、ろくな食べ物もなく大変だったこと。そして同僚の事故死。限られたページ数では、書き表わせないぐらいに、悲喜こもごもの話は飽くことなく続いた。時間がなくなってきて、話題はゴリラの方へ移ったが、氏がゾウにまたがってゆう然と歩むイメージは、いつまでも私の頭の中を回転し、とうとう最後まで離れてくれなかった。
講演時間は、質問時間も含めて4時間に及んだが、あっと言う間と言うか、もっと聞きたい、聞き足りない感じで終わってしまった。私に限らず、望んで、ただひたすらに望んでこの職業、飼育係になった人は多い。だが、氏のいったい何分の1の情熱を持って、仕事に励んでいるだろう。はなはだ疑問である。動物と一緒にいると楽しかった。時間が経つのを忘れてしまうぐらいだったと、語ってくれた氏。そのひたむきな情熱こそ、もっとも忘れてはならないだろう。
時代が違うから、何もかも氏のようにはいかないと思う。ゴリラの調教については、批判を耳にすることも多い。調教したから繁殖しなかったと。だがあの当時、ゴリラを飼育していて、どこの園が繁殖に導いたと言うのだろう。今現在でさえ、わずかに3園5例しかない。健康を維持して飼育する。それで決して充分とは言えないまでも、一応それができればよしの時代ではなかったか。
ゴリラの心の中へ入れ。そう言われて、その中に深く入れる飼育係はいったい何人いるだろう。氏はそれをやってのけたのである。その技量、技術は大いに学ぶべきではないか。動物の心を捕らえるのは、口で言う程簡単なことではない。
夕方の懇親会の折り、東山動物園の飼育係の方の言葉も忘れることができない。「結局、タイの調教師と一緒に仕事をやっていて、ゾウの背中に乗る時、釘を持っていたのを見抜いたのは力さんしかいなかったからね。」「タイの調教師しかゾウを前進させられなかったのを、力さんは見事にやってのけたんだからね。」それと「力さん何も子供動物園でヤギの餌なんか売ってなくてもいいのに。」「他にもっといい働き口があったのに、それを断ってしまって、全く欲がないと言うのかねえ。」私はこの話を聞きながら、動物と共に過ごすことによって、燃え尽きようとする男の姿を見たと思った。そこにあるのは、出世欲もない名誉欲もない素朴なプロの飼育係の姿だった。ただそれが、ひたすら輝いて見えた。
追記
浅井力三氏のことについて、もっと知りたいと思う方は、いろいろの資料がありますので、編集員まで連絡して下さい。

« 32号の2ページへ32号の4ページへ »

一覧へ戻る

ページの先頭へ