143号(2001年09月)2ページ
ホンシュウジカ捕獲大作戦 (第1話)
遡ること、今年の2月9日午後3時45分頃、某テレビ局がジェフロイクモザルの親子の撮影取材に来たことからこの事件が始まりました。
園内下の池の島に住んでいるジェフロイクモザル夫婦に、今年の1月10日待望の二世が誕生し健やかに成長している様子をテレビ撮影しようと中継車がすぐ横に位置するホンシュウジカ放飼場前に駐車した。当日は曇空で薄暗いため撮影ライトを点灯し撮影を開始するやいなや、突然ホンシュウジカのオスが見慣れない光景と音に警戒心が頂点を極め、その結果野生の本能が彼を奮い立たせてしまった。
次の瞬間:2メートル以上もある柵を軽やかに助走をつけて飛び越え一路遊園地に向け・・・。それは野生動物の驚異をテレビ画面で見ているかのように一瞬の静寂の中での出来事でした。
その時私たちは、大きな口を開け呆然と立ちすくんでしまった。それはとても優雅で素晴らしいジャンプだからでした。
「お〜い・・こちら?番、ホンシュウジカが逃げ出したぞ!」「遊園地に向かっだぞ・・」現場にいた職員から大きな甲高い声で全員に無線連絡が入った。その無線を聞きつけた職員たちは一斉に遊園地に向かった。その間にも無線にはいろいろな情報が飛び交った。「今度は、遊園地から下っていったぞー」、次に別の職員が「今度は沢を登っていったぞー」また別の職員から「桜ヶ丘団地の方に向かったぞー」それを聞きながら捕獲班は園内を右往左往と振り回されながら駈けていた。ある職員は「俺!もうだメー」と呟きその場にしゃがみ込んでしまう者もいた。ある職員は、団地を通りすぎシカの行方をなおも追っていた。この時ほど情報のとりまとめ、伝達、人員の配置をいち早く行うことがいかに重要であるかみんな思い知らされたことだろう。病院の捕獲班も薬品箱を片手に右往左往であった。結局脱走したホンシュウジカの逃走経路は、子供遊園地の柵を飛び越え、竹林をすぎ倉庫前から川づたいに沢を登り、桜ヶ丘団地を通り抜け日本平の山中に姿を隠してしまったようだ。
それからというもの有力な手がかりとなる情報はなく、やがて一月が過ぎようとした頃、日本平パークウェイを走行中シカを見たという人が現れた。以前は日本平の山中にもホンシュウジカが生息していたと言われていたが、近年は環境の変化なのかその姿を見ることがなかった。
しかしその後暫くは、有望な情報が入らず職員をヤキモキさせていた。だが、その間も、毎週定期的に職員によるシカ捜索活動は続いていた。やがて早期解決のためにも新聞紙上掲載により地域住民からの情報収集に務めることが必要ではないかと意見一致。
みごとその狙いは的中し、毎日職員を振り廻すほどシカ目撃情報が殺到した。動物園は代番制という特殊の勤務態勢をとっているため、時には管理課の事務職員や、園長まで捜索活動に加わった日々が続いた。しかし、情報を得るや否や緊 急の班体制を組み現地に赴くと、もはやシカの姿はすでになく空振りに終わることが多かった。一時は目撃情報が本来の野生のシカではないかと思わせるほど毎日のようにあちらこちらに出没していた。園外対応可能なの無線も装備しその対応はかなり高度化してきた。シカと職員の根比べと様相は変わってきた。やがて日を追うごとに包囲網は着々と狭まり、現地で職員が後ろ姿を目撃するようになってきた。「今一歩だ!星は目の前だ。」まるで警察の事件捜査のようでもあった。
やがて日本平山中の平沢地区の水田に現れることが多くなり、一方では水田の水稲を食害する苦情へと発展してきた。「平沢観音に願掛けしているから、敵もなかなか手強いな」というジョークも飛び出すようになり、長期戦の様相を見せ始めた。その対応策として、まずは多く目撃される所で餌付けをしようと言うことになり、長谷川シカ担当班中心に毎日冷房のない車を飛ばし餌付けに汗を流していた。 ちょうど梅雨時も後半の蒸し暑い頃でした。
(海野隆至)