34号(1983年08月)5ページ
開園以来の動物 (第3部)
動物園の1年はいかがでしたか。良くも悪くも動物と歩む日々が続き、泣き笑いがずっしりと横たえます。今も、チンパンジーのリッキーが、下痢を続けていっこうに治らずに離乳食がおあずけ。オランウータンのジュンも下痢が続いて悪戦苦闘。人工育雛では、コンドルが奮戦の真只中で、他にも、オオヅルの久しぶりのフ化、チリー・ベニイロフラミンゴの待望のフ化等と、様々な話題が尽きることはありません。
来年も、再来年も、このように動物と共に歩む熱い日々が続く限り、“でっきぶらし”に動物園の1年のシリーズを連載してゆきたいと思います。
さて、中断していた開園以来の動物第3部と相成る訳ですが、主題が主題だけに、この間にも姿を消したり、消そうとする動物がいます。ギボン島のドンが、横浜市の野毛山動物園へ婿養子に行きました。お嫁さんが3人(頭)も待っていると言うのですから、これはむしろ祝ってやるべきでしょう。それと夜行性動物館のキンカジュー夫婦が、ツチブタと交代し、動物病院で今度の自分の行き先を待っています。もうひとつ、衰弱していると伝えたキンバトのオスが、残念なことに健康を回復できずにこの世を去りました。冥福を祈ってやって下さい。それでは本題に入って行きましょう。
◆ ダチョウ ◆
旧夜行性動物館を通り過ぎると、ダチョウ舎があります。かつては、ニルガイが飼育されていたところですが、今いるのはダチョウのオスが1羽、メス2羽の計3羽。この内のメス1羽が開園時より細々、本当に目立たずに生き永らえています。と言うのも、今もって毛づやが悪いだけでなく、たまに話題になっても、全く素っ頓狂な事ばかりでした。
何年か前の話でしょう。担当者が「これ、なんだ。」と言って、皆の前で手のひらに乗っている小さな卵を見せました。一同、首をかしげてウーン、分かろう筈がありません。ダチョウのタマゴと言えば特大で、手のひらに乗るどころか、両手でしっかり支えなければいけない大きさです。まさか、そんな小さなタマゴを、どうしてダチョウが産んだと思えるでしょう。さんざん考え込ませておいて、担当者はニタッと笑って、「ダチョウが生んだんだよ。」と答えました。これには、誰しも信じられないと言う顔付きで「エーッ」。
とにかく、今までに一度たりとも、まともなタマゴを産んでくれたことはなく、たまに産んでも、軟卵と言ってブヨンブヨンのタマゴか、黄味の入っていない小さなタマゴぐらいのものでした。
素っ頓狂な話はこれに止まらずに、カラスに背中の肉を食べられてしまったとか、便秘で苦しんでどうしようもなく、やけのやんぱちで蔦の葉を与えたらムシャムシャ食べて治ったとか、こんな話を探すとまだまだ出てきそうです。
言い換えれば、それだけ歴代の担当者はダチョウの健康維持に苦労させられていると言うことです。「いろんな餌をいろんな方法でやってみたけど、結局だめだったなあ。毛づやはよくならなかったなあ。」と語ったかつての担当者の言葉に、いみじくもその苦労が表われていると思います。
◆ 夜行性動物館・ワシミミズク ◆
ダチョウ舎を過ぎてすぐ、シマウマ舎の前に、新設された夜行性動物館があります。この中に14種類が展示され、その内の何種類かは、旧夜行性動物館より引っ越してきた動物です。更にそこから開園以来の動物はとなれば、ぐっと限られワシミミズクだけになってしまいます。
大きなグリグリした眼でこちらをにらみつけ、バシバシとくちばしで警戒音を出す姿を見る時、いかにも夜行性の猛禽と言うイメージが焼きついてきます。ここにいなくてはならない存在のひとつと言えるでしょうか。テレビ等で夜行性動物の取材となれば、まずこのワシミミズクが代表に選ばれました。
ほどほどに付き合い、懐かしい思い出のようなものには欠けますが、人が見ていると決して餌には手をつけぬ、おおよそ妥協のないその態度は、長年飼育していればたいてい人なつっこくなる中で、それは返って魅力的ですらあります。夜行性動物館の主として、いつまでも元気でいて欲しいものです。
◆ キンカジュー夫婦 ◆
ツチブタが入って夜行性動物館から、動物病院に追いやられたと言っても、立派に開園以来の動物です。むしろこの動物のほうが、歴代の担当者にとって、思い出が深いのではないでしょうか。
ここで、“でっきぶらし”ファンなら、ぐうたらママワーストテン(第4号)や、繁殖賞を受賞した動物(第13号)を思い浮かべて頂ける筈です。「えっ、もうお忘れになった。」そうですね、もう1年以上も前の話です。もう1度ぐうたらのくだり辺りも含めて紹介しましょう。
かつての夜行性動物館で、曲がりなりにも繁殖に導けたのは、このキンカジューとインドオオコウモリだけです。他は飼いこなすだけで精一杯でした。もっともハクビシンのように、完全に証拠いん滅を図っていたような感じの動物もいますが・・・。
食肉動物は落ち着ける環境で飼育しなければ、決して子を育てないと言うことは、何度もお話しています。アライグマの仲間であるキンカジューも、決して例外ではありません。旧夜行性動物館のような獣舎作りは、もうひとつ動物に落ち着きを与えることができなかったようです。結果は、5回も繁殖に導くことができたものの、初回に耳をかじられて人工哺育(繁殖賞を受賞した動物・13号参照)に切り換えてかろうじて育てた以外は、食殺、死産等でことごとく失敗しました。
ふだんは割と人なつっこくかわいらしい動物ですが、繁殖に関してはただの1頭のみ成功しただけの結果に終わってしまいそうです。もっとも最近の出産で昭和54年6月10日ですから、もうかなりの高齢かもしれません。静かに彼等の余生を過ごせる場所を探してあげられたらと思います。
◆ ロバのマコ・ポニーのマミー ◆
子供動物園と言えば、幼児教室。上野動物園の活動を参考にして始められたのは、開園して間もなくの頃です。それは、飼育係の熱意と善意からのスタートでした。
ウサギやヒヨコに触れたり、ヤギに餌を与えたり、オランウータンと握手をしたり、更にヘビにもさわってみたり・・・。幼児にとってそれ等より楽しみだったのは、ロバかポニーに乗ることだったと思います。
人数が多ければ柵内を半周巡るか、あるいは少しの間乗る程度だったそうですが、それでもヘビやオランウータンと違って、怖がる子がいたと言うような話は聞きませんでした。
前期に頑張り、今は引退しているロバのマコ、現役で今も頑張っているポニーのマミー、共に開園以来の動物です。特にマミーは、日本平動物園の開園祝いに東山動物園より贈られて来た親善大使でもあるのです。その役割を今、十二分に果たしていると言えるでしょう。この後も、もっともっと多くの子等を乗せ、活躍してくれるものと思います。
老いてマミーにその座を譲ったマコ、今も時々へばり込んだりして、獣医の世話を受けることが時々あります。とすると、交代期に見せたあのへばり方は、演技ではなく、本当だったのでしょうか。
子供を乗せてしばらく歩かせると、すぐにゼイゼイ、ハーハーして、もうたまらん勘弁して下さいと言うように弱りきった態度を取ったそうです。かわいそうだから今日はこのぐらいにしておこうとして、部屋に戻そうとすると、とたんに元気を回復してぴんしゃんし始め、飼育係をあきれさせました。何処まで演技だたのか、当のマコは未だに答えてはくれません。
以下、サマースクール特集号を掲載した後に、第4部に入りたいと思います。
(松下憲行)