68号(1989年03月)1ページ
モンキーこの騒々しい住人達(?W)
騒々しい住人達の思い出を追えば追う程、私達と縁もゆかりもある動物であることをつくづく思い知らされます。
ひとりぼっちは寂しがるし、かといって寄り合えばケンカにいじめ。私達がおいしいと思うものはだいたい彼等も好きで、特に甘い物には目がありません。それに豊かな色彩感覚・哺乳類ではサルだけが持つ特権です。
私はサルの説明をする時、いつも「貴方の手を御覧なさい」から始めます。爪は平たくて親指が多少なりとも他の四本の指と向かい合う、そして物を握ることができる。これこそサルの特窒フ中の特窒ナあると。
時々、その違いが論じられますが、何か空々しさを感じずにはいられません。道具を使うの、言葉があるの、知恵があるの、といっても所詮毛が三本多いだけでは…。
★ニホンザルの大往生
動物の寿命を論ずるのはむつかしいことです。サルひとつにしたって、種類がちょっと異なるだけで寿命がかなり違ってくることがあります。
ニホンザルではどのくらいなのでしょう。性成熟するまでには五〜六年かかり、その後も大過なく過ごせば三十年近く生きるであろう、といわれています。
長寿歴を調べると、三十五年飼育というのがあり、それに次ぐのは最も近い仲間、ベニガオザルの二十九年。更にムーアモンキーの二十八年。カニクイザルの二十七年が続きます。マカクの仲間では一番長寿だろうといわれていますが、長寿歴にもそれが如実に表れています。
さて、当園で飼育されたメスです。飼育歴そのものは十八年二ヶ月でまあ並みの部類です。が、来園時にすでにいわゆる”熟年”を感じさせた個体でした。
あえて証明というなら、出産は来園した翌年の五月に迎え、その後は一年置きで、計五頭。それでピタリと止まってしまったこと。四頭目を最後に出産能力を失くした、と考えてよいでしょう。
それが昭和五十三年の八月です。気性の激しさを徐々に衰えさせながらも、なお九年間も生き続けたのです。正直、今年こそ駄目だろうと思ったこともありました。
日誌をひも解けば、古傷の咬傷が悪化したとか、やせて腰部に化膿巣が三ヶ所できて入院とか、末期には嘔吐の繰り返しの記載が続きました。何の因縁か、とどめを刺した死因は七年前に死んだオス同様に「食道ガン」でした。
出所は、愛知県犬山市にある霊長類研究所。顔にあった入れ墨のマークから出生を正せば、三十年ぐらい生きた証ができるかもしれません。それ程、最後は老いの中の老いを感じさせました。
どうして長寿を保てたかと問われれば、豊かな飼料、冬期の程よい暖房、息子と若メスしかいない絶対的優位、等の生活条件があげられるでしょう。ともあれ、今は亡きメスに合掌。
★シロガオオマキザルの中毒
もう、かれこれ八年も前の出来事になるでしょうか。のんびりとお昼の休憩に入っていた私達に、衝撃的なニュースが飛び込んできました。オマキザルが毒か何かを
喰らってもがき苦しんでいる、というのです。
更に悪いニュースは続きました。子供動物園で飼育されているリスザルの何頭かも同様の症状を示し、その内の一頭は止まり木より落下、頭を強打して死亡したとのことです。
青天のへきれきとは、このようなことを差していうのでしょう。病院に収容されたシロがオオマキザルのメスとその子は、息も弱々しく力なく身を横たえていました。獣医の話では、お客から何か毒物のようなものを与えられたのではないか、とのことでした。
しかし、その後、警察の薬物等を検査する所に鑑定を依頼するも、何が原因でそうなったかは結局分からずに終わってしまいました。
タマネギを犬に与えると中毒を起こすのを御存知ですか。テクジクネズミに与えても、死に至るぐらい激しい中毒症状を起こします。ネコにスルメを与えてはいけない、といわれるのも同様の理由からです。
草食獣にも与えてはいけないものがあります。草だけでなく木の芽も非常に好むのですが、何でもかんでも与えていいものではありません。ある木の樹皮を与えると激しい下剤症状を起こし、ある木の葉を与えると中枢神経をやられ、時には死に至ることもあります。
これは私の独断と偏見ですが、中毒を起こしたのはいずれも南アメリカ産であることを唐ワえて、推測してみます。
彼らは、アジアやアフリカ産のサルと比べて嗜好も体質もかなり異にするものがあります。そんな彼らにお客が何気なしに与えた「ある食べ物」が”毒物”としての反応を示したのではないか、そんな気がしてならないのです。
一時はてんやわんやの大騒動。ハラハラドキドキさせました。が、幸い症状は一過性で翌日には立ち上がり、群れの戻すことができました。まあ、不幸中の幸いだった、というべきでしょう。
★リーフィーターの餌付け
胃は草食獣に似て複数になっているリーフィーター(木の葉を食べる者)、この仲間はかなりの期間、動物園へお目見えすることはありませんでした。理由は至って簡単。餌付けが非常にむつかしかったからです。当園でだって初端のアカコロブスは三日で姿を消してゆきました。
で、次に飼育することになったのが、キングコロブスの一亜種であるニシクロシロコロブス。比較的飼育が容易で、動物園で最もポピュラーなアビシニアコロブスの系統を求めたのですが、何処かでずっこけて非常に地味で目立たない種類を飼育することに…。
といっても、餌付けの困難は同じです。そこら中にある木の葉は何でも与えてみました。根菜類も同様です。八百屋にある物は一通り与えたでしょうか。
そんな中で何を食べてくれるか、です。ある物をよく食べるからといって、そればかりを与える訳にはゆきません。いわゆるお腹の中の消化する時の菌が新しい食べ物を急激には受け付けない為に、徐々に変わってゆくのを待たねばならないからです。
といいつつ、サクラやヤナギの葉、サツマイモやニンジン等をオスは比較的まんべんなく食べてくれました。しかし、やっとペアを組めたメスのほうは、全般に食が細く完全に餌付いたとはいい難い状況でした。
結局メスは、数ヶ月で死亡。オス一頭だけが残る破目となりました。このオスはたくましく昭和六十三年七月に千葉市の動物園へトレードに出されるまでの間、仙人の風貌を充分に私達に楽しませてくれました。
もっとも、お客様にはやや理解し難かったようです。舌を噛みそうな長ったらしい種名の最後、ブスを強調することで楽しんでおられました。
★ダイアナ関係
新たにやってきたオスには、リーダーシップがないことを常々述べています。至ってマイペースで人様のこと等には関知しません、という風です。
でも、穏やかな性格を見るにつけ、この個体を迎えて正解ではなかったか、そんな気がしてなりません。かつてのオスが相当の激情家で、相方のメスはメスでかんしゃく持ち、かつそんな間柄にできた二頭のメスとの同居です。穏やかさは求めたくなります。
来園時にはけっこういじめられて尻尾を咬まれたり、長女が子を生んだ時に生じた母親とのトラブルでは、処理能力のなさを示したことはありました。ですが、それ以来トラブルらしいトラブルは姿を消しています。
妙に人馴れしていて、時にカメラマンに変身する飼育係の眼鏡を奪い、怒鳴ろうとわめこうと、すっとぼけて全く叱りがいのない彼にそんな気を抱くのは、次女との関係を見るにつけです。
このオスがやってきた時から、次女は彼が好きでした。いつ見てもそばにくっついているのです。担当が代わり、代番も離れ、そして新しいモンキー舎に移っても、その関係は変わりません。次女はやはり彼に寄り添っています。
彼も次女が好きだと思います。長女がまず出産、次いで次女、では当然今度は長女の番の筈。しかしながら、順番通りではなく、また次女が出産しました。
何らかのアクシデントで順番が狂ったのかもしれません。でも、日頃の仲の良さを見れば見る程、”愛情の序列”のせいだと思いたくなります。ともあれ、今の平和が続きますように…。
★ブラッザグェノン 子育ての中で
実によく子を生むとは、前回でも述べました。その数、十頭にも及ぼうというのですから立派なもの、勲章をあげたいぐらいです。
しかし、これだけの数を育てるとなると、やはりいろんなことが生じます。中でも、昨年のように隣舎のサルとのトラブルによって片足を失ってしまわせるような事態は、全くやり切れなくなります。こんな誤ちは、二度と起こしてはならないことです。
それに毎年のように生まれるとなると、どうしても弱い子が出てきます。確か三頭目から四頭目だったでしょう。出産から出産の期間が非常に短かったことがありました。
七月に出産しながら、翌年の五月にもう迎えてしまったのです。妊娠期間はざっと七ヶ月。子育て、特に哺乳期間がいかにせよ短過ぎるように思います。
ブラッザグェノンは、いわゆる体毛の色模様が大変美しいサルですが、最初の内は褐色の地味な色模様をしています。それが一年、二年、三年と経つ内に親と同じ美しい色模様になってゆきます。 そんな中の異変。七月生まれの子はどうも変でした。一年経っても毛の模様が変わらないどころか、ちっとも大きくならないのです。その内に下の子が追い付き、一時的には双児の子が遊んでいるようでしたが、遂にはその子にも負けるように…。
衰弱も著しく、とうとう入院させるしかなくなりました。そっとしておくと餌はけっこう食べたようです。といいつつも、やはり大きくはならず、毛模様も相変わらずでした。
一時退院させたこともありましたが、体力がなく、下の子におもちゃにされる始末で再入院。そうしている内に、ポックリとあの世ゆき。これといった病変は、なかったそうです。
「次の妊娠が早過ぎて乳成分の質が落ち、それが成長障害を招いたのではないか」、これは、私が獣医にぶっつけた疑問です。答えは、充分に考えられるとのことでした。
探せばキリのないモンキーのあれこそ、加減のいいところで終わりにしましょう。
(松下 憲行)