44号(1985年03月)15ページ
涙を飲んだ動物たち・その後【ナマケグマ】
四年前、人工哺育に失敗し、「順調に育っているように見えても、小さな命はもろく、あっけないものだ」と述べました。すくすく育っていただけに、その感を余計に強くしました。
それから毎年、少なくとも出産は見ることができました。が、その結果は毎度ゝひどいものでした。放飼場に出血跡があっただけ、食べられて頭骨や助骨の一部が残っていただけ、胎盤が残っていただけ、全く眼も耳も口も閉ざしてしまいたくなるぐらいでした。担当者が、一番辛く口惜しかったでしょう。
せめて子供を生かして取ろうと、かなり以前から巣箱を入れてはいたのですが、それを利用してくれる気配はありませんでした。それともうひとつ、子供を食べてしまわないように、効果があるかどうかは分かりませんが、担当者はせめてもの思いで肉類をより多めに与えるようにしていました。でも、効果らしい効果は見られずに来ていたのです。
昨年十二月暮れ、巣箱からワラを半分取りだし、もう諦めかかった頃、例年よりかなり遅れてその巣箱の中に子を産みました。しかも食べてしまうこともありませんでした。そのままにしておけばいい、普通ならそうです。
が、今までの経過を見て、そんな母親のどこが信用できるでしょう。巣箱からうまくおびき出し、子は取り上げました。
もう一頭産む筈。急いでワラを増やし、親を元に戻しました。翌日、子の声が聞こえました。そこで昨日のように親をおびき出そうとしたのですが、親はまったく動こうとしません。ハラハラしながらも、これは親に任せるしかなくなりました。
それはそれとして、人工哺育に切り換えられた子のほう。最初から今ひとつミルクの飲みが悪かった子は、三日後に体温が下がり始め、あえなく死亡。涙は尽きぬ状況が続きました。その知らせに、今年もまたダメかと無念の思いは尽きず、ため息ばかりが幾度も出てきました。
「親がちゃんと子の面倒を見ているみたいだ」の情報が入ってきたのは、それからしばらく経ってからでした。餌を持って入ると、鳴き声がしっかりと聞こえると言うのです。親が餌を食べる為に巣箱よりでると、親を探して子が鳴くのです。
それから三ヶ月経った現在、子の姿をチラッとながら見たとの情報は、徐々に増えています。暖かく陽気のよくなる頃、桜が満開になる頃かツツジが満開になる頃かは分かりませんが、親子の仲睦まじい姿が見られそうです。子の成長記録を撮っているひとりとして、その時が待ち遠しくて仕方ありません。
それもこれも、担当者の努力によってです。気長に構え、創意工夫を怠らなかったからです。その粘ばりが、愚母を良母に変身させ、今までの涙を返上しようとしているのです。