70号(1989年07月)3ページ
一九八九年繁殖動物を追う 松下憲行【チンパンジー パンジー母親にな
「ねえ、ねえ、見て。これ、私の子よ。」写真を撮ろうと立ち寄り久しぶりにパンジーと対面、彼女と目があった瞬間、子を見せびらかすように私の元に駆け寄ってきました。
直接の担当はありません。ですが、彼女達がまだ来園したばかりの頃、いわば“顔見せ”である程度の危険は覚悟し、代番でも中に入り直接手から餌を与えていました。その時に咬みつかれ、大喧嘩したこともあります。
類人猿の担当から外れたとはいえ、大喧嘩したことが妙に懐かしく、何とも印象深いパンジー。そいつが母親になったのですから、頑張れと声をかけたくもなります。
実は、彼女二度目の出産です。もう、かれこれ八〜九年前になるでしょうか。“涙の育児体験”をしています。
危なっかしい育児ながら、一応母親らしい仕草も見せていました。が、類人猿全体を襲った感冒は、遂に子供にも感染。体力がなかっただけにあっという間に肺炎まで起こし、わずか四ヶ月でその命を閉じました。
相当にショックだったのか、以来パンジーは交尾を拒否。オスが時には荒れ、かなり乱暴な行為に出てもです。それが尾を引いて、尾を引いて、誰しもパンジーはもう出産することはないであろう、と諦めていた頃におめでたの朗報。
何の工事の為か、パンジーとオスのポコを夜一緒にせざるを得ない事情が生じたそうです。そして、その時にパンジーに微妙な心境の変化が…。
紛れもない証拠は、出産です。彼女は、再び母親になりました。しかも、生んだ日はうまい具合に三月三日ときました。
桃の節句にちなんで「ピーチ」と名付けられた子は、今ようやく離乳が始まり、母親の食べているものに関心を示しているそうです。あとひと息、頑張れパンジー!!