144号(2001年11月)1ページ
ホンシュウジカ捕獲大作戦 (第2話)
清水市郊外の餌付け場所選定は、栽培している野菜類の食害の苦情が日毎に増えていたため容易に決定した。同時に防除ネットも設置。しかし苦情の矛先が清水市役所までに及んでいたことが悩みの種でした。だが餌付けの場所は的中し、担当者が日中その場所でシカを目撃する回数も増えてきた。
しかし目撃情報は昼夜関係なく受話器の向こうから緊迫した声で聞こえてきた。「今そこにいます・・・」上司が夜車を飛ばしたことも何回となくあったそうで、当時私の記憶の中に胃薬を常用していた上司の姿を覚えています。県舞台芸術公園、乗馬クラブ、清水エスパルススタジアム等にも何回となく出没していたことから、どうも彼(♂シカ)は人々が集まる賑やかな場所が好きなようでした。きっと静岡のみならず、清水の夜景も彼の瞼には写っていたことでしょう。
一方、餌付けから次の段階、捕獲収容策が職員からぽつぽつと出はじめた頃、私も何回となくその場所に足を運んでみた。(シカとは一度も対面できませんでした)
この近辺は、なだらかな丘陵地に段々畑のごとく作物、花卉類のビニールハウスが建ち並び、その一角のビニールハウス傍らに1アールほどの雑草地があり、そのほぼ中央に餌付けの器が置かれていた。またその先は竹林と急傾斜の山々が連なっていた。
(捕獲の策その一) 麻酔薬(眠り薬)はどうか?しかし味が苦いため一度失敗したら今までの餌付けの苦労が水の泡になってしまう。また薬入りの餌を食べたとしても何時何処で効くのか?もし山中で薬が効いたら何処をどう捜すのか「山狩りだ!」「とんでもない!あの辺りは高い山はないが奥が深い。とんでもない大掛かりなことだ。」とある職員が他の職員を同調させるかのような目線を送った。問題はまだある。地域住民に回覧板、立て看板設置などで周知しなければいけないし、他の野生動物がその害にあったら一大事、問題は次から次へと生じ、この案は没。
(策その二) 大仕掛けの罠はどうか?漁師が使う定置網の漁法は、それも悪くはないが、多額の設備費用が懸かってしまう。シカに悟られたらどうする。
そうこうしている内に桜満開花見の時期を迎えた頃、清水船越堤付近にシカ目撃情報が入った。それを聞いていた職員は互いに顔を伺うように、「まさか花見?」しかしまた空振り。農家の人が農作業をしていると、手が届くところまで近づいて来るというのに、我々には遠い存在のようでした。
7月半ば、日本平の夜空を照らす大花火大会が山頂で行われた頃から、目撃情報は清水市方面に多くなりはじめた。次いで行われた安倍川花火大会、そして草薙神社の流星花火大会を境に目撃情報は清水市側一色となってきた。
とある夜、私の自宅にも一本の電話が入った(禁酒日)。「清水市村松でシカ出没、警察と消防が現地で捜索活動をしている。大至急出勤せよ」との内容でした。暗い車内の後部座席で鈍い金属音をならしながらカチャカチャ・・・ 今思い出すとゾーとし ます。現地では消防車の赤い回転灯が辺りを照らしていたが、「あれではシカも驚き今頃は山の中さ・・・・」と独り言を言いたくなるような物々しい光景。「オーイこっちだ、そっちの方に行ったゾー」などと大声を出して静まり返った住宅地に恐怖感を与えてはならず、闇夜のカラスを捜すかのように薄明かりを頼りにじーと遠くに眼を懲らし見えぬ獲物を追いかけていた。結局またもや空振り。
それからのシカは礼状巡りを想わせるかのように明け方から午前中にかけ、山岡鉄舟で有名な鉄舟寺、梅蔭寺、大ソテツのある龍華寺、交通量の激しい県道を渡り向かいの清水市第七中学と我々の心苦をよそに彼は悠々自適に出没。もしあの立派な角で通行人や車に衝突したらと想像すると、私も胃薬中毒になりかねない日々を送っていました。あるお寺では、そこの住人(女性)から食べ物を手渡しで恵んでもらうなど・・・・、姿なき相手に向かい一言「おまえは奈良公園のシカとは違うんだぞ・・・」あ然。女性いわく立派な角と、黒光りしている驕iたてがみ)がとても公園のシカと違っていましたと、お褒めの言葉まで頂きました。お陰で私も行ったことのないお寺巡りでとても有意義な社会勉強が出来ました。
暑い夏、子供達の長い夏休みも終わろうとしているのに、お陰で夏休みも殆ど取れず、いい汗を流す日々を送ることが出来ました。
(海野隆至)