175号(2007年04月)7ページ
病院だより アムールトラ 「メイ」の成長記、そして・・・
2006年5月23日、アムールトラのオスの「トシ」とメスの「ナナ」の間に、3頭の子が生まれました。のちの、「カイ」「ケン」「メイ」の3頭です。
このトラの夫婦の話は過去にも「でっきぶらし」の中で紹介していますので、ご存じの方も多いと思います。これまでに8回出産し、合計7頭が成育しています。
今ではお母さんがすっかり板についたナナですが、最初の数回は出産後数日以内に子が死亡してしまいました。ナナが子を持ち運ぶ際に、胸や腹を噛んでしまったのが原因です。
その後、6回目の出産で初めて自分で子育てができるようになり、今回もしっかり面倒を見ている様子でした。
しかし、3頭のうちの1頭だけが部屋の角にいることが多くなりました。生後5日目の朝、その子がほとんど動かないので部屋に入って見たところ、ぐったりと衰弱していたので、「このままでは死んでしまう」と判断し、人工保育(飼育係が母親代わりにミルクをあげて育てること)に切り換えることにしました。
体重は1.08kg、他の兄弟に比べて小さめの女の子でした。
一般公開でご来園の皆さんに「メイ」という名前を付けていただく前は、実は「トラコ」と呼んでいました。飼育担当者と代番者で1日5回、懸命にミルクをあげて育てましたが、人工保育開始当初から様々な苦難が彼女にふりかかりました。
首が曲がったり、歩けなくなったり、片目には白内障を患い、肺炎で生死をさまよった時期もありました。毎日血液検査をして、体調の変化に一喜一憂し、あれはどうかこれなら効くかな・・・と試行錯誤していた頃は、生きた心地がしなかった位四六時中トラコのことを考えていました。
彼女は生まれつき体が弱く、野生では自然淘汰の対象となっていたかもしれません。しかし、動物園で生まれたかけがえのない命を「なんとか助けたい」という皆の思いが通じたのか、生後4ヶ月頃には元気を取り戻し、だんだんと普通に生活ができるようになりました。
これも、朝から晩までねんごろに世話をしてくれた飼育係のおかげです。そして、トラコの頑張りとその生命力に、私たちが逆に救われたという思いでいっぱいでした。
その後、元気になった姿を皆さんに見ていただきたいと、秋には入り口近くの広場で一般公開を始めました。彼女に会ってくれたご来園の方々から名前の公募をし、5月生まれということで「メイ」というかわいらしい名前をもらいました。
最初は大勢の人に囲まれて興奮した様子でしたが少しずつ慣れていき、飼育係にじゃれついたり、お気に入りの長靴をくわえて運んでみたりと余裕も見えるようになりました。
円陣の真ん中に座りながら、メイを遊ばせている父(母親役の飼育係は二人とも男性だったので)と娘(メイ)の光景を見ていると、「先に母親と一緒に一般公開を始めた兄弟のカイとケンのように、メイにもデビューをさせてあげたい」と言った飼育係の思いが叶って良かったなあ、メイも晴れ晴れしく見えるなあ・・・とじわっとくるものがありました。
12月4日、メイは半年間過ごした動物病院からトラ舎へ退院しました。メイを本当のトラとして成長させるためです。
「人にしか接してこなかったメイを家族のトラに引きあわせることで、トラとしての自覚や社会性を身につけてもらいたい」。
不安はありましたが、メイに乗り越えてもらわなければならない試練でした。この苦労話は次回担当者からお話しする予定です。
結果は、母親のナナも一緒に4頭で同居することができたのです。子トラ3頭の婿入り嫁入り先も決まり、もうすぐ出園だね、良かったね、と皆で安堵していたのですが・・・。
3月23日、くしくも生まれてちょうど10ヶ月の日でした。その日はいつもよりも穏やかに4頭で過ごしていたのですが、夕方、カイとケンとけんかをしたメイは、首を噛まれ・・・。
彼らの間で何があったのかはわかりません。ただ、皆で駆けつけた時にはもう心肺停止状態で、蘇生を試みましたがだめでした。人工保育の子を家族に返すということ、その難しさは充分承知した上で万が一の事態があることは想定していましたが、同居までできていただけに突然の出来事に皆ショックを受けています。
多くの皆さんに愛されて、10ヶ月というあまりにも短い一生を終えたメイ。数々の試練を乗り越えて、本当によく頑張ったと思います。その時々のメイの表情が走馬燈のように浮かんできます。彼女の頑張りをこのような形で終わらせてしまったことが残念でなりません。
どうぞ安らかに・・・冥福を祈ります。
皆さん、メイへのあたたかいご声援どうもありがとうございました。
(野村 愛)