でっきぶらし(News Paper)

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42号(1984年12月)8ページ

オランウータン・クリコ以後 

松下憲行
 クリコの死は、遠い将来でない覚悟はできていた。ただ、思ったより早く訪れた。私たちの心の準備がやや足りない状態のまま訪れた、と言ったほうがいいだろうか。そう言いながらも、“クリコがどうにかなったらこうしよう”とのプランは相当以前からでき上がっていた。
 素早く行動に移したので、残されたジュン(昭和五十七年五月三十一日生)が、ひとりぼっちで過ごしたのは、母親が死んだ当日のたった一日にしか過ぎなかった。翌日よりは、チンパンジーのリッキー(昭和五十八年二月八日生)と、いきなりの同居生活が始まったのだ。
 さぞかし面を喰らったのだろう。両者共に全く近寄ろうとはしなかった。それどころか、ジュンは激しい怒りの表情を示し、台を激しく叩いて威嚇さえした。かたやリッキーのほう、そんなジュンの脅しなど眼中にないようであった。いや、それに眼を向ける余裕などなかった。タオルにしがみついて、いきなり“変なところに”放り込まれた、そう言いたげで、不安におののき怯えていた。
 ジュンの怒り、リッキーのおののき、予想していたことであって、その表情はおかしくすらあった。寂しい者同志、二週間もすれば仲良くなるさ、同居させた側の共通の認識であった、と言っていいだろう。
 せいぜい気を使ったのは、嫌がっている間はそう無理に長い時間一緒にさせて置くこともあるまいと、比較的早い時間にリッキーを、その時の寝場所であった動物病院に帰したぐらいの事であった。ずいぶん乱暴、そう思われそうだが、計算ができていると言うか、共に幼い事もあり、彼らはこうなってゆくだろう、その課程が見えていた。
 寂しい者同志、馴れるのは早い。三日も過ぎれば、ジュンは脅かさなくなるどころか、ちょっかいを出すようになった。リッキーのほうは、環境が変わった怯えがまだ残っているようで、“母親代わりのタオル”にしがみつき、そこまでの余裕はないようであった。
 幼い者には、かたくなさがない。予想を上回るペースで仲良くなっていった。もっとも、最初はいじめの要素もだいぶあったようだ。九時半頃、リッキーが“母親代わりのタオル”と共に担当者に連れて来られるのだが、一緒にするとまずそのタオルが狙われた。それを奪うことから遊びが始まった。
 「ギャア、ギャア」リッキーが泣きわめいていると、たいていジュンがタオルを奪っていっておもちゃにしていた。このへんが人工哺育と自然保育の違いと言えば違い。一枚のタオルが、何よりもの救いとただの好奇心の対象となっているのだ。その為に、何枚ものタオルがボロボロにされてしまった。
 頃合いを見計らって、三週間も過ぎた頃だろうか。リッキーにタオルを与えないようにし、少々かわいそうでも突き離しに入った。不安がり「ギャー、ギャア」泣きわめいても無視し、ひと仕事終えた頃に目をやると、ふたりで無心に遊んでいた。その光景には、何とも心が救われた。しかも、それは毎日続くようになった。
 ジュンをかまう事だけが、私の仕事ではない。他の動物の面倒見なければならないし、同じ班員のひとりが休めば、その内の半分が私のほうに回ってくる。そんな中でジュンと付き合わねばならないのだから、自と時間は制約されてくる。
 まだ幼い動物の面倒を見て、何が辛いと問われれば、泣きわめかれる事。心理状態の浮き沈みも激しく、いくら抱っこしてやっても納得しない時がある。無理に突き離すが、これ程後味の悪いものはない。日中でも、彼らの前を通り顔が合うとふいに泣かれることがある。特に天気の悪い日は始末が悪い。
 それだけに、ジュンとリッキーの無心の遊びは、安堵の思いがひと潮だった。それぞれの心に余裕ができる。泣きわめかれても何もしてやれず、沈うつな気分に浸らずに済むし、彼ら自身も孤独から解放された事になる。
 オランウータンとチンパンジーの同居。考えようによっては、異種間でもあり乱暴な話である。が、何よりも寂しがらせない事を優先した。相手がどうであれ、社会性を身につけさせる事も考慮した。そのへんはオス同志であり、年令の多少の違いはあるものの、遊びが合ってよかったかもしれない。
 同居のさせ方も乱暴なようだったが、経験の上に立っての事である。かってのゴリラのトトとオランウータンのケンとの同居の過程を見ていて、大丈夫の確信を充分に得ていた。幼児の天真らんまんさが計算できていた。本当に子供同士は、すぐに仲良くなる。
 今は、チンパンジー・リッキーも私の担当となった。諸事情から、それが一番いいと考えられた為である。朝ふたりを連れて散歩。前にジュン、後ろにリッキー、双方合わせて二十四kgぐらいをおんぶに抱っこだから、決して楽ではない。が、ここで、三〜四十分触れ合っておけばまあ納得し、昼過ぎまではふたりで泣かずに過ごしてくれる。荒っぽく遊んだり、何もしないでぽつんとしている事もあるが、互いがいるので安心している。
 現在、これはこれで結構絵になっている。オランウータンが親子でいた頃とは違う雰囲気をかもし出し、お客様の人気を得ている。天真らんまんさが、いいのかもしれない。

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