250号(2019年10月)4ページ
立ちはだかる白い影
いつもの病院だよりは治療のお話が多いのですが、今回は飼育についてのお話です。それは今年、動物病院内の獣医が一人増え飼育員が一人減ったため、私が飼育業務を行うことになったためです。
さて、今年の動物病院は入院動物たちのお世話の他に、タンチョウ、クジャク舎の飼育も受け持つことになりました。今、タンチョウ舎には2羽のオスとメスのペアがおり、クジャク舎にはオスが1羽います。春から私ともう一人の飼育員がせっせとお世話をしていたのですが、ある日、タンチョウのメス(『いなり』という名前です)が座り込んでいました。ん?体調でも悪いかな?と思ってみていると、スッと立ち上がったいなりの下には卵が2つ。なるほど、抱卵していました。どおりでオスの『ずわい』が『いなり』を守るようにこちらを警戒しているわけです。その後、今度は『ずわい』が卵の上に座り込み、ペアで代わるがわる抱卵しているようでした。
できることならこの卵、温かく見守ってあげたいところなのですが、タンチョウの繁殖制限をしている関係で、当園では擬卵と交換して繁殖制限をしています。単純に卵を取り上げるとまた新たな卵を産んでしまうため、殻だけ本物のニセモノ卵(擬卵)を置いておくのです。そこで開園前に擬卵を握りしめ、私は一人タンチョウ舎に向かいました。本日のミッションは、①本物の卵を取る、②卵があった位置に擬卵を置く、という簡単なお仕事です。いつも通りに掃除をし、エサをあげ、いざ卵を取ろうかと少し近づいたその瞬間、ずわいの目が鋭く光ったかと思うと、いきなり立ち上がり、いや、飛び上がりました。ブワッと羽を広げてシューシューいいながらこちらを威嚇してきます。ああ、これが親の愛ってやつか・・・などと思う暇もなく、ジリジリ距離をつめてくる『ずわい』。デカイ。こわい。心なしか頭のてっぺんにある赤い模様もいつもより紅く染まって見えます。その後ろでは『いなり』も同様に卵を守りながら目をむいて激怒しています。この時ほど、「太田さん、一人で大丈夫ですか?一緒に行きますよ」と言ってくれた病院飼育員の好意を「大丈夫大丈夫、とりあえずやってみるよ」などとカッコつけて断ってしまった自分を後悔したことはありません。来てもらえばよかった。
手元のデッキブラシとチリトリを使い、ブラシの柄で『ずわい』のつつき攻撃をさばきつつ、チリトリで『いなり』を牽制し、少しずつ前に進んでいきます。ここで、レストハウスの職員さんから「なにしてるんですか?」という質問を受けましたが余裕がありません。攻撃をかわしながら「えっと、あの、ちょっと・・・卵を」と答えるのが精一杯でした。(後できちんと説明しました)そしてついに、なんとか目的の卵までたどりついたところでひとまず本物を避難させ、ポケットからタンチョウたちに見えないよう擬卵を取り出し、すり替えたと気づかれないよう体の後ろで交換し、元の位置に擬卵を置くという白目をむいてしまいそうな作業を行いました。タンチョウたちも、卵が元の位置にあり、私が後退したので「撃退した」と思ってくれたのか、鼻息荒く勝ち誇っているように見えます。私は心の中でタンチョウたちに「ごめんな」と謝りながら、獣舎を後にしたのでした。
余談ですが、クジャクの「ポチ」のほうもなかなかの荒くれ者です。先日、クジャク舎で草むしりをしていると、ポチが私の近くまで来て草をつついていました。それを見ていたお客様が、「飼育員さんとクジャクさんの距離が近いね、仲良しだね」と仰っていたので、「そうでもないんですよ、僕はまだされたことないですけど、もう一人の飼育員さんは蹴られたことがあるらしいですよ。」とにこやかに話していた私に、彼は一気に距離をつめて飛び蹴りしてきたのでした。それを見た女の子が吹きだしていたので、ポチはある意味空気を読める男(オス)といえるのかもしれない、とつい感心してしまいました。蹴られた背中は痛かったです。
普段、なかなか目立つことのないタンチョウ、クジャクたちですが、実はお客様の見えないところではこんな熱い(?)戦いが繰り広げられています。これを読んでいただいたのをきっかけに、彼らの名前を憶えてもらえたら嬉しいです。
(太田 智)