でっきぶらし(News Paper)

一覧へ戻る

« 42号の5ページへ42号の7ページへ »

42号(1984年11月)6ページ

良母愚母 第1回 オランウータン(良母への夢もはかなく)

 “ぐうたらママワースト10”の中では、第6位にランクしたように思います。今は亡きクリコは、育児にはっきり欠陥を持った個体でした。特に抱くことすらしなかった初産の時は、心臓にずしんとくる程のショックを与えてくれました。
 母性は本能であっても、育児は学習。類人猿及び真猿類と飼育していると、いやと言う程思い知らされます。産まれはしたものの、母親がどうしていいのかわからない故に出る行為は、悲惨です。ただ単に放棄ならまだしも、舌べらを咬み切った、口にすっぽり頭をくわえ込んで窒息死させた、等々。これらは、他園でながら実際にあったことばかりです。
 だからこそ、クリコの育児放棄、抱くことすらしなかったことはショックでした。今後にとてつもない暗雲がたちこめました。出産時におけるクリコの一挙一動が、信用できなくなったのです。
 案ずるよりは、何とか。2度目では、抱くだけは抱いてくれました。3度目では更に落ちつき、介添保育(飼育係が授乳を手伝うこと)が可能になりました。愚母と言ってしまえばそれまでですが、それなりに子と共にある程度成長した、それがクリコでしょう。
 “それなりの成長”クリコは、4度目の出産において、その育児過程ではっきりとそれを示しました。担当者こと私が授乳させる時間が来て中に入ってゆくと、クリコはだらりと両手を下げるのです。そう、クリコは私に介添保育、授乳させ易い姿勢をとるのです。
 「はい、どうぞ!おっぱいを飲ませてあげて下さい。」というように。
 あきれ返りましたが、それがクリコの学習だったのです。常識的には1週間から1ヶ月ぐらいの間に、授乳を覚えこむと言われていますが、もともと育児能力の欠如していたクリコは、何処か受身で、私がやり易いようにすればいい、それを覚え込んでしまったようです。全く授乳しなかった訳ではないものの、1日の必要と思われる量(哺乳時間で推定して)を与えることはありませんでした。
 それでも、母は母。私は育児にこん身の力を振り絞りながら、クリコの足元にも及びませんでした。母とは、肌の暖かさと言っていいでしょう。1日中子を抱き続けるクリコに、勝てる訳がありません。授乳こそまともにしなかったものの、他はいい母でした。どんなに小さな危険からも守ろうとし、子が少しでも泣けばすぐにすっとんで行きました。
 そのクリコも、過去の存在となりました。母としては、今一歩でしたが、多くの人々に多くの思い出を作った、そんな功労のある動物ではなかったでしょうか。

« 42号の5ページへ42号の7ページへ »

一覧へ戻る

ページの先頭へ