でっきぶらし(News Paper)

一覧へ戻る

« 41号の13ページへ41号の15ページへ »

41号(1984年10月)14ページ

オランウータン・クリコ逝く?T

(松下憲行)
 その日は、意外にあっけなく訪れた。ジグザグの下降線を描きながら崩れていったオランウータン・クリコの体調の曲線は、最後のひと描き(そう予想していたと言うか、願っていたと言うか)をすることなく消えていった。15年余月、私を共に過ごした日々はすべて思い出の世界に・・・。
 来園時の強い印象の一つに、『なんだ、ばかに鼻をつまらせているオランウータンだなあ。まあ、イビキの何とでかいことよ!』そんなことがあった。気管の弱い個体、それはひとつの伏線であったのかもしれない。
 端を発したのは、昭和56年3月頃、類人猿全体が感冒に襲われたあたり。ゴリラから始まった風邪が、次第にチンパンジー、オランウータンに移行する中で、この時すでに別のあることを獣医に報告する必要があった。『クリコの最近の2度の嘔吐は、風邪のせいかもしれない。が、咳は全く別物で、風邪が蔓延する少し前より時々するようになっている。』と。食欲、その他、全く気になることがなかったので、ついつい放置していたのだが、それは次第に日常化するようになっていった。
 病状が多少なりとも進行している中で、子のケンを取り上げオスのテツとの同居は、今から思えばもうすこし考慮が必要だったかもしれない。しかし当時としては、次の子が欲しいという気持ちの方が遥かに先行していた。
 同居させてからも、鼻汁が増えだしオスがそれを舐めたりすすったりすることはあったが、ごく普通のオスとメスの生活が続き、せいぜい時折する咳が気になる程度であった。ひとつの暗転は、メスが妊娠したと思われる頃から。入室してからも餌を黙って見ているだけで、全く口をつけようとしなくなってしまった。 これには慌て、急遽別居させた。本来、“つわり”など起こしたことのない個体だったのに、変われば変わるもの。この時は、強肝剤を与えることによって、事なきを得た。その薬で食欲はなんとか回復し、著しい体重の減少は避けられた。
 出産そのものも、予想より2週間以上も早く訪れた。生まれた子も、かつてのユミ、ケンに比べかなり小さいように思えた。(3ヶ月後に計れた体重は、ユミやケンの同時期に比べ300g以上も少なかった。出産時の推定体重は、1200から1300g。未熟児の一歩手前であった。)
 前回同様、介添保育(育児を知らない母親に対して、飼育係が哺乳の手助けをすること)を続ける中で、病状はゆっくりながら確実に進行していった。餌はよく食べ、母乳もたっぷり出たのだが、咳の回数は増え、鼻汁、たんの量も増えていった。咳の後、しばらく苦しそうに“ぜいぜい、はあはあ”する様は、見るにしのび忍びなかった。
 さあここまでくれば本格的な治療を、と望もうにもひとつの大きな問題が立ち塞がった。哺乳中では、子に対する影響を考えると、抗生剤は与えられないと言うのだ。それゆえ、お茶を濁すような治療を続けるしかなかった。
 病身の中から生まれた子は弱いものだろうか。それとも母乳の中の何かが不足してしまうのだろうか。わずか3ヶ月足らずで子は風邪をひいてしまった。全く思いもよらぬことが次から次。風邪は割合軽く済み、それだけはせめてもの救いであった。
 そんな中で、クリコは次第に気の荒さを増していった。代番者に対して介添拒否を起こしたのだ。強烈な勢いでかみつきにかかってきたと言う。腫れあがった手を見せられて、ただ恐縮するばかり。次に、日は少し置いてだが、同じ類人猿の班だからと、顔つなぎに毎昼ヨーグルトを与えてくれる飼育係にも咬みつきにかかった。その時は、年令からくるもの、自我が強くなった為と思っていたが、これも今から考えると、病気によるストレスが相当にあったのかもしれない。
 子が生まれて1年経って、ほぼ離乳したことを唐ワえ、いよいよ本格的な治療を求めた。そこで吸入治療が始められることに。効果がはっきり表れたのは最初の1週間くらいで、その後はせいぜい回数が減っているぐらい。投薬も思わしい効果をあげなかった。
 この薬が駄目ならあの薬と、クリコは薬にたっぷり浸かった生活に。タンから肺炎を起こす菌が出たと言っては新たな抗生剤。その他、去痰剤、強肝剤、ビタミン剤等のもろもろの薬も。しかし、それらも効果らしい効果も乏しく、クリコの胃を荒らすばかりで、下痢をおこすこともしばしばだった。
 旺盛であった食欲も次第次第に衰え、呼吸器系の病気だから春になれば上向くだろうとの期待も空しく、暖かくなってもその気配は全くなかった。3年前より計っていた体温も、今年に入って異常な曲線を描き出した。ちょっとした天候、雨が降って少し冷えたなあと思うと下降し、照りつけて少し暑いなあと思うと微熱を出すようになった。雪崩のように音を立てて、体調の崩れる音が聞こえてきそうだった。
 衰えた食欲は極端な偏食をもたらし、遂には飼料班に泣きつく破目に。むすびから始まった特別メニューは、ビスケット、オレンジジュース、メロン、キュウイ、モモ、ブドウ、プラム、ナシ、トウモロコシ等に及んだ。しかしそれらの餌も、私の手を通じてでないとガクンと食べる量が落ちた。しかも休日明けに見るクリコは、奇妙に気力が萎えていた。原因は・・・?
(つづく)

« 41号の13ページへ41号の15ページへ »

一覧へ戻る

ページの先頭へ