30号(1982年12月)7ページ
モンキー舎だより (その2)
◆ブラッザグェノン 意地悪メスの放出と仔の退院と再入院◆
再び話しは、ブラッザグェノンに戻る。動物商がメスを欲しがっていると言うことで、眼をつけられたのは当然、オスと相性が悪く、子供を産まない意地悪なメス。最近は、その意地悪をもっぱら他のメス親に向け、オスとは互いに距離をおいているようであった。
仔の面倒見はよいのだが、よいと言うより本当に欲しがっているようで、もう1頭のメスが出産した直後は、執拗に仔を奪おうと追い回すぐらいである。たまらず仔を抱きかかえて、必死に逃げる様子を見ると、むしろ仔を産まぬメスのほうが哀れになってくる。ブラッザ語が理解できれば、オスと仲よくしろよと話しかけて、仲介でも何でもしてあげるのだが、こればかりはどうにもならない。
一事が万事その調子だから、もらい手があるのなら出してしまえと言うことになり、7月21日とうとう動物商に渡されたのである。
とたんに勢いづいたのはオスである。俺はボスだ、強いんだと言わんばかりに威嚇するようになり出した。朝食時、ちょっとバナナを与えるタイミングがずれると、とたんに怒り出し早くよこせと言わんばかりに格子をバンバン叩き、攻撃の姿勢を示すのである。
次にサルの習性丸出しの独占欲。うかうかしていると、オスに蹴散らかされてバナナを全部取られてしまうから、メス親も仔も様子を伺い逃げ腰になりながら、必死になって食べている。
そんなこんなで日が経つ内に、2番目の子が退院してきた。肉付きは良くなったが、やはり体は小さく、動きも鈍い。放飼場に出す時も、寝室に入れる時も、のそのそと動き、まったくのとろさに、いらいらさせられ放しであった。
他の仲間に、それほどいじめられているように見えないのに、4ヶ月半の空白は大きいのか、親子兄弟の絆がぶっつり切れて、なかなかうち解けられないでいるようだ。ひとりでしょんぼりしている姿も時々見られた。下の仔にちょっかいを出され、いいように遊ばれるようでは、惨めと言うか、哀れと言うか、結局このままではどうすることもできずに、再び9月5日に入院してしまった。
◆秋に逝ったニホンザル◆
ここ1〜2年やせ方が目立ち、最近は嘔吐をひんぱんに繰り返していたニホンザルのオスが、とうとう末路の様相を示していた。キーパーに勇ましく立ち向かってきた奴が、立ち上がる気力も失せ、横たえて微動もしないでいる。更にうつろに目を見開いた姿を見た時には、哀れとしか言いようがなかった。
ヤクザルに代って婿養子にきたのは、昭和49年5月11日。当座は、さすがにおとなしく、トラブルを起こしたりすることはなかったが、次第にここでの生活になれてくるに従って、持ち前の気性の激しさを示しだした。目と目が一瞬あっただけで、“ガッガッガッ”と威嚇した唸り声をあげて向ってくる。当時、私も若かったものだから、ついけんかになってしまった。虫の居所が悪いと、つい大人気もなくむきになったりしたものである。
それは、対キーパーだけにではなく、先住のメスにも向け、時々トラブルを起こした。メスには先住者としてのプライドがあったのか、いわゆる劣位の者としてのあいさつ行動を取らなかった。取らないととうなるか!これはもう取っ組んでの咬み付き合いである。メスがオスに勝てる訳もなく、肩、手、足をいくどとなく咬まれ、入院させる破目になってしまった。この気性の激しい夫婦にはずいぶんと悩まされた。
そんなトラブルが原因の入院も、ここ2〜3年は記録がなく、子供も生まれなくなった。と同時にオスのやせ方が目立ち始めた。ふんだんに与えた餌をがむしゃらに食べるのだが、ちっとも太れないでいる。そうこうしている内に、嘔吐をくりかえすようになった。本来メスのほうが胃腸が弱くやせていたのだが、心配はオスの方へ行ってしまった。
食欲は、なくなることはなく、よく食べるのだが、すぐに吐いてしまい、それをまた食べたりしている。夏場に入って、それがいっそうひどくなり、与えている薬も一向に効いている気配はなかった。できれば入院させたくない。できるだけ親子、夫婦で置いてあげたいと思っていたが、症状は悪化するばかりで、もう時間の問題であった。いつ入院させるかと獣医と相談している最中、仕方がないから今日取ろうと決めたその日(9月3日)、とうとうニホンザルのオスは、倒れて動けなくなった。その2日後の9月5日、手当てらしい手当てもできないまま、眠るように死んでいった。
私達は度重なった嘔吐から、胃ガンか、潰瘍を想像していたのだが、解剖の結果、原因はそれらではなく、食道にあった。胃の10cmぐらい手前のところが、異様に硬くなっていた。胃腸は正常だったから、倒れる寸前まで食欲を示し、食い意地が張った訳である。食物が食道をなかなか通って来れず苦しみ、嘔吐を繰り返していたのだろう。胃腸薬等をいくら与えても、効果がある筈もなかった。結局、何の救う手だてもなく、忍びよる秋風そのままに逝かせてしまった。(次号につづく)