253号(2020年04月)5ページ
病院だより「アムールトラ ナナの一生」(1)
3月1日、アムールトラのメスのナナが21歳5か月で亡くなりました。国内最高齢でした。ナナは平成11年に開園30周年記念動物として福岡市動物園から来園、日本平動物園が今年度50周年を迎えたのを見届けてくれたかのようです。私にとってのナナは動物園の先輩であり、苦難を乗り越えて子供を育てた「ビッグママ」、就職で静岡に来て初め頃にできた友達のような存在でした。動物園から別部署に異動になり、しばらくぶりに戻ってきた時、ナナは若い時の美形トラからすっかりおばあちゃん顔になっていて、「お互いに年をとったね」と語りかけたものでした。今回は明るい話題をと考えていましたが、ナナの最期を皆さんにお伝えしたいので、思い出とともにナナの一生を振り返り天国に送りたいと思います。
猛獣館299ができる前、今のホッキョクグマの展示場のあたりに旧トラ舎がありました。堀を挟んでお客様と動物の間に柵がない展示場で、緑が多く傾斜地を利用してトラが人を見おろせるつくりでした。ナナはペアのオスのトシと一緒に暮らしていました。2頭は仲が良く、生涯で19頭の子宝に恵まれました。現在も6頭の子が全国の動物園で暮らしています。そのうちの1頭が当園にいるフジ(9歳)です。ナナの子育てを振り返ってみると最初はうまくいきませんでした。今では暗視カメラがあり、モニター越しに別室から産室内の様子をチェックすることができるようになりましたが、当時はそのような機材は当園にはなく、猛獣の子育てと言えばなるべく覗かないで安静にするのが一番でした。もちろん今でも基本は変わりません。窓は目隠しして部屋を暗くし、母親が落ち着いて子育てできるようにしています。必然的に母親に任せることになるのですが、それでも最初は羊膜をなめとれなかったり子を運ぶ時に胸や腹を噛んでしまったりして子が亡くなることが3回続きました。ナナにとっても、私達にとっても苦難の時期でした。
平成15年4回目の出産でもナナにそわそわする仕草が見られたので、生後数時間の時点で子を離し飼育員がミルクをあげて育てる人工哺育へ移行しました。ナナにとって初めて育った子、シマジロウです。「シマジロウのお散歩」と題して、日光浴もかねて園路スペースに出て皆様に成長を見守っていただいたので、覚えている方も多いのではないかと思います。シマジロウはその後富士サファリパークに行き、なんとお父さんになったのですよ。5回目の出産では授乳姿勢は見られたもののまた数日後に子が亡くなってしまったため、今までの改善点を洗い出してとにかく落ち着ける環境づくりに努め、平成16年6回目の出産で初めてナナが自分で3頭の子供を育てることに成功しました。この子トラたちは、静岡市政令市移行記念として、3区にちなみスルガ・アオイ・マリンと名付けられ、ナナの愛情を目一杯受けて元気に育ちました。現在アオイが京都、マリンは豊橋で元気に暮らしています。平成18年には8回目の出産でカイ・ケン・メイが生まれ、病弱だったメイを一時人工哺育にしましたが、その後兄弟とお見合いを続けてナナを含め4頭で同居するまでに至りました。メイは亡くなってしまいましたが、現在カイは福岡、ケンは徳山で暮らしています。平成20年に猛獣館建設工事のためトシとナナはアドベンチャーワールドに預かってもらい、平成22年に猛獣館ができたところで帰ってきました。その7月には9回目の出産でフジ・チャチャが生まれ、新しい環境でも立派に子供を育ててくれました。チャチャは現在熊本にいます。夫のトシがその年の10月に亡くなってしまってからは、隣室で息子のフジを見守る優しいお母さんでした。
老いた動物をどこまで展示するか、正直とても悩むところです。ナナは放飼場に出入りができていた頃は10時半位まで展示していましたが、暑い時期は気温が高くなる前の朝の早い時間だけ外に出し、日中は冷房のきいた寝室で過ごしました。足腰が衰え、出入りに時間がかかるようになってからは、体調の良い日だけ外に出るようになりました。一度外で座り込んで部屋に入らなくなった時、ナナの見慣れないポリタンクを使って部屋に入るように試みたところ、ポリタンクに驚いてピュンと丸太をまたいだので「ナナがジャンプした!」と飼育担当者と驚いたものでした。ナナに会いたくても会えなかった皆様にはナナに無理をさせないための配慮でしたのでご理解いただければ幸いです。ナナはどうですか?と心配して声をかけていただくこともあり、その都度状況をお話ししていました。12月中旬から足取りがだいぶ重くなり、1月中旬からいよいよ後肢に力が入らなくなり、寝室の間の移動ができなくなって寝たきりになりました。それからは盾を持ってナナの寝室に入り、床の掃除と水飲み場の水交換を行いました。
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