でっきぶらし(News Paper)

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42号(1984年11月)8ページ

オランウータン・クリコ逝く?U 

(松下憲行)
 クリコの“要らぬ”という意思表示を聞いていては、病死する前に栄養障害でどうにかなるのは目に見えていた。状態は、そこまで進行していた。言葉が通じるわけではなく、かわいそうと思いながらも、慰めることはしないで、むしろ“カツ”を入れるように、飲むこと、食べることを強要した。
 調教のひとつに、“おあずけ”がある。私に言わせれば、一番教えやすい部類のひとつだ。逆の“食べろ”“飲め”のほうが、遥かにむつかしい。私は、これをクリコに来園してからの1〜2年の間に徹底して叩き込んだ。好き勝手に食べたり食べなかったりすることを、厳しく戒めた。それをクリコは覚えていた。いや、思い出さされたと言ったほうがいいだろう。
 その緊張感が原因であった、と思う。代番者の時にはぷつりとその緊張感が切れて、ストレートに症状が表れたのだ、と思う。動物は自分で頑張ろうとしない。薬ひとつだって、上手に騙しすかして与えるしかない。だから、かわいそう、哀れ、と思えば思う程厳しく臨んだ。それがクリコの為なのだと。
 が、それらは奥の手である。最後に使う切り札と言っていい。心を鬼にしての、そういった手段が通じなくなった時、それは最後を通告されたのに等しい。
 休日も返上して、そんな日々がどれくらい続いてからだろう。真夏の盛りに、とうとうその日はやって来た。どんなに励まそうと、叱ろうと、時にはぶん殴ろうと、いやなものはいやだと。と言うより、いよいよ体が食べ物を受け付けなくなってしまったようだった。
 1キロ、2キロ、3キロ、みるみる体重は減っていった。何とか70kg台に達した喜びも束の間、1ヶ月の間に5kg近くも減ってしまった。いよいよ覚悟せねばならない。そう腹をくくった。観念した私は、最後は静かに死なせてやりたく、獣医に『今までのような飲ませ方、食べさせ方はやめます。これ以上やるのは、虐待以外の何物でもありません。』と報告した。黙っていて言葉は返ってこなかった。
 投薬も全て中止せざるを得ず、食べてくれない餌を作る空しさ。重苦しく何をしても落ち着かなかった。そんな中で子のジュンのやんちゃぶりだけが救いだった。それは、一番苦しくあえいでいるクリコ自身もそうであったかもしれない。いや、母親それ以上のものがあったはずである。
 諦めが高じて、ふてくされの境地に入った頃、クリコの食欲が不思議に上向きだした。かつては大好物、ここ半年程見向きもしなくなったミルクも飲み出した。不思議といえば不思議。何はともあれ、ほっとし、重かった心も軽くなった。
 体重は再び増加することはなかったが、著しい減少は避けられ、現状維持が続いた。食欲も戻ったとは言いながら、食べ飲むのはミルク(生タマゴの黄味入り)、生イモ、スモモ、ナシ程度であったが、そう運動しない体では、それだけで充分に維持できるようであった。
 吸入治療を続けながら、これでこのクソ暑い夏は何とか乗り切れる、今度は冬場が勝負だ。獣医も私も、周囲の誰もがそう思った。悪いながらも、クリコは体調の安定を見せていたからだ。丸々1日の休日も久々に取れた。
 が、束の間の喜びにしか過ぎなかった。9月17日、月曜日の朝、クリコの部屋に嘔吐物が・・・。それを境にクリコの体調は急速に崩れていった。微熱を発し、かろうじて水と市販のジュースを飲むだけとなった。今度はいつ、どれくらいで上向いてくれる・・・。
 横バイ状態がずっと続いていただけに、まさかそのままあっさり逝ってしまうとは思いもしなかった。嘔吐してからわずか4日後のことで、あまりにもあっけなく、拍子抜けさえした。朝来てみれば、もう寝台の下で冷たくなっていたのだから。
 ただ、やるせなくたまらなかったのは、ジュンが何も知らずにその母親にしがみついて寝息をたてていたこと。無理矢理引き離そうとした時は、さすがに涙がこぼれそうになった。後は、私がしっかり面倒見てやればいいのだが、こんな形で母を失わせたことは、何とも不びんに思えてしようがなかった。
 夜中の突然の異変に、ジュンも相当に驚いたのだろう。クリコの体は、ジュンの糞で相当に汚れていた。その体をきれいにふいてやることが、私がクリコにしてやれる最後の仕事となった。すぐに解剖にとりかかるのだが、汚れたままでは忍びない。15年間面倒みてきたクリコに対してのせめてもの慈しみである。
 真っ赤に充血した気管、赤黒く変色した肺。いかに胸を病んでいたか、誰が見ても一目りょう然でわかるほどであった。肋骨の裏側にも変色した部分が・・・。
 何故死んだのか。私にはそれだけで充分であった。もうこれ以上語るのは、未練であり愚痴である。今は前を向いているし、ジュンをしっかり育てることで耐えられる。クリコのひとつひとつが、楽しく、懐かしく、哀しく、そしてやるせなく甦ってくるのは、まだまだ先のことだろう。

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