でっきぶらし(News Paper)

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75号(1990年05月)3ページ

まだ、これからが大切なんです

                       (静岡市立大川中学校  教諭 岡野 文寿)

 六月十二日、雨の中をタヌキは無事に山に帰りました。

 五月七日の朝、学校に出勤すると、クラスの生徒が泣きながら「先生、タヌキを助けて!!」と訴えてきました。いきなりのことで、当然私は戸惑ってしまいましたが、話を聞けば、車にはねられて大ケガをしたタヌキがいるとのこと。そして今そのタヌキは学校の保健室に運んできてあると聞き、とりあえず様子を見にいきました。
 生徒が事故現場付近のお店からもらってきた段ボールの箱の中で、なるほどタヌキはほぼ虫の息の状態で、時々足をばたばたさせる以外はぐったりとしていました。かといって、放っておく訳にもいきません。一緒にその様子を見ていた教頭先生も「これは、何とかしてあげたいね。生徒の気持ちも大切にしたいし…」と、一言。そこで早速、羽鳥の動物病院に電話。日本平動物園のことをそこでうかがうことができ、時間割の入れ替えの手配をして、法定速度をしっかり守って(?)、かのタヌキを車で運んだ次第です。
 途中、タヌキは段ボールの箱の中で苦しみもがいていたのですが、そのうち急に静かになり、私は不安にかられました。
 「おい、大丈夫か。しっかりしろよ。生徒が心配してくれてるんだ。死ぬんじゃないぞ。」とタヌキに話しかけるのですが、勿論、タヌキがそれに答えるはずもなく、むしろ車外から私の様子を見ていた人は”いったい、段ボールの箱に向かって、何を一人でブツブツ言っているのだろう?”と思ったことでしょう。
 動物園に着いた頃にはタヌキはグッタリして、職員の方にもこれは危ないと言われたほどでした。
 学校に帰って、生徒に正直にそのことを伝えました。みんながっかりした様子で、数人の女の子が泣き出してしまいました。しかし、うそはつきたくなかったですし、このような出来事をしっかりと真正面から受け止めて考えてほしいこともあって、心を鬼にして事実を伝えたのです。
 翌日、タヌキの様態を電話で伺ったところ危篤状態とのこと。それを聞いて、私は勿論生徒たちも落胆してしまいました。
 それから二日後。自分では電話をかけるのが怖くなり、同僚の先生にお願いして動物園に電話してもらいました。すると、「点滴は打っているけど、檻の中を歩けるようになったんだって。」と思いもよらない話。後で聞いた話では、あのタヌキは生徒が拾ってきた前日の午後六時頃から車にはねられたまま放置されていたということですから、たいした生命力です。
 早速生徒に伝えると、教室は歓声の嵐。笑顔いっぱいで、嬉し泣きまでしている顔もちらほら…。学級がスタートしてから一ヶ月半。こんなに素晴らしい生徒の顔を見たのは、それが初めてだったようにも思えました。
 そして生徒の間に、動きがでてきました。こんな事故を二度と見たくない、繰り返してほしくない、だから、ポスターや看板を作って地区の人やドライバーに呼び掛けたい。そんな意見が、たくさん出てきたのです。
 私もそれを受けて、実際にその活動をやってみるとにしました。この活動には、プロジェクトR(Rは、タヌキの英名の頭文字からとったもの)という名がつけられ、ポスター・看板・調査・広報の各部隊(?→生徒はそう言っています)に分けて、今なお行動中です。
 ポスター部隊は、雨にも強いポスター作りに励み、看板部隊は、看板の設計やポスターを立てるための許可をどこでもらえばいいのかと調べたり、調査部隊は、夏休みを利用して各方面に取材に出かけるそうで、広報部隊は、校内掲示やプリントを作ったりする他、いつかは調査部隊の内容をまとめて、冊子を作ってみたいとか。
 行事やテストで忙しい中、精力的に活動を続け、そして、生徒のプロジェクトRの構想は、果てしもなく、遠大に広がっていきます。

 六月十二日、雨の中をタヌキは無事に山に帰りました。動物園のみなさんの必死の治療や看護のお陰で元気になったあのタヌキは、山の中へ走り去って行きました。そのタヌキを涙で見送る生徒もいました。笑顔で手を振り続ける生徒もいました。声を限りにタヌキに「元気でなー。」と呼びかける生徒もいました。タヌキのあとを追いながら「もう車にはねられちゃだめだよーっ。」と叫ぶ生徒もいました。どしゃ降りの雨の中、誰もがいつまでもその場を去り難い思いでいるようでした。
 学校に帰り、教室に入った生徒たちの顔は心なしか力が抜けているようにも見えました。その様子を見て、私はタヌキを山に帰したこのあとのプロジェクトRの活動が停滞するのではと不安になりました。
 しかし、それは余計な心配に過ぎなかったのです。翌日、生徒の日記には、「これからも一生懸命活動したい。」という内容がいくつも…、また、「県内や全国のニュースで報道してくれたんだし、いいかげんな活動はできないね。」という生徒もいました。
 そうです。まだ、これからです。これからが大切なんです。せっかく、この出来事を通してクラスがひとつにまとまり、みんな夢中になれるものが見つかったというのに、ここでその情熱を失うわけにはいきません。むしろ、これからが本番なんです。そのことは、私よりも生徒の方がよく分かっていたようです。
 そして、生徒をこのような気持ちにしてくれたあのタヌキに、今はお礼を言いたい気分です。また、あのタヌキをあそこまで元気にして下さった動物園の職員の皆さんには、それ以上の感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

 自然に囲まれたこの大川、その自然の中で育った生徒は、自然に恵まれていることを当たり前のように感じていたことでしょう。しかし、この出来事があって以来、今一度、自然と人間との関係に真剣に目を向けるようになったのです。
 その生徒の心を今以上に育てていくこと、それが今後の私の新しい課題となったようです。
 あっと、生徒が呼んでいます。それでは、この辺で失礼します。

★動物病院より
 一年間に保護されるタヌキは、約30頭ぐらいでこのところふえてきています。大川中学校の皆さんが持ってきて下さったタヌキのように交通事故で怪我をしたもの、トラバサミなど人間のしかけたワナにかかり負傷したもの、あるいは母親とはぐれてしまった子ダヌキなどがいます。
 五月七日に大川中学校の先生が、タヌキを運んで見えられた時、正直申しまして、「ダメではないか。」と思いました。
 それから何度か電話をいただき、その都度回復に向かっている報告ができてほんとうに良かったと思っています。
 このタヌキを通して、クラスの仲間がまとまり、野生動物への関心が深まったとの話をきき、皆さんの純粋な気持ちに心暖まる想いがしました。
 今後もその気持ちを失わず、やさしい皆さんでいて下さいネ。

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