42号(1984年11月)7ページ
良母愚母 第1回 マントヒヒ(永遠の愚母)
今は、おりません。でも、これを語らない訳にはいきません。正に愚母、ぐうたらママの象駐I存在でした。育児のかけらも知らない、どうしようもないサルでした。だからこそ、この主題で語る限り、登場せざるを得ないのです。
開園してから5年足らずの間に出産は実に7回に及びました。常識的にはあり得ない回数です。放棄するからやむを得ず人工哺育にする、だからすぐ発情が来て妊娠する、その悪循環の繰り返しが、そんな数字となって表れたのです。
当初、開園まもない頃は、動物全般が幼かったこともあって、人工哺育でも繁殖は繁殖と多少なりとも歓迎する空気がありました。マントヒヒにしたところで、初産の時は子がオスに咬み殺されてしまうと言うショッキングなことがあったあとだけに、大事に育てようとする気持ちのほうが支配的でした。その後、絶望的な人工哺育が繰り返されるとは、誰も思いもしていなかったのですから。
チョウスケ、チョウジ、チョウゾウ、オワリ(終わり)、トメ(止め)、○○コ(メス、ここではとても書けない名がついた)、それぞれ人工哺育する時につけられた名前です。最初は、テレビの人気番組に出てくる人形の名前がつけられ、いかに大事に育てられたかがわかります。が、その名前を追ってゆくと、だんだんうんざりした気分に変わっていったのもわかろうかと思います。最後のメスの名前に至っては何を言わんかやです。
“抱く”ということを、この母親は知らなかったのです。知らなかったゆえに悲劇が繰り返されました。全くうんざりしするぐらいにです。では、母性愛はなかったのでしょうか。私には、そうは思えません。
取り上げようとした時は、やはり子を持って逃げました。(抱いて、と書けないのが残念。手や足を持って引きずったのだから、致し方ない表現。)それが精一杯の愛情表現ではなかったでしょうか。当時は、うとましいばかりでしたが、いなくなって10年以上も経てば、かわいそうなサルだったのだなあと、育児を知らない哀れさばかりが偲ばれます。
以下、次号に続く。(松下憲行)