33号(1983年05月)3ページ
開園以来の動物 (第2部)
開園以来の動物、第1部はキリン舎までを紹介しました。次はフライングゲージから入る訳ですが、この間にもこれらの動物が、急逝したり、あるいはもう助からないのではないか、と思える状態になっているものもいます。命あるものが、いつか尽きるのは自然の理です。まして老齢を迎えているとなれば、いつその日がやって来たとしても、不思議はないでしょう。しかし、その場に立ち会う時の空しさ、やるせなさ、言葉には言い表せません。
前回紹介したダイアナモンキーのオスが逝きました。死因は腸捻転です。容態が急変してからあっという間のできごとでした。老齢ではあったものの、未だに信じられないという気持ちです。それといずれ順路に沿って紹介する筈のキンバトのオスが、かなり衰弱しています。熱帯鳥類館唯一の開園以来の動物ですが、何とか元気を回復してくれるでしょうか。仲間は皆、新しい熱帯鳥類館に移ったと言うのに、1羽ぽつんと病院に取り残されて、うらぶれた姿を見ると哀れでなりません。
◆フライングケージ◆
キリン舎の真向かいが、次に紹介するフライングケージです。ここの狙いは、その名の通り飛んでいる鳥を、そのまま見せようと言うところにあります。従って、ここではケージの外からだけでなく、ケージの中に入って見られるようになっています。もっとも、こんな説明をしなくても、何度か足を運ばれた方ならとっくに知っておられることでしょう。
さて、このフライングケージで飼育されている23種の中には、かなり多くの開園以来の鳥類がいます。ショウジョウトキ3羽、マガン3羽、ヒシクイ2羽、セイケイ1羽、オオバン1羽、オナガガモ2羽、カンムリヅル1羽と言った7種の鳥類です。
彼等、彼女等がここの主、長老となってここの歴史や思い出を語るとするなら、どんなことを語ってくれるでしょう。14年、平凡なようで実にいろんな鳥類が出入りし、繁殖をし、又、死もありました。しばらくは、彼等、彼女等の歴史や思い出の語りに、耳を傾けてみましょう。
「トキさんや、あんたは開園以来じゃと言うても、しばらくはどこかへ行ってなすったんじゃなかったかのう。」
「そう、わしはほんのしばらくの間、熱帯鳥類館にいたんだが、あそこは狭くてたまらなかったな。もっともこちらに来ても、最初はアジの切り身だけで参ったよ。巣を作る元気もでなかったからな。」
「ところで、あんたが来なすった頃、シュバシコウさんがいたのを覚えてますかい。」
「ああ覚えているとも。まあやたらと飛び回って危なくてしょうがなかった。」
「そうそうあの下界との間を仕切ってあるピアノ線は恐かったのに、とうとう突っ込んで、首をつってしまいなさった。」
「今は、そんなこともなくなった。わしらの卵やヒナを狙いに来るチュー公も退治してもらったしな。しかし、アオダイショウの野郎だけは、なんとかならないもんかな。」
「まあそうぜいたくを言いなさんな。昔はオオヅルやペリカンがいて、無法地帯そのものだったんじゃから。」
「そう、あのオオヅルはひどかった。あたしゃあいつの為に何度殺されかけたことか。」
「うん、あのくちばしは恐かった。ひと突きされりゃあ、ひとたまりもなかったからな。」
「ペリカンも殺られたぐらいだ。あのころのわしらは、家庭を持つどころか、1日いちにち生き延びるのに必死だったからな。」
「やっこさんたちがいなくなってから、みんないい家庭を持って子宝に恵まれる鳥さんたちも多くなったね。ひとり、やもめ暮らしのわたしは羨ましくってしょうがないよ。」
「まあまあ、そう言わないで、こうやってみんな仲よくやっているんだから、よしとしなくては。」
「ところで、ここには下界を知ってる鳥さんはいないのかい。」
「おーい、コジュケイさんよ、あんたは外から入ってきたから、よく知っているんじゃないかい。」
「下界の話など真っ平ごめんだね。ナワバリ、ナワバリで追い立てられて、ちょっと油断すりゃネコや犬に襲われて、あっと言う間におだぶつだ。ここにいりゃ、喰いっぱぐれはないし、毎日のん気に暮らせる、こんないいところはないよ。今更下界の話を聞いてどうするんだい。」
「まあそう言いなさんな。そんな風に言ったら、みもふたもなくなっちまうよ。少しは何か話してくれてもいいだろう。」
彼等、彼女等の話に耳を傾けていると、きりがないようです。それでは、彼等、彼女等がいつまでも元気でいることを願いつつ、次のゾウのほうへ足を運びましょう。
◆ゾウ・意地悪ダンボ◆
“ゾウさん、ゾウさん、おはなが長いのね、そうよ母さんも長いのよ”こんな童謡を聞いて、おとなしそうな、やさしそうな眼を見ている限り、どんなに大きくてもゾウは愛くるしい動物です。そう思ってゾウを見ている飼育係は何人いるてしょう。恐らくひとりもいないと思います。
人と同じように年を取ってゆくと言われるゾウにとって、開園以来飼育されて推定17〜18才の年令は、娘盛りと言える年頃です。りこうな動物ですから、この間にいろいろなことを覚えます。ろくでもないこと、覚えなくてもいいことまでもです。序列を重んじる習性に従い、もっぱらそのろくでもないこと意地悪は、担当外の飼育係に向けられます。
そう滅多やたらにゾウ舎に行くわけではないのですが、私たち飼育係の顔を実によく覚えています。ゾウ舎の前でうかつに立っていようものなら、鼻の先に水を含ませてスウッと近づいてきて、狙いを定めてドバッとかけてきます。叱ったところで何の効果もなく、もっと沢山かけられるのが関の山です。更に憎いのはその態度で、人を喰ったような、小馬鹿にしたような様子を示すことです。お客様が見ていようといまいと、あまりの憎らしさに石でも思いきりぶつけてやりたくなります。それでも担当外ならこの程度で治まり、そばに近寄らなければそれで済んでしまいます。
ゾウにまつわる事故、悲劇は、序列の後位として飼育しなければならない者に襲いかかってきます。当園のダンボも、決して前科なしではありません。飼育係を堀に突き落としたり、反抗的に向かって来たりしたことがあるのです。今後はもう大丈夫ですとは、決して言えず、むしろそのことに細心の注意を浮?なければならないでしょう。
現地では1頭のゾウに対して、3代に渡って面倒を見ると言われています。それ程、ゾウは長寿だと言うことです。ダンボも、開園してしばらく経ってから来園したシャンティーも、余程のアクシデントがない限り、まだまだ生き続けるでしょう。平凡でいい、何事もなく無事に過ごしてくれることを願ってやみません。
ゾウ舎を過ぎてしばらく歩くと、小獣舎があります。ここは開園してから、1年近く経ってできたところですが、今はさびれて、ここで飼育されているのは、タヌキとアライグマだけになってしまいました。
この小獣舎より、すぐ近くにラクダ舎が見えます。ラクダと言えば、疥癬しか浮かばないくらい、苦い思い出、経験があります。開園時にやって来たのは、やせ衰えて皮膚がぼろぼろになったラクダでした。治療しても、治療してもよくなるどころかますます広がり、挙句にはウジまで湧き始めて、どうしようもなくなりました。
疥癬(ダニによる皮膚病)は治療にあたった獣医、私たち飼育係にまで及び、そのむずがゆさに悲鳴をあげたくなる程でした。毎日、毎日、硫黄の臭いのする薬風呂につかって、かゆみを何とか止めても、皮膚の一部が黒ずんで後に残りました。特に担当には強く残り、しばらくは家に帰ることすら、許されなくなってしまった程です。
さびれたり、苦い思い出、経験のあるところに、開園以来の動物がいよう筈がありません。それでは次に参りましょう。
◆ペリカン・オス◆
動物園のもっとも野鳥の宝庫と言える2つの水禽池、飼育されている鳥類の中に野鳥がいると言うより、野鳥の中に飼育されている鳥類がいると言ったほうがいいかもしれません。特に冬場はそのほうがぴったりと言う感じになります。
この下の池の方で2羽の大きな淡い桃色をした鳥が、すいすい泳いでいるのを御存知でしょうか。フライングケージを追われて、池で飼育されるようになったモモイロペリカンのペアです。このオスの方が、開園以来ずっと飼育されています。
当初、フライングケージでオオヅルと一緒に飼育されていた頃は、このペリカンも被害者の部類に入るでしょう。どうしてトラブルを起こしたのかは分かりませんが、前のメスが頭部に剣のようなくちばしできつーい一撃を受けて、あえなく昇天させられるようなことがあったのですから。
まずオオヅルが追放されました。それを待っていたかのように、次に無法を働いたのが、このモモイロペリカンです。無法者がいては、他の鳥類の繁殖に差し支えます。と言うことで、このペリカンも追放の憂目にあいました。
ペリカンが池にやってきて一番迷惑を被ったのはコイでしょう。今までは食べられる心配もなく、のほほんとしていると、ペリカン夫婦が手当たり次第に、パックンパックンと食べ始めたのですから、たまったものではなかったと思います。餌の時間が来ても食べに来なかったことがしばしばあったと言うのですから、どれくらい食べたのか、想像がつこうと言うものです。今でも、けっこういるにはいるようですが、ペリカンを警戒してすっかり息をひそめているようです。
このペリカン夫婦のメスの方が、今年の春先、全体のモモイロの輝きが増し、おでこがふくらみ、後頭部に飾り羽根が出て、しかも行動がそわそわしているようで、いつもと比べておかしいと思えることがありました。過去の資料を調べ、営巣を迎えているのではないかと色めき立ちましたが、残念ながら産卵すら見られませんでした。
◆ボウシテナガザル◆
前記のペリカン夫婦が、いつも骨休めするところにテナガザルの島があります。このテナガザルの島の主、ドンも開園以来の動物です。今はひとりぼっち、淋しいかと聞けば、淋しいと答えるかもしれません。でも前妻を亡き者にしたのは、ドン自身の筈です。誰も目撃者はいませんが、いじめて追い回していたのは周知に事実で、それまでも度々池に突き落としていました。ひとりぼっちになったのもしょうがないかもしれません。
それでもドンの側に立つなら、彼自身の言い分も聞いてあげられるでしょうか。シロテナガザルのメスを亡くして、新たなペア作りを行なう時、亜種間はまずいと言うことでボウシテナガザルのメスを求め、やっとのことで手に入れました。しかし、このメスはどこか変でした。いつ見ても隅っこで小さくなって、足の指をチュッチュッと吸っていたのです。
これは私の独断ですが、人工哺育で育った個体ではなかったかと思います。とすると彼女自身、自分がどこまでボウシテナガザルであるかを意識していたかは、はなはだ疑問です。そんな2頭が同居して、心が通じ合う道理はなく、トラブルが起きても致し方ありません。とすればドンを責めるのは酷どころか、むしろ彼自身も被害者になってしまいます。
以前にも、人工哺育することの空しさを語ったことがあります。これも私が独断した通りのケースなら、人工哺育への空しさが増すばかりです。
◆オオヅル・メス◆
上の池のほとりに、これまでさんざん悪者扱いしてきた、オオヅルの夫婦がいます。このメスの方が、開園以来の動物です。
もともと、こんな大きな鳥をフライングケージで雑居飼いしようとしたのが、無茶な話だったのです。ひと一倍なわばり意識が強くて他を圧倒したとなれば、我が物顔にのし歩いても何の不思議があるでしょうか。それを責めること自体間違っています。強さを誇示して、なわばりをしっかり確保しなければ、まず繁殖することはありません。このオオヅル夫婦は、強さの証明として、フライングケージにおいてもヒナをかえしたし、池のほとりのここでもどんどんヒナをかえしました。一時期、土壌細菌によって途中でヒナを死なせたりしたこともありましたが、昭和55年・56年には、一度に2羽も育てあげたりもしています。
このところ、産卵はしてもフ化に至らなくなっています。往年のパワーが衰えたのか、それとも一時的な不発だったのか、今年の夏場頃にその答はでるでしょう。本当にパワーが衰えているのだとしたら、オオヅルよ、お前もかと言う気持ちになってきます。
何年前のことでしょう。担当でもないのに、ヒナを育てている真只中、1日だけと言いながら、その面倒を見なければならなかった時の恐かったこと。ファーと威嚇する声をあげて、翼を大きく広げ、一歩も後に下がろうとしないのです。次にどう出て来るのかまるで分からなく、ただうろたえ、たじろいで餌を与えると、逃げるようにオオヅル舎を出たのを覚えています。
そんな迫力がなくなったら、先は短いものです。勇ましかったダイアナモンキーの親父も最後は恍惚の人のように物静かになってしまいました。
◆アネハヅル◆
オオヅル舎を過ぎてしばらく歩くと、中国より親善使節として贈られてきたノガンがいます。その横で飼育されているアネハヅルが、地味であまり目立たないものの開園以来の動物です。
長い間、フライングケージで飼育されていたのですが、ノガンの横に造ったツル舎が空部屋のままだたので、急きょアネハヅルに白羽の矢?がたった訳です。どちらかと言えば、タンチョウが飼育できるようになるまでの仮住居であまり居心地はよくないかもしれません。
ツルは千年、カメは万年と長寿の代表としてよく言われますが、実際のところはどうなのでしょう。当園でも3種類のツルが飼育されている訳ですが、事故死は別にして、成鳥で来園したのにも拘らず、長らく飼育されて病死したのは、カンムリヅルの1羽だけです。確かに長寿と言えるかもしれません。
飼育ハンドブックを開いて、ツル類の長寿記録を調べますと、一番短いのでクロヅルの11年8ヶ月、他カンムリヅルは25年7ヶ月、オオヅルは22年3ヶ月、日本を象窒キるタンチョウヅルで36年、驚く程の長寿記録としてソデグロヅルの61年8ヶ月(アメリカ・ワシントン動物園)と言うのがありました。
繁殖にも導けず、13〜14年飼育したぐらいでは、とても威張れません。長寿の要因として個体に恵まれこともあったでしょうが、その裏には、飼育係の並々ならぬ努力があった筈です。何年か後、また同じ主題で取り組んだ時、この中の何羽かは、まだ元気でいますと紹介したいものです。
以下次号に続く。
(松下憲行)