106号(1995年07月)10ページ
子育て・裏方事情【私は誰】
“刷り込み”って聞いたことがあるでしょうか。鳥類の場合では、ふ化した後に眼が見えるようになって初めて見たものを親と思い込む習性がありますが、それを“刷り込み”って言うのです。
作為をほどこさない限り、人工育雛の場合では、真先に見るのはヒトです。「ああこのヒトが私のお母さん、私を守ってくれるんだ」って思い込んでしまって何の不思議もありません。当然の成りゆきです。
で、親と思い込んだそのヒトの一挙一動から、生きる術を学んでゆきます。自分の姿や形がどうであろうとそれが見える筈がありませんし、よしんば鏡で自分を見たところで、自分の姿が映っていると理解する能力は持ち合わせてはおりません。
「醜いアヒルの子」と言うアンデルセンの有名な童話がありますが、もし現実にアヒルがハクチョウの子を育てたとしたらどうなるでしょう。やはり周囲のアヒルの子に醜い、といじめられてしまうでしょうか。
私には、そうは思えません。むしろ、逆の現象が起きてしまうと思います。アヒルに比して、ハクチョウは二倍以上の大きさです。“ちびっこ”をいじめまくるような気がします。餌だって、独占的に食べてしまうでしょう。
そして、将来一人前になってハクチョウと結高キる、これもあり得ない話です。先にも述べたように初端にアヒルを見てしまっているのです。ましてやアヒルと一緒に育ってしまっては、自らがハクチョウと自覚できる道理がありません。
ハクチョウにはハクチョウのコミュニケーションの方法があります。それらは生まれついてのものではありません。成長過程の中で身につけてゆくものなのです。
アヒルの中で育ったハクチョウには、その術が身についている道理はありません。夢を壊して恐縮ですが、ハクチョウは生涯“アヒル”でしかあり得ないのです。