36号(1983年11月)5ページ
ゴリラの病気と怪我 (その4) 〜 流行性感冒(カゼ) 〜
(小野田祐典)
ゴリラを飼育していて、毎年のようにかかる病気は、カゼである。症状は、鼻汁がでたり咳をしたりする。そして、熱がでてくると食欲もなくなってきて、元気もなくなり、、寝こんでしまう事もある。便も軟便になる時もあり、どの症状をとってみてもまさに人間と同じである。人間に一番近い動物ということもあって、薬も人間と同じものを与えるのである。
オスゴリラのゴロンが、初めてカゼをひいたのは、来園した年の昭和54年10月31日であった。出勤してみると、いつもより元気がなく、目も少しうるんでいる。私が入室して掃除をしようとすると、甘えて抱かさりに来る。他の仕事を早めに終らせ、ゴロンに付いていてやる事にした。ゴロンの体に触ると、少し温かく感じた。いそいで体温を計ったら、38.6度もあった。子供のゴリラの普通の体温は37度〜37.5度である。体温を計るところは、肛門、口の中、ワキの下があるが、ガラスの体温計だと、肛門、口の中は危険なため、ゴロンの場合にはワキの下で計った。まず、右の前からワキの下に体温計を入れようとしたら、くすぐったいのか?いやがり体温計を折ってしまった。次に、左のワキの下に入れようとしたが、やはりいやがり計る事ができなかった。そして、左のワキの下のうしろ側から体温計を入れたところ、おとなしく計らせてくれた。だが、3分間はおとなしくしていなければならない。1分間ぐらいはおとなしくしているが、そのうち、“もぞもぞ”と動きはじめる。そのたびに、叱りながらおとなしくさせ、どうにか3分間計る事ができた。
昼にバナナ、リンゴ、オレンジジュースを与えてみたが、バナナとリンゴは食べ、オレンジジュースは半分の100ccを残してしまった。夕方は、バナナ2本とブドウを少しと、ミルクを飲んだだけで、熱のため食欲もなかった。
夕方より薬を与える事にした。人間の赤ちゃんに飲ませる総合カゼ薬のシロップである。ゴロンも生れて初めて飲む薬であるが、シロップのため、甘みが強く、口当たりが良いので、なんの抵抗もなく飲んでくれた。このシロップは11月11日まで与え続けた。
11月1日には、熱も下がってきたので元気になり、放飼場に行きたがったが、鼻汁を出すようになってきた。私が入室して、ゴロンと一緒にいる時にはハンカチでふいてやるが、いない時には、指でなめてしまう。
食欲も回復し、ブランコに乗ったり、よく動きまわるようになったが、午後3時ごろには、つかれてきたのか元気がなくなり寝ころがっている。様子を見ようと私が入室すると、甘えて抱かさりに来るので、台の上で私も一緒に横になりいてやる事にした。そのうちに私の右手を持って腕枕にして、抱かさるように寝ころんできた。そのままおとなしくしていると、10分ぐらい過ぎたころより腕枕のまま、イビキをかきながら寝てしまったのである。私を親と思っているのか、まったく安心しきって寝ている。人間の子供と同じで、寝顔は可愛い。これが動物かとうたがいたくなるほどである。これほどまでに、信頼されるのも、類人猿担当者の役得かもしれない。20分ぐらい過ぎたころより、私の腕がしびれてきたが、寝顔を見ていると、とてもとても起こすのが気の毒で、起こせたものではない。
そのまま寝かせておきたいが他の仕事もあるので、そうも言っていられない。かわいそうだが、1時間近くたった午後4時頃起こして、寝室に収容し、夕食を食べさせた。昼間はよく動き、その後1時間ぐらい昼寝をしたので、お腹もすいたのかバナナ、リンゴ、パイナップル等をおいしそうのに食べ、ミルクも一気に飲んでくれた。
チンパンジーの仕事も終え、ゴロンのところにもどると、それほど多くはないが、咳をし、鼻汁も出している。このような状態が11月8日まで続いたが、9日には咳、鼻汁も少なくなってきて安心した。鼻汁は11月下旬まで続いたが、完治する事ができた。
次にカゼをひいたのは、昭和55年11月20日から30日までで、この時にはトトもゴリラ舎に収容されており、同じ日にゴロンとトトがカゼの症状をしていたが、ほとんど同じ日に完治した。この時には、鼻汁だけで、咳もなく熱がでて食欲がなくなるような事はなかったが、時々軟便になってしまった。薬も前回と同じ人間用のシロップを与えた。その冬には、寒い日にゴロンもトトも鼻汁を出している事もあったが、薬を与えるほど、ひどくなるような事はなかった。
寒い冬も過ぎ、春近くなって気温もおだやかになりかけてきた昭和56年3月12日から、ゴロンのカゼに始まり、類人猿のすべてのゴリラ2頭、チンパンジー4頭、オランウータン4頭が順に感染してしまったのである。
まず、ゴロンが12日の午後から鼻汁を出すようになり、13日にはタンのからんだような咳をするようになった。14日の昼より、シロップのカゼ薬を与え始めたが、16日の夕方より症状も重くなり、食欲もなくなってきた。だが、午前中はブランコに乗ったりしてよく動いていたが、昼ごろより寝ころがっている時間が多くなり、だるそうにしていた。夕方、ミルクを持って行っても、いつもならすぐ飲みに来るけれど、寝ころがって飲みに来ない。私が入室して与えに行くと、どうにか飲むほどで、動くのがだるいようだった。
17日には、ついにダウン!朝からまったく餌を食べようとしないで、私に甘えて離そうとしない。前のように朝から一緒にいてやる事にした。今度も私の腕を枕にして、昼ごろまでイビキをかきながら寝てしまった。
何でもよいから食べてくれなければ、体力も消耗してしまうので、ごはんを与えてみることにした。他園で、どんなに食欲のない時でも“すごはん”なら食べると聞いた事があるので、ゴロンにも与えてみる事にした。まず、ごはんだけ与えたが、ひとくち食べただけであった。今度は、「すごはん」を与えたが同じで、次に「おじや」を作って与えが、やはり食べてくれなかった。せっかく鰹節でだしをとり、卵も入れ、私が食べてもおいしいと思ったのに・・・。またゴロンと一緒に寝ころんで、食べてくれそうな物を考えていたが、なかなか思い浮かばない。ゴロンも、そのうちにまたイビキをかきながら寝てしまった。
午後3時ごろになり、起きたと思ったら、おいてあったバナナを食べ始めたのである。「しめた。」と思い、もっと沢山食べさせようと、いそいでバナナとリンゴを持ちに行き、与えたところバナナ5本とリンゴ2個を食べてくれた。餌を食べてくれるという事がこれほどうれしく思った事は今までにない。私もうれしくなり「沢山食べて、早く良くなれよ!」と言いながら頭をなでてやった。
この日は、咳も鼻汁もひどくなったので、薬も変える事にした。セキドメシロップと抗生物質をジュースやミルクの中に入れて与えたが、まったく飲んでくれなかった。今度は、薬の中に多量の砂糖水を入れて、口の中に無理矢理入れ、飲み込むまで私が手で口を押さえていた。ゴロンも、はじめはへんな顔をしていたが、どうにか飲ませる事ができた。
他に咳止めには、大根をハチミツに付けたのを飲ませると良く効くと聞いた事があるので、さっそく作ってみる事にした。昼ごろに作り、夜中に与えたが、飲んでくれなかった。どんな味がするのか、私も飲んでみたが、大根が多すぎたのか、とても飲めたものではなかった。
18日には、今度はトトが咳をし、鼻汁を出すようになってしまった。食欲もあり、動きも良いので薬を与えて、いつものとおりオランウータンのユミと一緒に放飼場に出しておいた。ゴロンは、昨日よりは症状も良くなってきたが、寝室で過ごさせることにした。表では、お客さんがゴリラがいないという声が聞こえてくるので「カゼをひいてしまいまた。本日はお休です。」という看板を出す事にした。動きも少しは良くなってきて、時々ドラミングもするようになり、昼寝の後には私を離してくれるようになった。食欲は、変わらずミルクの他にバナナとリンゴを食べるだけであった。
19日には、だいぶ元気もでてきて、放飼場に行きたがるので、午前10時30分に出してやったが、台の上で寝ころがっているだけであった。咳は相変わらず多いが、鼻汁はいくぶん少なくなってきて、食欲も少しずつ回復に向ってきた。トトはいつでもそれほど症状が重くなるような事がなく、寒い日でも寝室で過ごすような事がない。まだトトも幼ないので、ゴロンとは同居できないため、オランウータンのユミと一緒に昼間は、放飼場で過ごしていた。いつでも、ゴロンの方が症状も重くなり苦労する。人間の子供も、男の子の方が女の子に比べて病気をしやすく、育てるのが大変だと言われるが、ゴリラの世界でも同じ事が言えるのかもしれない。
21日には、昼間トトと一緒に放飼場で遊んでいるオランウータンのユミが、22日にはチンパンジー4頭が、25日にはオランウータンの子(ケン)が、というように感染してしまった。
オランウータンの子供は、それほどひどくならなかったが、チンパンジーは熱がでて、食欲もなくなり、すべてダウンしてしまった。麻袋の中に入り寝ているだけである。餌もそのまま残っており、チンパンジーの寝室をのぞくのがいやになってしまうほどである。ゴロンも、まだ回復はしないで私に甘えてくる事もあり、一人でとても見きれない。良くしたもので、私も気が張っている為か、私にはカゼがうつるような事もなかったが、もし私まで熱がでてダウンしてしまったら、この動物達はどうなるのだろうと思ったりする事もあった。このような時に、入室して世話ができるのは担当者だけである。
チンパンジーのメス親の寝室に私なら入る事ができるので、起きてこない時には飲もうとしなかった時もあり、叱りながら与えた時もあった。だがオス親のポコは危険なために、入室する事ができず、薬さえ与える事もできない日もあり、ただ祈るだけという時もあった。
ついにこの集団カゼの中で、犠牲になってしまった動物がある。昭和55年11月12日に当園としては初めてチンパンジーのパンジーが出産し、抱いて育てていた。子供の名前はピッチー!そのピッチーが23日より鼻汁を出しはじめ、咳をするようになってきた。パンジーなら、私が入室しても大丈夫なので、シロップの薬を持って入室したが、ピッチーはどうしても、薬を口の中に入れさせようとはしなかった。そして、26日の朝には、母親のパンジーの乳房も脹ってきて、ピッチーが母乳を飲んでいない事もわかり、衰弱が激しいので、親子を離す事にした。午前9時ごろ親子を離し、いそいで動物病院に収容し、酸素吸入などの治療を行なったが、残念な事に、午後7時25分に肺炎で死亡してしまった。生れて135日の命であった。
私もショックだったが、気を落としてはいられない。まだ、ゴリラもチンパンジーも重症である。ピッチーの後の事は獣医にまかせ、私は類人猿舎にまた向った。
看病のかいがあって、類人猿達は順に回復に向っていった。ゴロンが3月27日に。トトが28日に。オランウータンのユミとケンが29日に。チンパンジーのポコが4月1日に。デージーとパンジーが7日に完治する事ができた。
だが、4月8日にオランウータンの父親のテツが、10日に母親のクリコがカゼをひいたが、軽く終った。
全国の動物園で、これほどすべての類人猿が次から次にカゼに感染した事など、報告された事などない。よほど悪性のカゼだったのだろう。この集団カゼで亡くなったピッチーには残念でならない。やはり、幼なく抵抗力もない子供が犠牲になってします。人工哺育ならどうにか治療もできるが、親が育てている時には、どうしようもできないのが現状である。
今度のさまざまな経験を今後に生かし、再び犠牲者(動物)を出さないようにすることが、せめてもの供養になる事と思う。