69号(1989年05月)4ページ
フライングの無法者【無法者 水禽池に移った後も…】
「いつの時代にも悪い奴はいるものだ」は、テレビを見ても、本を読んでも、よく耳にするセリフです。安物のセリフなんていわないで下さい。これは、そのままフライングケージにも当てはまるのです。
担当の経験はないものの、代番者として関わったここには、やはりある種の懐かしさがあります。しかし、どうしてもできる情報の空白、鳥類が苦手なのが輪をかけているような気がしてなりません。情報を提供する者として、申し訳なくも思います。
それはさておき、年ごとに賑わってゆく水禽池を見て不思議に思い、周囲の話をたどってゆくと、たいていはフライングケージから。何のことはない。三代目、四代目の無法者が追放されていたのです。特にエジプトガン、その好奇心の強そうな顔を見ていると何の疑いも持ちません。何よりも“悪さ”が大好き、いった気です。
このエジプトガンは、水禽池に移された後も改心する風は全くなし。むしろ旺盛な好奇心に火がついたようですらありました。
担当者が、池に彼らがいないと心配するのはしょっちゅう。切羽されているので飛べないし、周囲の柵もジャンプして越えるにはちょっと高過ぎると思うのに…。
何処か隙間を探しては、園内を徘徊するのです。まあ、キリン舎の堀で泳いでいるぐらいなら可愛気があっていいのですが、時にはホッキョクグマの池で泳いでいることも。担当者が気付かずにクマを出したら、それでおしまいです。
これじゃあ命がいくつあっても足りないなあ、と思っていた頃に一羽が行方不明に。相方が姿をくらまして、もう一羽の方は少しおとなしくなったように思えました。が、その内に何処でどう話をつけたのか、やはりフライングケージから追放されたカオジロガンと仲よくなって、再び徘徊。
一時に比べさすがに行動範囲は狭くなり、もっぱらラクダ舎の堀が活動の拠点となりました。が、そうこうしている内にこれまた行方不明に。何か言葉を残したとするなら「いいのさ、太く短かくが俺っちのモットーさ」であったような気がします。