268号(2022年10月)6ページ
病院だより 「サイコ、お疲れ様でした」
8月21日、ミナミシロサイのサイコが亡くなりました。41歳でした。日本平動物園開園20周年の年に記念動物として来園し、33年間多くの皆さんに愛されてきました。ありがとうございました。
サイコは1年8カ月間、闘病生活を送ってきました。一昨年の12月末に陰部から血の混ざった膿のようなものが出たのが始まりです。抗生物質等を服用しながら、外陰部から管を入れて毎日子宮や膣内を洗浄消毒する日々が続きました。膿が治まった昨年8月に治療を休止しましたが、今年1月膣内に腫瘍が発見されました。大きくなってきて外陰部から見えるようになり、表面が自壊して出血することもありました。腫瘍自体を完全に切除することは難しい箇所で、しかも悪性でした。
6月下旬、担当飼育員より「サイコが便をしたそうだけど出ない」。大きくなった腫瘍に直腸が圧迫されて、排便が止まりました。肛門周囲が膨れて少し脱肛し始めたので、歩くサイコの後ろについて歩きながら肛門から手を入れると、手の届くところに便がありました。浣腸したかったのですがサイコが肛門を触られるのを嫌がったので、下剤で便を軟化させ、腸運動を促進する薬を投薬して、なんとか数日で排便することができました。
8月になると、再び便が出にくくなり、採食量も減ってきて、夕方餌の乾草の上に横たわり寝ている姿を見ることが時々ありました。そのため、足に少し褥瘡【じょくそう】が出来てしまいました。調子の悪い時は放飼場に出さずに室内移動で寝室を清掃していたのですが、そうすると寝ている時間が長くなり、便通は悪くなり足も痛くなるので、朝の本人の出舎意欲でその日に外に出すかどうかを毎朝飼育員と獣医師で相談して決めました。
8月20日の朝、サイコは勢いよく起き上がり外に行く扉の前で待っていたので、放飼場に出すことにしました。午前中何度か見に行くと、寝室の前に立っていたり、餌場で乾草を食べたりしていました。午後2時頃、担当飼育員から「サイコがぬた場(水を溜めた泥浴び場)で立てなくなっている」と連絡がありました。急いで見に行くと、サイコは放飼場の奥のぬた場に浸かっていて、時々立とうとするのですが足が泥沼にはまってしまい、立てない様子です。飼育員と一緒に放飼場の中に入り、腰の辺りをゆすって立てないか反応を見てみましたが、無理そうです。サイコは時々鳴いて懸命に立とうと頑張っていました。周りの水を抜いて、夕方、飼育員に集まってもらい起立介助することにしました。当日来園され御覧になられた方々にはご心配をおかけしました。
4時半頃、当日出勤の飼育員が全員早めに担当動物の作業を終えて集まりました。サイコの体を皆で押して起こしながら、スリング(幅広のロープ)を下から入れて体に巻き、それを綱引きのごとく皆で掛け声をかけながら引っ張り、まずはぬた場から脱出させました。ですが、サイコの足がしびれていて立てません。そこで、今度は立ちやすい足場のところに移動させて、スリングで身体を引っ張り起こしながら、反対側に乾草や藁を入れて伏せの体勢に近いところまで起こしました。その日は日が暮れ、安全面を考慮し作業は終了。サイコを放飼場に残して帰るのは切なかったですが、サイコが立とうと上半身を自ら動かす様子が見られたので、生きようとする気力のあるうちは立たせるのを諦めないでサポートしようと決めました。
翌朝、サイコは同じ位置にいて時々頭を起こして立とうとしていました。放飼場で倒れた時を想定してあらかじめクレーン車を頼むことを計画していたので、来園者の多い日曜日でしたがサイの前の通路を閉鎖させていただき周囲の安全を確保し準備を進めました。午後、麻酔をかけてクレーンでサイコを吊り上げて寝室前に運び、単管パイプを並べた上にベニヤ板を敷き、その上にサイコを載せて滑らせながら人力で寝室内に収容しました。寝室に用意してあった装置で天井から体を吊り、身体の重みで内臓が圧迫されないようにして無事に作業は終了。しかし、麻酔から醒めて約1時間半後、サイコは息を引き取りました。
今年亡くなってしまうことを予測していたとはいえ、大きな喪失感の中にいます。「最後に寝室に入れてあげられて良かった」という担当飼育員の言葉に頷きました。サイコ、長い間よく頑張ったね。天国でゆっくり休んでください。
(松下 愛)