43号(1985年02月)3ページ
良母愚母 第四回【アメリカバイソン(良母から良母そして良母候補と…
皮膚ガンで非業の死をとげたネブラスカの若者(日本平動物園の開園祝いに、姉妹都市のアメリカ合衆国ネブラスカ州オハマ市より寄贈を受けた)キッド、後を追うように七番目の子を産めずに逝ったシズカ、世代の交替は順調に進みながらも、アメリカバイソン舎には悲しい歴史が秘められています。
以前にも語ったことがありますが、来園当初の彼らの強い印象と言えば、獣舎の隅の小さな隙間からの信じられないような脱走です。私が、モンキー舎を掃除していると、眼の前をアメリカバイソンがとことこと駈けてゆきました。「あれa[何で…」と呆気に取られて見ていたのを覚えています。
どうやって捕えたかの記憶は、定かではありませんが、当時まだ完全離乳していなかった筈。逃げたと言うより、担当者と遊んでいる内に、駆け出したぐらいに思ったのです。だからぼんやりと眺め、暫くつかまえにゆこうともしなかったのです。
そんな彼らも成長は意外に早く、三年も過ぎた頃には、西部劇に出てくるい逞しいバイソンのイメージを伴なうようになりました。そうなると繁殖が楽しみになってきます。初産は、昭和四十八年五月、長女メリーの誕生です。
育児に関するトラブルは、一度も聞いたことがありません。「産まれたよ」の情報に様子を窺いに行って、そこに見られたものは落ち着いた仲睦まじい親子の光景、二度目も三度目も、それは変わることはありませんでした。
このバイソンであれ、他の動物であれ、何らかのトラブルは付き物です。が、親が子をどうのこうの、バイソンにはそれがありません。もし、良母ベスト10を組んだなら、トップの最有力候補になることは受け合いです。
そこまで言い切れるのは、良母はシズカだけではないからです。長女メリーもやがて初産を迎えたのですが、これも見事なものでした。現在に至るまでの子育てで、飼育係を泣かせたことはありません。最高級の良母の折り紙がつけられます。
良母から良母が、そして次の候補がナオコです。まだ二才余り。出産を期待するのは少々早過ぎますが、きっといい母親になってくれるでしょう。何と言っても、良母に囲まれ育ったのです。まかり間違う筈がありません。