でっきぶらし(News Paper)

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思い出の動物 《ゴリラの来園とお見合い》   日本平動物園  小野田

【思い出の動物 《ゴリラの来園とお見合い》】   日本平動物園  小野田 祐典

*ゴリラの来園*

 昭和54年3月末に、ゴリラとチンパンジーの飼育を目的とした「類人猿舎」が完成しました。「類人猿舎」は主に「ゴリラ舎」と「チンパンジー舎」に分かれており、それぞれの飼育をよりスムーズに行うための設備が整えられました。4月の初め、「チンパンジー舎」に東京の多摩動物公園より寄贈されたオス一頭、メス二頭、合計三頭のチンパンジーを、早速新築ほやほやの舎内に迎えましたが真新しい部屋に三頭ともまんざらでもなさそうでした。
「類人猿舎」は開園10周年の記念として建てられたもので、私個人としても待望の完成を迎え盛大に祝いたいところでしたが、当時はまだ肝心のゴリラは一頭もおらず、無人のゴリラ舎を前にまだ見ぬ「住人」に心を馳せる日々がしばらく続きました。
 待ちに待った「住人」がゴリラ舎へやってきたのは、園内の新緑が眩しい5月12日の爽やかな朝でした。これがその後、私の人生において非常に大きな存在となる「親友」との出会いとなるのですが、当時はそんな事を知る由も無く、ただただ新しい「住人」への対応に追われていました。ゴリラのような人気のある動物が外国からやってくるとなれば、それは当然大ニュースとなります。動物園関係者のみならず報道関係者の方々も多く集まり、大変賑やかしい雰囲気の中での「御対面」と相成りました。運送用の箱から出された推定年齢二歳(体重14・5kg)のオスゴリラは大変元気が良く、長旅の疲れを感じさせない様子に私はホッと胸をなでおろしました。

 これまで静かだった「ゴリ舎」も、この小さ「住人」の入居によって途端に賑やかになりました。飼育担当を言われてから、他園を訪れてご指導を受け準備はしてきたつもりでしたが、当初は少なからず不安を抱えていました。ゴリラという動物は大変神経質で人見知りをし、また大きな体に似合わず大変デリケートですぐに体調を崩してしまう等、それはもう付き合いづらい動物であるという情報ばかりが耳に入っていたからです。ところが喜ばしい事にこの小さな「住人」にいたっては、その情報が全く役に立たなかったのです。入居初日、餌をきちんと食べてくれるだろうかと少々不安に感じながら与えたイチゴやリンゴ、パンなどを私の目の前でペロリとたいらげ、さらに心配をしていた私をあざ笑うかのようにオレンジジュースを勢い良く飲み干すと、チョコチョコと近寄ってきて「ちょっと失礼」と言わんばかりに私の膝で昼寝と決め込んだのです。また、次の日からは私の姿が視界に入ると、一目散に駆け寄ってきて足に抱きつき、噛み付いたり叩いたりして遊び相手を強要するようになりました。とにかく元気に走り回り、いっちょまえにドラミング (胸たたき)の真似事をする「彼」を見て、そ れまで抱えていた不安が、成長していく過程を 楽しみに思う気持ちへと変わっていきました。14日には静岡市長始め、地元の幼稚園児約100名 による歓迎式が行われ、市民の皆さんにその姿をお披露目することになりました。

 さてご来園のお客様にお披露目した以上、このヤンチャ坊主をいつまでも名なしのままにしておくわけにはいきません。お客さんにも親しみを持っていただけるような良い名前はないものかと、しばらく思い悩みました。いつものよ うに遊びまわる「彼」を観察していて、ふと無 邪気な動作に目が止まりました。彼は小さな背を屈め、放飼場の床をゴロン、ゴロンと縦横無尽に転がりまわっているのです。その様子を見て閃きました。「彼」は「ゴロン」と命名され、新たなスタートを切ったのです。名は体を表す といいますが、この「ゴロン」という名前は実に彼らしさを表しており、また大変親しみやすく、命名した本人としても名案であったと自画自賛しております。

 実は、当初の予定から「ゴリラ舎」にはオスとメス一頭ずつが入ることになっていました。ゴロンの入居から半年後の9月になって、ようやくもう一頭のメスのゴリラの情報が私達のところに届きました。情報が届いたというよりは、飛び込んできたというべきでしょうか。その内容は私達を大変不安にさせるものでした。9月3日の新聞に『日本行きのゴリラ、ロンドンの空港にて輸出に待った』という見出しのAP通信記事が掲載されたのです。記事には、ゴリラの国外への取引がワシントン条約(絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)に触れるのではないかという理由で、イギリス政府機関からの指し止めを受けたということでした。その記事には、服を着た小さな赤ちゃんゴリラの写真も掲載されており、名前は「トト」と明記されていました。記事に私共の「日本平動物園」という記述はなかったものの、ゴリラの受け入れを計画している動物園は他に無く、これはまさしくゴロンの相棒となるメスゴリラのことに違いないと、私達は情報をかき集めました。しかし、早々と翌日の朝刊に『ロンドンで指し止めのゴリラ、日本平動物園が注文』という記事が掲載され、情報を集めるどころか反対に報道関係からの取材対応に追われることになってしまいました。5日になり、ワシントン条約に違反していないことが判明し、「トト」がようやくロンドンの空港を出発したという連絡が入った事で私達も一安心したものの、到着日が正確にわからず、また、「トト」の健康状態も大変気がかりでした。実は「トト」の故郷はアフリカのカメルーンであるため、9月3日にロンドンに到着する約2日前にカメルーンを出発しているはずです。その間のミルクや世話はきちんと行われていただろうか・・・?また、ロンドンから日本に送られてくる間も運送物と して扱われる為に、世話をする人が付き添う ことは考えられず「トト」が無事に到着して くれることを祈るばかりでした。

 その願いが通じたのか、「トト」は無事日 本に到着し、9月8日に日本平動物園に送ら れてくるという情報が入りました。新聞に掲 載され、大変有名になってしまった「トト」を取材しようと、ゴリラ舎の前にはゴロンの歓迎会時以上の報道関係者で賑わっていました。ゴロンの時と同様静岡市長にも出迎え にご参列頂き、動物園始まって以来の大歓迎 となりました。動物輸入業者の人に抱かれたトトが到着したのは、正午過ぎのことでした。赤い服を着て、紙オムツをした小さな子供ゴリラでした。動物輸入業者の人から市長に渡 され、その後動物園長が抱き、その後ようや く私に渡されました。トトを抱いた瞬間、あまりの軽さに驚きました。推定年齢は一歳と聞いていたのですが、標準体重の10kgの半分にも満たない4kgしかなかったのです。よく見れば、手足はやせ細り、お腹はふくれ、痩せているために眼だけが異様にギョロっとしています。重度の栄養失調であることは明らかで、やはり空輸されてきた数日間は私たちが心配していた通りにきちんと世話がされていなかったのだと実感しました。動物輸入業者の人の話しでは、羽田空港でトトを受け取った時には既に元気が無く、体温も下がっており、ここに到着するまでも大変心配であったということでした。毎日元気なゴロンを見ていた私にとって、トトの症状は大変ショックでした。当初、トトは到着後すぐにゴリラ舎のゴロンの横の部屋に収容する予定でしたが、その状態ではとても普通の飼育は無理であると判断し、しばらくは動物病院で様子を見ることにしました。見慣れない場所で精神的にも不安であろうと思い、ミルクを与える時以外にも必ず誰かがそばに居るように心がけました。獣医の熱心な看病と交代で泊り込んだ飼育係たちの世話が報われ、トトは日に日に回復し順調に体重を増やしていきました。


*ゴロンとトト、お見合いをする*

 昭和55年4月20日、体重が標準体重である10kgを超え、見違えるほどに回復したトトはいよいよゴリラ舎への引越しの準備をすることになりました。しかし、動物園に到着した直後から動物病院で生活してきたトトをいきなりゴロンと同居させるわけには行きません。トトが怯えることのないよう、ゴリラ舎にもゴロンにも少しずつ慣れていってもらうことにしました。
 ゴリラ舎は主に、ゴリラが食事をしたり寝起きする部屋と、日中遊んだりする放飼場とに分かれています。引越し初日のトトにはまず、夜間のみに使用する部屋で一晩を過ごしてもらうことにしました。しかし、トトは見慣れない部屋に大変戸惑っている様子で落着かず、餌にも手をつけようとしません。そこで、今まで動物病院でトトが寝泊りしていたオリを部屋の中に運び入れました。すると、トトはすすんでオリの中に入り込み、安心したかのようにようやく餌を口にしたのです。皮肉なことにトトにとって広いゴリラ舎よりも、馴染みのあるオリの中の方が落着くようです。

 さて、翌日からゴロンとトトを一緒に飼育できるように、二頭の「お見合い」を実行することにしました。ゴリラ舎完成後から一年余り経ち、ようやく当初の計画のスタートラインに立ったのです。とにかく二頭が仲良くなって共に生活できるようにならなければ、今後の飼育が困難になってしまいます。何としてもこの「お見合い」は成功させなければ・・・。気分はまるで人間のお見合いに立ち会う仲人のようです。私はお互いを刺激しないように慎重に様子を伺うことにしました。
まず、ゴロンとトトは年齢も性別も異なるために、体格の差が多いにあります。二頭だけにしておいたら、遊びといえどもトトが怪我を負いかねません。そこで私が立ち会う時のみ、二頭を放飼場で遊ばせることにしました。「お見合い」初日からゴロンは積極的にトトを遊びに誘おうとしました。しかし、トトは嫌がって私から離れようとはしません。トトが嫌がるのには理由がありました。ゴロンの誘い方に問題があるのです。ゴリラ流のやり方なのかもしれませんが、ゴロンは嫌がるトトを叩いたり強引に引っ張ったり、時には噛み付いたりして遊びに誘います。その様子がどうしてもいじめているようにしか見えないので、ついつい私はゴロンを戒めてしまいます。ゴロンも叱られるとトトから離れるのですが、しばらくするとまた同様の誘い方でトトを困らせます。その度にトトは私の所に逃げてきて、助けを求めるのです。思った以上に体格の差が、二頭の仲を隔てているようでした。人間に例えるならば、小学生低学年の男の子がままごとをしている3歳の女の子を強引に自分の遊びに連れ出そうとしているようなものです。おびえた様子のトトを見ていると、可哀想な気もするのですが、ここで「お見合い」を止めてしまえばますます二頭の間に溝が出来てしまうため、毎日定期的に「お見合い」の時間を設けるようにしました。

 トトに対し、ゴロンとの「お見合い」以外の時間をどのように過ごさせるかも、私達が抱えた問題のひとつでした。本来、放飼場で日中を過ごす訳ですが、ゴロンに占領されている以上、トトは別の場所に移動させるしかありません。寝起きする部屋で長い時間一頭きりにしておくのも気の毒ですし、かといって私も一日中一緒に遊んであげられるわけもなく、トトにとっても私達にとっても安心できる過ごし方を模索しました。

 ちょうどその頃、母親に育児放棄をされた「ユミ」というメスのオラウータンの子供が人工保育で育てられていました。体格もトトより若干小さいものの、ほぼ釣合いが取れる相手です。異種の動物同士ではありますが、お互い遊び相手を欠いていた事もあり、私達は試しに二頭を一緒に遊ばせてみることにしました。トトとオラウータンのユミはもちろん初対面でしたが、意外にもお互いを意識し合う様子も見せず、すぐに仲良くじゃれあい始めました。トトは、やっと対等に遊べる相手ができ、これまでとは違い積極的な一面をみせるようになりました。それどころか、自分よりもやや小さな体のユミに対し強気な態度を見せ始めたのです。ゴロンの時とは対照的な態度をとるようになったトトですが、ユミとの時間は実にのびのびとしているように見えました。少し形勢が押され気味のユミにとっても、トトは初めての友達であり二頭でいる時間を楽しんでいる様子でした。ゴロンとの「お見合い」の時間にトトを連れ出そうとするとユミが「連れて行かないで」と言わんばかりの寂しそうな態度を見せる程、二頭は本当に仲良くなりました。私達の予想を遥かに越えた二頭の様子は、驚きでもあり、また、ゴリラとオラウータンという異種動物の子供同士が打ち解けられるという、新たな発見でもありました。

 さて、トトはユミとの「 お見合い」は大成功をおさめたものの肝心のゴロンとは親しくなれずにいました。ゴロンが追いかけ、トトが逃げる・・・。この光景は夏を過ぎる頃になっても変わる事はありませんでした。しかし、トトの成長が二頭の体格の差を少しずつ縮めていくにつれ、何度かゴロンに立ち向かおうとする勇ましい姿も見ることが出来るようになりました。それでもやはり、ゴロンのほうが一枚上手で、ケンカになればトトがかなう訳もなく、結局私がゴロンを戒めながら仲裁する事が常でした。喧嘩両成敗といっても、やはり兄弟のような関係の二頭に対しては兄であるゴロンを叱りがちになってしまいます。ゴロンにしてみればいつも自分ばかりが叱られることを不満に思い、その矛先をトトにぶつけているのかもしれません。しかし、唯一の救いはトトがゴロンとの「お見合い」にさほど嫌悪感を抱いていなかったことです。日中、ゴロンの待つ放飼場へいくことを拒む様子を見せることもなかったので、「もう少しトトが成長すれば、二頭で遊ぶことが出来るようになるかもしれない・・・」
そんな期待を抱き始めた頃、ある事件が起こりました。

 ゴロンとトトの「お見合い」を始めて1年が経過した4月25日の午後、いつものように放飼場ではゴロンがトトを遊びに誘おうとしていました。その頃になると、トトは何とかゴロンと一緒に行動を共に出来るようになっていました。以前のトトに比べたら心身ともに随分と成長したものですが、相変わらずゴロンの力はトトを上回っており、私の所に逃げ帰ってくることも何度かありました。ところが、その日のトトは機嫌が悪かったのか、ゴロンが噛み付いてきたところ、強気に反撃に出たのです。次の瞬間には二頭が取っ組み合い、黒い大きなボールのようにゴロゴロと転がりました。私は慌てて二頭の間に割って入り、トトをゴロンから引き離しました。トトを抱きかかえた途端、私は手の平に生暖かい液体がつたうのを感じました。見ると真っ赤な血が服にもべったりと付着しています。私は急いでトトの体のあちこちを調べようとしましたが、怯えるあまり私にしがみついて離れようとしません。私はトトを抱いたまま座り、膝の上にトトを乗せて傷口を探しました。出血元は右足の裏で、4cm程ぱっくりと傷が開いていました。私は持っていたタオルで傷口を押さえ、抱きかかえたまま動物病院に駆け込みました。場所的に縫い合わせることが難しかったので、血止めと消毒等の治療を施しました。

 その後、ゴロンとの「お見合い」は中断し、オランウータンの子供と同居しながら傷口の治療を優先することにしました。治療としては一日に2回消毒し抗生物質の薬をつけるのですが、獣医が消毒しようとすると嫌がって治療にならないために、私が一人で抱えて治療するようになりました。その後はおとなしく素直に治療を受けてくれたので、日を追うごとに順調に回復していきました。

 さて、傷口の具合が大分よくなった頃を見計らって、ゴロンとの「お見合い」を再開させることにしました。しかし、もう二度とトトが怪我をするようなことがないように、いつも以上にゴロンの動きを警戒していました。ところがトトもゴロンも何事もなかったかのように遊び始めたのです。ゴロンは以前のようにトトに対して力任せに向かっていくことはなく、どことなく反省をしているように見えました。トトの怪我は私にとってもショックな出来事でしたが、皮肉にもこの事件を境に、心なしか二頭の距離が縮まったように思われます。その後も順調に「お見合い」の試みは続けられ、結局私を除き二頭だけで放飼場で過ごせるようになったのは、昭和57年1月17日のことでした。「お見合い」を始めたのが昭和55年4月21日ですから、約1年9ヶ月という時間を要した事になります。今となっては短くも感じますが、その期間は先の見えない試みに常に不安を抱えていました。実は日本中の動物園のこれまでの記録を調べても、別々に来園し年齢や体格の異なるゴリラを一緒に生活させたという成功例がなかったために、私独自の考えで行っていくしか術がなかったのです。ゴロンの体重が増すほどに、成長を喜ぶ一方、「これ以上大きくなる前に、二頭を仲良くさせなければ・・・」と焦りにも似た気持ちに駆り立てられ続けました。「気長に、ゆっくりと・・・」と何度も自分に言い聞かせながら、どうにか「お見合い」を成功させることが出来、あきらめずに続けて本当に良かったと思います。

 二頭が来園してから早いもので、今年で5年目を迎えます。現在ではトトがゴロンを追いかけたり、二頭仲良く寝転がって昼寝をする姿も見られます。以前の心配事が嘘のように、本当に仲良く毎日を過ごしています。ゴロン95kg、トト58kgに成長しました。まだまだ大人のゴリラになるには2、3年の年月を要しますが、二頭一緒に元気に成長してくれることと思います。しかし、ヤンチャ盛りの兄妹の事です。この先どんな出来事を引き起こしていくのかは分かりませんが、いつの日かゴロンとの子供を抱いているトトの姿を夢見ながら、二頭の成長をしっかりと見守っていきたいと思っています。

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