でっきぶらし(News Paper)

一覧へ戻る

« 44号の9ページへ44号の11ページへ »

44号(1985年03月)10ページ

チンパンジー・リッキー 体温から何が見える 

松下憲行
 哺乳類や鳥類は恒温動物で、爬虫類や両生類は変温動物。すなわち外気温の影響を受ける動物と受けない動物がいる。小学校の理科の時間に習い、たいていの方が御存知の言わば「常識」である。
 私も長い間、当たり前過ぎる程当たり前のこととして、さほど関心を持っていなかった。少なくとも「発熱」でもしない限り「検温」など考えもしなかった。ある出来事から非常に関心を持つようになったのだが、それはそれとして、ここでは体温から見える「何か」を語ってみよう。
 先月号の中で、オランウータンのジュン、チンパンジーのリッキー、それぞれが発熱して別居したことがあった、と語った。その時、ジュンは三十九度五分まで上がった。そうたいしたことのない発熱と言えば驚かれるだろうか。リッキーは以前にそれ以上、四十度五分まで上がったこともある。だが、それとてせいぜい「中熱」の部類なのだ。「えっ、何故」の疑問は置いて、まず日常の体温は…。
 ジュンにしろ、リッキーにしろ、抱くといつも暖かい。冬場など湯タンポを抱えているようである。それもその筈、私の体温と彼等との差が一度から二度もあるのだ。朝の九時台で三十七度六〜七分から三十八度、午後三時のピークに来ていると思われる頃では、三十八度一〜四分にも達している。それが皮膚を通して、生暖かい感触として伝わってくるのだ。
 ところで、自分の体温の正常範囲を知っておられる方がいるだろうか。私とて、時折検温した時に三十六度五分や三十七度を記録して、あいまいに自分の正常範囲を知っているに過ぎない。
 これは妻からの伝聞だが、保健所に何かの予防の為に生ワクチンを飲ませにいった時、ある乳幼児の体温が三十七度二〜三分を示して、その母親と保健婦さんとがしばしばやり合った、と言うのだ。ふだんからそれぐらいの体温は示して健康体であることを主張するのに対し、一般常識からやや微熱の域に入るとして保健婦さんは生ワクチンを飲ませるのをためらったらしい。
 日常の正確な資料を見せれば、保健婦さんも少しは納得したであろうが、こまめに日常の体温を記録する人などまずいまい。
 話は遠回りしてややくどくなったが、要するに体温は割合個人差があると言うこと。体温計に出ているのは一応の目安にしか過ぎないと言うことである。
 私なんかも健康において簡単に三十七度を記録するし、布団に入ったりするとほんの二、三分で温まったりもするから、一般の方よりも少し高いのでは、と思っている。
 先の話も、乳幼児と言うことを唐ワえ、かつ高いタイプと考えれば、正常範囲の域であろう。が、副作用を恐れ、一般論として微熱の域であるとした保健婦さんの判断も、又無理からぬ話である。
 リッキーにもこれと似たような話がまつわりついていた。「微熱」に強いと言うのである。本当だろうかと、担当する以前それは少し疑問に思っていた。最初風邪をひいた時は三十八度余りでもぐったりしていたのに、それが一度治ってからと言うものは、顔を赤らめグシュグシュしても、割合元気でいたからだ、と言うのだが…。
 ここでも資料が乏しかった。否定するにしろ、肯定するにしろ、説得力のある「何か」が欲しい。リッキーがジュンのよい遊び相手となると同時に、ジュン同様に取り合えず午後の体温から測り始めた。そして、私の担当になると同時に朝の体温も測り始めた。それが、先に述べた生暖かい感触である。
 検温を続ける中で、午後の体温は三十七度五分辺りを下回った時のほうが「異常」を感じさせ、むしろ三十八度を上回った時のほうが安心しほっとした。
 リッキーの体温の高さが、これで充分に納得して頂けるだろう。では、本当に「微熱」に強いのだろうか。自分の持つ資料と動物病院で飼育されていた時の資料とを比べてみた。
 生後七十五日目、最初に風邪をひいた時であるが、ぐったりして鼻をつまらせヒイヒイ言った割には「発熱」の域を示していない。後も同じようで、はっきりと「発熱」したもの以外を見ると、どうにも判断に困る数値がゴロゴロ…。
 ある程度調べてゆくと、確かに「微熱」に強いと思われる傾向はなくはなかった。生後三百十五日目から三百二十日にかけて「微熱」を発していたのだが、初端に少し食欲不振に陥り多少いつもより甘えたがっただけで、後半にはそんな中で“動きはよい”と言う記録が…。つい最近でも、三十八度七分とはっきり「微熱」の域を示しながら、食欲、行動に全く変化のないこともあった。それらを唐ワえると、一応動物病院の担当者の言い分は筋が通っていたようだ。
 が、資料を見比べて最も驚いたのは、動物病院での体温の記録には、全くリズムのないことだ。朝も昼も夕も、いずれもさほど変わりなく、健康時においての三十八度台の記録が全くと言っていい程ない。
 これはどう言うことなのか。またまた湧いてくる「何故」「どうして」の疑問。それは、次号で解明しよう。
(つづく)

« 44号の9ページへ44号の11ページへ »

一覧へ戻る

ページの先頭へ