でっきぶらし(News Paper)

一覧へ戻る

« 44号の4ページへ44号の6ページへ »

44号(1985年04月)5ページ

良母愚母 第五回【アキシスジカ(良母より育つは愚母ばかり)】

 世界には、ウマをしのごうとするぐらいの大きなシカ、ヘラジカのようなシカがいるかと思えば、キョンように柴犬をひと回り小さくしたぐらいのシカまで、実に様々なシカがいます。そんな中でアキシスジカの特窒ニ言えば、美しさにあります。一年中体の斑は消えることはなく、穏やかな表情はより一層の美しさを誘います。
 日本平動物園で飼育され始めたのは、かれこれ六年前。さほど肉も付かず、オスの角もお愛想程度のまだ若いペアでした。出産するにもちょっぴり早いと思われながら、そこは“ふたりだけ”の園。一年余り後に初産を迎えたかと思うと、その後も一年足らずのペースで次々。昨年の十月までに六頭も出産し、今では賑やかな家族になっています。
 この六頭もの子を産んだメス、良母ぶりと出産の素晴らしさをいかんなく披露してくれたことがあります。それは、昨年十月二十一日、日曜日のこと。朝から好天と陽気に恵まれ、お客様の入りがピークにさしかかった頃に陣痛が始まったのです。
 まず見えたものは後ろ足、逆子だ。“ヤバイ”と思ったのも束の間、子はあっさりと産まれ落ちました。不思議そうに赤ん坊を眺める若オス。母親はそんなことは全く眼中になく、羊水でぬれている赤ん坊をペロペロと舐め始めます。それは飽きることなく続けられました。
 そのぬれた体を舐め続けることが、良母の証明。母親が舐めてこそよく乾くのです。ワラでふいても、布でふいても、羊水でぬれた体は容易に乾きません。母親はそれを知ってか知らずか、ひたすら無心に舐め続けます。
 一時間近く経って、よろけながらも子は立ちあがろうとしました。心配そうにする母親は、そのそばを決して離れようとはしません。野生では、こんな時が一番危ないのです。肉食獣に見つかれば、立ち所に食べられてしまいます。だからこそ、子を守ろうとするのです。
 子がしっかりと立ち上がれば、次は授乳。が、初産ならともかく、五頭をも立派に育てている母親にそこまで心配する必要はありません。又その頃になると、周囲が山のようになってひしめいていた人だかりも自然と消えてゆきました。
 後から来られたお客様は、今母親に寄り添っている子が産まれたばかりとは、とても気付いておられないようでした。草食獣の赤ちゃんは産まれた時から一時間もすれば駈けはじめるのです。気付かれないのも無理ありません。
 残念なのは、彼女が産み育てた子が一人前になっても、先に述べたことを全くやろうとしないことです。つい最近も産まれたばかりの子がカラスに殺されてしまう惨劇があったばかり。現象面だけを見れば、「憎っくきカラスめ!!」です。が、実際にはそれ以前の“育児放棄”こそ問題でしょう。
 かって、膣脱を起こして死んだメス(長女)もまったく母性愛を示したことがなければ、今いる若メス(次女)も、どうやらその仲間入りです。死んだ子に愛情、舐めてかばった形跡が全くないのです。何故だかさっぱり分りません。それはキリン同様…。
母親の愛情を充分に受けて育ちながらどうしてなのでしょう。飼育下の異変と言えば異変。何が母性愛を失わせたのか。良母から産まれた“愚母群”は、私たちに困難な問題を投げかけてくれます。

« 44号の4ページへ44号の6ページへ »

一覧へ戻る

ページの先頭へ