でっきぶらし(News Paper)

« 43号の9ページへ43号の11ページへ »

ゴリラとオランウータンと… 異種の同居?T 

松下憲行
 『あれえ、お母さんがいないヨ!!』『大きなの何処へ行っちゃったんだろう。』『お母さん死んじゃったんだってねえ。かわいそうだねえ。』『黒いのがチンパンジーだ。ええっとあれが、あの毛の茶色いのがオランウータンだ。』
 オランウータンのジョンとチンパンジーのリッキーが、無邪気に遊んでいる中でよく聞くお客様どうしの会話である。それにしても、クリコがいたこと、特に死んだことが、四ヶ月も経とうとする今でさえしっかり覚えておられるのは驚き。人気のあった証明だろうか。オランウータンと言う種名は知らなくとも、親子のほのぼのとした光景が、強く印象に残っていたのだろう。
 それは今、保育園に変身している。ジュンとリッキーのふたりだけのミニ保育園に。その辺の下りは先月号で書いたので、ここでは、種類の違うものどうしの同居に思うこと、気付いたことを、オランウータン、ゴリラの同居時代に逆昇って語ってみよう。
 もうかれこれ、五年も前になるだろうか。ゴリラをペアにする為の試みから、話は始まる。メスのトトが、栄養失調から脱し(来園時の体重が、推定一才ながら四kg弱しかなく、まともに歩くこともできず、長らく動物病院で飼われていた。)ようやくゴリラ舎にやってきたが、オスのゴロンと一緒にしようにも、体格があまりにも違い過ぎた。トトが十kg少々、ゴロンは二十五kg以上あったろう。
 ゴロンが遊びたくてそばに寄って行っても、トトはおびえるばかり。無論、担当者が介在し、トラブルを起こさないように心掛けたのだが、トラブルが起きる前にトトのほうは担当者にしがみついてしまい、ゴロンはその周辺をうろうろ、時折強引にちょっかいを出しては担当者に叱られていた。
 これでは、担当者のいない時に一緒にしておくことなどとても無理。さて何処においておこうの思案から、オランウータンとの同居がひらめいた。当時人工哺育で育てられたユミがひとりぼっちでおり、それがメスでかつトトと体格が変わらなかったことから、そこが避難場となった。
 ユミにとっても、格好の遊び相手ができたと喜んだのか、ここは最初からトラブルの懸念すら生じなかった。肝心のゴリラの同居作業は、全く見通しが立っていなかったのだから、皮肉といえば皮肉。
 これが、種類の違うものどうしを同居させる最初のきっかけである。常識的にはあり得ず、してはならないことだが、やむを得ず唐ン切る場合は、たいていどうしようもない問題が横たえている。
 最初の場合、再度語るなら、ゴリラの同居作業がうまくいかない、オランウータンの子が寂しがっている。この二つの問題や悩みがあった。だから彼女たちを同居させることは、ゴリラの担当者にしても、オランウータンを担当していた私にとっても、この問題や悩みを解決させる、窮余の一策だったのである。
 流れをもう少し追ってみよう。ユミ、トトにそんな同居生活をしばらく続けさせてから、更にオランウータンのケン(オス)をも同居させた。オランウータンの次の繁殖の為に母親からケンを取り上げた成り行きから、そうするしかなかった。
 ケンが驚いて怯えてトトをじっと見つめていた眼は、今でも忘れることはできない。そうであろう。母親に甘えて安穏と暮らしていたのが、突如母親と分けられ、真黒い自分よりひと回り以上も大きい動物が現れたのだから、怯えたのも無理からぬ話である。
 ゴロンの前ではびびっていたトトも、ここではいばっていたた。順調な発育ですでにユミを上回っていたし、更に小さい十kg余りのケンを見据えた眼は『こましゃくれたガキが来やがったなあ』そう言いたげであった。
 せいぜいその程度。子供はいい。メスはいい。時には咬みつき合いのケンカもするが、血が出る程やらないし、ちょっと叱ればすぐにやめてしまう。トト、ユミとケンの同居は、そんな意味も含めて順調にいった。気がつけば、トトとケンとユミが仲良く遊んでいた。そんな感じであった。
 そこには、まあ当たり前のことの証明であるが、『同居作業をうまくするのには、こうすればいいのですよ。』と示唆するものがあった。ゴロンとトトの同居がうまくゆかない理由は簡単。体格が違い過ぎたのである。オスが大き過ぎると言う風に。では逆なら、メスが大き過ぎる場合はどうであろう。
 それを証明したのが、トトとケンの同居である。何の問題も悩みも生じなかった。ただ将来の繁殖を考えると、あまりの体格の違いは、優劣の関係も含めて懸念は生じるが…。
 今、ゴロンとトトが仲良くしているのを見ると、かってそんな時代があったなんて嘘のようである。なんとか同居させられるようになった頃の、トトのすさまじい悲鳴も、最近は聞くことがない。トトは、ゴロンの気性を充分に飲み込んでいるようである。
 わずかな時期であれ、ユミ、ケンと一緒にいた頃は、良いも悪いも含めてトトの天下であった。いつしかケンと非常に気が合い、夢中になって遊び喜色満面の表情を示していたことが、度々あった。ゴロンの御機嫌をうかがいながらの今の生活では、そんな表情を見るのは、もう無理。が、それでいい。そのほうがずっと自然である。
 さて、それではジュンとリッキー、どんな風に関わり合っているのだろう。それは、次回に語ろう。

« 43号の9ページへ43号の11ページへ »