でっきぶらし(News Paper)

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87号(1992年05月)11ページ

子育て一年生 篠崎晴好

 うちの施設に三人の子供達が、やって来たのは五月のある雨がしとしと降る日でした。内二人は兄弟で、弟は可哀想に左足を骨折してブラブラで、既に手遅れで治療できないということでした。
 私は、ここへ来てまだ二ヶ月足らずの新米職員、見る事、聞く事全て初めて尽くし。見様見真似でやるしかありません。この子供達の世話も、まず先輩の食事の仕度やベットの仕度などを一通り見てから、私も手伝いました。
 世話の中で一番手間が掛かるのが、食事です。
 三人は、お腹がすくと一斉になきだします。まだ小さくて自分で食事ができないので、口へ運んでやるのですが、蜂の巣をつついたような騒ぎとはこういう事か、と思わせる程、我先とばかりに身を乗り出して、パクパク食べ競います。ボロボロこぼすし、自分がもらえないとじたばたして欲しがります。弟も負けてはいません。兄貴らをのけて食べています。そして満腹になると、しばし部屋は静寂に包まれます。が、一時間もしないうちに、元の大騒ぎ…。
 こんな一日も夕闇と共に終わりに近づきます。私達職員は帰り支度を済ませると、夕食の世話をします。夜は彼らだけにするため、寒くないようにシーツを厚く敷き、いつもより多めの食事をさせます。お腹がすいて夜中に起きないように、という身勝手な配慮なのです。満腹になり、うとうとしている子供達を眺めながら、帰途に着きます。
 翌朝、「おはよう」と三人の部屋を覗くと、既に大合潤B元気な様子にホッとしながら早速食事の仕度。何しろ大変な食欲で、日に十回は食べるのだから。(育ち盛りなのだ)
 子供達が入園して四日程たった頃から、ようやく毛が生え揃ってきました。何せ来た当初は正に赤ちゃんそのものだったから、頭のバーコードも濃くなってきました。胸毛も、顔も、翼も、この子供達は、巣から落ち、親元に戻れなくなった子雀達です。私達は、このくらいの状態を年長組と呼ぶことにしました。(長坂管理課員と二人で)
 それから三日たちました。年長組は、既にパタパタと揃って羽ばたきの練習を始めています。弟も他の二羽に負けじとばかりに。
 その時です。バタバタといつになく力強い音が聞こえ、そちらを見ると籠の中には二羽いるだけ。どうもお兄ちゃんが初飛行に成功したようでした。「ヤッター」遂に飛んだ。籠へ再び視線を移すと、残り組も出口に身を乗り出し飛ぶ気配でした。バタバタ羽ばたき、水泳の飛び込みの様にして離陸に成功!!続いて弟も。やっと三人組は卒園しました。巣立った歓びと寂しさを交錯させながら私は見送りました。
 翌日、新入りの年少ツバメの世話をしていますと、「あいつ、餌を運んでいる」という課長の叫び。何の事かわからず、指さす方を見て驚きました。事務所から餌をくわえて、右足一本でうずくまっている弟に、親鳥の如く餌を与えている雀がいました。それもお兄ちゃんではなく、一緒に巣立ったあかの他人がです。
 何とも言いようのない、あったかいものに心が包まれた気がしました。と同時に、強い衝撃を覚えました。人間の私が、果たしてこんなに献身的にできるでしょうか。こんなに小さな命でも、立派に助け合って生きている。
 ここへ来るまでは、雀はタダの鳥。電線や屋根でチュンチュン鳴いている程度にしか見ていませんでした。それが、こんな小さな体の雀だって、しっかり現実を見据え、ハンディを背負った仲間を助けながら頑張っているのです。
 さあ、今日も食欲旺盛な孤児達に、生きることのすばらしさ、大変さ、私よりも優れたものを伝授してもらいながら頑張るぞ!!
 そして巣立った三人の雀達の一日も早い社会(野生)への復帰を願いながら…。
(動物病院より)
 皆様のおかげで、保護されたスズメやツバメのヒナ達の放鳥率は、大幅にアップ!!
 感謝しています。

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