193号(2010年04月)3ページ
≪病院だより≫ピースの骨折
昨夏の終わり頃、夜行性動物館で人気ナンバー1だったフェネックの子供のピース。足のケガの治療のため11月に入院し長らくみなさんに心配をおかけしておりますが、動物病院で元気に過ごしています。
8月11日、大きな地震のあった日の朝。何かをくわえて巣穴から出てきたフェネック。「もしかして!?」ピースの誕生を確認したのはこの瞬間でした。この頃数日、メスが巣穴にこもってオスを遠ざけていました。オスは巣穴に入れてもらえず、外で眠る日々。どうやらメスはとても熱心に子供を育てている様子。私たちは、静かに見守るのみです。
その後時々、メスにくわえられた子供を運の良い日は見かけられるようになり、生後2週辺りからはヨチヨチ・・まだ両耳の垂れた小さなかわいらしい姿の子供がお散歩をする様子が見られるようになってきました。巣穴の入り口付近から顔をのぞかせると、「ダメよ!お外へ行っちゃ。」メスがさっとくわえて連れて帰ります。1ヵ月が過ぎ片耳が立ち上がってくることには、好奇心旺盛な子供はメスに並んで餌のお皿に顔を突っ込むようになりました。この頃には、「かわいいー!」みなさんの人気の的でした。たくさんの応募により名前もピースに決定しました。
子育て熱心なメス。おしっこやうんちを促すために子供のお尻をペロペロ一生懸命なめてあげていました。「あらら!」しっぽの付け根の毛がすりむけてしまいました。心配しているうちに、その部分が真っ赤に。お世話のし過ぎで皮がむけてしまいました。
生後1ヶ月半、両耳がピンと立つ頃になっても皮がむけた部分をなめてしまうため傷が治りません。これ以上様子を見ていては傷がひどくなってしまう。さらに、時々片足をケンケンする仕草まで!元気いっぱいに巣穴を飛び出しては岩の上に登ったり飛び降りたり。じっとすることを知らないおてんば娘は遊びすぎて足を痛めたようです。
子供と親の一番大切な時期に離れ離れにはしたくない。考えた結果、室内にケージを置いて子供をその中に入れ、傷の治療をすることになりました。一日1回担当飼育員に傷の薬を塗ってもらいます。ピースはどうしたらよいかわからず小さく丸くなり静かに治療を受けてくれます。おかげでしっぽの傷はきれいに治りました。
その頃、ケージの網によじ登って飛び降りる技を身につけたため新たに足を痛めたらしく、狭いケージはかえって足に負担がかかるということもあって、1ヵ月のケージ生活から解放されました。
親子の1ヵ月ぶりのふれあい。キーパー通路側から様子を観察していた担当飼育員は親子の歓喜の叫びに心が震えたそうです。
「会いたかった!本当に嬉しい!」動物の心の声を感じ、この治療によって親子の絆が断たれることを何より心配していた担当飼育員は、安心とともに親子のつながりの強さと大切さのものすごさを実感したとのことでした。
ケンケン足で飛び回るピース。岩の上からジャンプするたびに「あぁ!」こちらがヒヤヒヤします。1週間程痛み止めの薬を飲みましたが改善の兆しが見られません。「この状態でこれ以上は・・」親子を離すことは苦しい選択ですが、ピースは動物病院でレントゲン検査をすることになり、そのまま入院となりました。
右の後ろ足のかかとの骨が折れていました。
小さな体の小さな骨にピンやプレートを入れる手術は負担が大きすぎます。細い足に負担にならない軽い素材で外側から固定をする方法をとりました。ピースの動き方を見ていただけに治療の方法や材料も慎重に考えます。しめつけずに足への負担が少ない固定を試行錯誤。なんとかこれで様子を見ようという形が決まりました。けれどここから、長い厳しい戦いが始まりました。
翌朝既に足がパンパン。早速、足のむくみが出てしまいました。むくみが引くまで固定を外すことに。さらに次の日、治療の時に足を触ると「!?」ひざの上の辺りにおかしな腫れ。レントゲンを撮ると・・大腿骨が折れています。成長板といって子供の成長期に骨が伸びる元になる部分でパキリ。成長期な分、この部位は骨折しやすい場所でもあります。知らない場所で突然ひとりぼっち。
足をひっかけたりすることのないように気をつけていた入院室での出来事。病院担当飼育員は改めて入院ケージの安全対策、獣医は麻酔をかけて大腿骨の骨折の処置に取りかかりました。
パキリと折れた骨はすでにずれていて折れた面がなかなか合わせられません。切開し骨折面をなんとか合わせたものの、なんとそのそばから骨がポロリと欠けました。
「もろすぎる・・」ピンを入れて骨の中から固定をすればくっつく治療をしたくても、ピンを入れようとしただけで骨が砕けるもろさを感じました。麻酔をかけての手術の中の差し迫った状況で、様々な可能性を考え話し合い、ピンを入れず外側からの固定をする方針になりました。
本当は処置方法として一番適切な積極的なものを選択したい。けれど、野生動物にとっては必ずしもそれがベストな治療方法とは言えないこともあります。そこが難しく、苦しい部分。これまでにも何度かそういった場面を経験してきましたが、今回ピースの骨折の治療をしている間も、毎日ずっと考え問い続けていました。
「この動物にとって、ピースにとって、今日の状態にとって。」実際に、ペットの動物病院で働く友人からの治療法としてアドバイスをもらったものとは違った方法でピースの治療は進みました。骨が2か所も折れて、腫れや痛み、不自由と戦うピースの足の状態は毎日、常に状況が変わります。毎日成長して骨も皮膚も変化します。この変化に沿って現状を悪化させず骨を保つ皮膚や筋肉の状態を良くさせることをまず治療の第一としました。この方針も動物園の動物にとっては治療の大事な一つの選択肢になると考えています。
ピースはフェネック夫婦の間に何頭目かに生まれた子供です。残念ながらこれまでの子供は成長できず生まれて間もなく死んでしまっていたため、無事成長した初の子供です。「元気に走れるようにさせてあげたい。」みんなの共通の思いです。骨が弱いピースのために餌にカルシウムを加えたり、タオルを何枚もしいたフカフカの床や特製の扉や床板を作ったり、飼育員達も毎日工夫を重ねピースのお世話に臨みました。
ピースは現在、動物病院の広い部屋で暮らしています。足にもきれいに毛が生え、良く食べて少し丸くなり、私達を見かけると走って逃げます!骨は元通りとは行きませんでしたが、見た目にはケガをしているようには見えない程の動きです。
状態が良くなってきたので、広い部屋で運動させようと新しく部屋を準備した時、壁をよじ登らないように網やでこぼこを覆う板を高さ1m程張ったのですが、部屋に入れたとたんに、「ジャーンプ!!」板の上の淵に足をひっかけ、「えーいっ!」飛び降りたではありませんか!「キャーッやめてぇ!」こちらが悲鳴を上げてもピースはケロッと久々の広い空間を楽しんでいます。
すぐに、板の高さを上げましたが、巣箱の上に飛び乗ったりする日常的な行動は元気なフェネックそのものです。あれだけの大ケガ、弱い骨だったのに、こんなに回復できるなんて。野生動物の、ピースの持っている力は本当にすごいと思いました。
思いもよらないできごとにこちらがあたふたしている間も、動物達は彼らの持つ力でそれを乗り越えていきます。私達の治療は積極性や技術の高度さも当たり前に重要ですが、その行為が動物の力を引き出すための支えになれるかどうかがカギになります。それには動物をよくみた上での判断力がまず必要です。迷いながら、考えながらみんなの力でピースが回復できたこと。小さな体のピースに大きな経験をさせてもらいました。
(長倉 綾子)