30号(1982年12月)4ページ
第2次中国西安市動物贈呈団来静随行記(その?T) 〜動物受取り〜
(安蔵忠夫)
昭和55年9月に中国西安市民より友好親善大使としてキンケイ、ノガン、レッサーパンダが贈られてきましたが、その内キンケイは、本年産卵し孵化しました。レッサーパンダも市民より名前を公募した中から「唐」の時代の都市「長安」をもじり、オスを「タンタン(唐唐)」、メスを「アンアン(安安)」と命名しました。
残念なことにメスの「アンアン」は昨年8月に敗血症にて死亡し、子供達はもちろんのこと、市民の深い悲しみとなりました。園ではただちに市長名にて死亡したことを報告し、お詫びもいたしました。更に子供達のために、又オスの「タンタン」のためにもメスを飼育したい気持ちを、西安市長に訴えました。その結果、再度レッサーパンダを送りますという返事をいただき、その実現を心待ちにしていたところ、昭和57年10月8日に張光宇団長他2名の第2次西安市動物贈呈団の皆さんが、大阪国際空港に来日しました。静岡市から佐野都市開発部長並び動物受取りのため動物園職員が出迎えました。
直ちにレッサーパンダの健康状態を確認し、通関手続きを待っていたところ、レッサーパンダの他にベンガルヤマネコの輸送箱が2個あり、いずれも静岡市に宛名書されていました。困った事に、この動物はワシントン条約の付属書?Uに該当し、輸入に際しては輸出許可書等が必要とされ、その事務手続きが不十分なために通関ができず、動物の受取りが困難となりました。が、今回の動物は日中友好親善並びに稀少動物の安全保護、収容先が公立動物園という総合判断により、緊急収容という名目で受取りの許可をしてくれました。又、その後の事務手続きは地元の清水税関ですませるよう手配してくれました事は、誠にありがたく、関係者に深く感謝したしだいです。もうひとつの困った事は、当初レッサーパンダだけと思って用意した車に、ベンガルヤマネコの輸送箱が2つ増えたために、受取りに行った動物職員1名が車に乗ることができずに、新幹線で帰静するというハプニングが生じました。
同日午後11時30分に動物大使一行は、人間様の驚き、喜び、困った事など関係なく元気に動物園に到着し、その夜は準備の行き届いた、動物病院の検疫室にて長旅の疲れをいやすため静かに休息させました。
翌日早朝、動物の健康状態を確認したところ、元気良く、時々威嚇動作を見せ、好物のリンゴ、鶏肉などをおいしそうに食べてくれました。レッサーパンダはパンダ舎に、ベンガルヤマネコは夜行性動物館に収容されています。
一方贈呈団の皆さんは、10月15日まで京都市が接待し主に関西地区で過ごし、15日午後来静し、21日までの7日間静岡市が接待することになりました。次回は「贈呈団の静岡来訪」について紹介します。(つづく)