26号(1982年03月)4ページ
オランウータンと人間の見合いの話
(池谷正志)
僕は、ケンという名前のオランウータンの子供です。生まれたのは、昭和54年5月3日の憲法記念日で、もうじき3才になります。
僕は、母親と離れ、姉のユミちゃんと、やっと仲良く遊べるようになった昨年の9月に、いままで見たこともない、人間のおじさんがやってきたのでびっくりしてしまいました。
動物園では、何年かして担当動物の編成替えをやります。今回は、お父さんは変わらなかったけれど、お父さんが休みの日に、めんどうをみてくれるおじさんが交代したのです。そのおじさんは、背が高く、メガネをかけたボーとしている人です。
僕と姉は、朝部屋でミルクを飲んで、外のお客さんが見にくる所のオリに行って、一日遊んでいます。そして、夕方お客さんがいなくなると、寝るために自分達の部屋に帰ります。
最初のころ、僕と姉は、新しくきたおじさんに呼ばれても、オリの上の方にがんばって10分ぐらい降りて行きませんでした。そうしたら、そのおじさんは、
「たのむ、降りてきてくれ。」
というので、僕と姉は、しぶしぶ降りて行って、ミルクを飲んでやりました。
仕事とはいえ、おじさんは何もおこらないし、やさしくて、しんぼう強いので、そのうちに姉の方は、そのやさしさに参ってしまい、おじさんと仲良くなってしまいました。
「僕は男だ!そう簡単には仲良くならないぞ!男には男のプライドがある!」
ある日、お父さんとおじさんが、僕たちのオリの前で、なんだかこそこそ話をしていました。
「はやく仲良くなった方がいいから、昼間一緒に遊んでやった方がいい。」
「うん!そうしてみるか。」
それから、おじさんは毎日午後、僕達と1時間ぐらい中に入ってきて、遊ぶようになりました。おじさんと姉は遊ぶようになったが、僕は今まで遊んでいた相手を取られた気になり、おもしろくなかったので、ある時、おじさんの足を咬んでやった。そうしたらおじさんは、おこってきょうれつなパンチを僕の顔に一発なぐった。その時は、ほんとうに痛く、目から火花が出たほどだった。そこで僕は考えたんです。痛い思いをせずに、おじさんに、ひとあわふかせるいい方法はないものかと!それがあったのです。幸い?僕はこれでもサルの仲間なので、おじさんの手の届かないオリの一番上から、おじさんの顔に小便をひっかけてやろうと思いつきました。そのチャンスは意外にも早くやってきました。日曜日のお客さんが、多く見ている時、おじさんは僕の足の傷を消毒しようとして、足をつかまえようとしたとき、おじさんの顔めがけて放尿、見事に命中しました。バンザイ!お客さんは大笑い。おじさんは、おこりようにも僕は手の届かないオリの上の方。その時の、おじさんの顔を今思い出しても、胸がすっとします。しかし、おじさんもまんざらバカではないらしく、その手は二度とくわないようになってしまいました。
そうしているうちに、僕もだんだん、おじさんの良さがわかりかけてきて、一緒に遊ぶようになったが、まだ姉のように、おじさんのひざの上で居眠りするというところまでは、気をゆるしてはいません。
僕が、おじさんと仲良しにならないうちに、僕はこの日本平動物園を、さらなければならなくなってしまいました。僕はとても男前のオランウータンなので、他の動物園から、ムコさんの話がたくさんあったので、その中から、豊橋の動物園に行く事にきめてもらいました。僕も、お父さん、おじさん、姉のユミちゃん達と別れるのはつらく、淋しいけれど、それも運命だと思い、旅に出ようと決心しました。
この、“でっきぶらし”の新聞を、皆が読むころには、僕はこの動物園にいないかもしれないけれど、姉のユミちゃんと、おじさんが仲良く遊んだり、抱き合っているところを見てやって下さい。
それでは、さようなら!
[付記]
2月15日の早朝、ケンちゃんの姉であるユミちゃんは、残念な事にカゼをこじらせて、肺炎のため死亡してしまいました。
ユミちゃんのめい福を祈りたいと思います。
ケンちゃんの、豊橋動物園に行く話は流れましたので、今はオランウータンのお母さんと、昼間だけ一緒にいます。だけど、お母さんに甘えに行っても、前のようには甘やかしてくれません。
いたずら坊頭で、淋しがりやのケンちゃんをはげまして下さい!