でっきぶらし(News Paper)

« 46号の7ページへ46号の9ページへ »

オランウータン・クリコ 体温から何が見える4

 オランウータンのケンが北海道に行ってしまって、検温する相手は母親のクリコだけになってしまった。呼吸器系の病状が進行していて、それは健康管理の意味合いの強いものであった。2年に及ぶ検温ですでに正常範囲をつかんでいたし、何がそれを揺り動かすかも承知していたからだ。
 検温を始めたのは、ジュン(1982年5月31日生)を身ごもって中期に入った頃からである。咳き込むことが多くなり、又食欲不振が気になって測り出した。まだ体調は少し狂い出したばかりだったので、朝夕、割合に安定。年間のトータルを見て、それを基本、基準に考えても良いのでは、と思えたぐらいだ。
 ただ気になったのは、運動をあまりしない個体の為か、外気温や天候の影響を思いの他強く受けていたことだ。それにフロアヒーター。季節の変わり目時では、入れる入れないで朝の体温は一度内外の差が出た。
 今では、フロアヒーターにもサーモスタットを備え付けることは常識になっている。が、10年前にはそんな気の効いたものはなかった。いや、あるにはあったろうが、ほどほどに効いていればいいのだからと、そこまでの必要性が重視されていなかった。
 余談になるが、サーモスタットを備え付けられるようになったのは、体温に対する影響の為ではない。低温火傷から防ぐ為である。動物が暖かい床にへばりつくように寝て、それも毎日毎日とあって、皮膚が赤くはれたケースが多々見られた為である。
 体温との因果関係がはっきりしていれば、“フロアヒーターにもサーモスタットを”の考え方はもっと早く進行していたかもしれない。が、それをもう論じる必要もないだろう。当園に限らず何処の動物園でもそれは常識化しているからだ。それでも、体温との関連をデータではっきり示せば、意外な驚きとして受け止められるかもしれない。病気になった時の操作にも役立つだろう。
 もうひとつ、放飼場での首をかしげる現象は、運動をしないからなのか、あるいは病気が進行して体調の狂いとしての予兆だったのか、夏場に向かって体温の平均は上がり、秋口にかかると再び下がっていったことだ。同じように測っていたケンは、そんなことがなかったのだから、この外気温との同じ動きには疑問と不安が残った。もっと早くから始めるべきだった、との悔いも残った。
 翌年よりは、当然のことながら、フロアヒーター、外気温、更に天候との絡みをも見つめるようになった。そしてそこから聞こえた病魔の静かながら確実な足音。体温は着実に不安定さを増していった。
 季節の変わりめの激しい変動を避けようと、寝台に張ってもらったベニヤ板も思うような効果を上げず、夏場はやや上昇、冬場は逆に下降するといった具合に裏目に出ることすらあった。放飼場においても、晴れれば上がる、曇ったり雨が降ったりすれば下がる。体温の揺れはより一層激しくなっていった。 
 それでも1983年台(死亡前年)はまだよかった。年が明け、本格的な冬に入ると同時に体温のリズムはもうメロメロ。春になれば体調を持ちなおし、体温もそれなりのリズムを作ってくれると思え、ひたすら暖かくなるのを待ったのだが・・・。
 待っていたのは、時にはどうしようもなくなっているのでは、と思えるくらい崩れた体温のリズムであった。寒い時には簡単に36度を割っていたのが、暑い時には逆に38度を容易に越えるようになった。体温の調整能力がすっかりおかしくなってしまっていたのだ。
 冬場に入って、36度を割ること実に10回。こんなことは今までになかった。特に3月13日の午後はひどかった。体が硬直していたのでピーンと来るものがあったが、測ってみるとわずかに35度1分。体調はこちらが思う以上に狂っていたのだ。
 春から夏にかけて、逆に38度を越えること21回。こんなことも今までになかった。暑いと言うことは、クリコに微熱が生じるということ。そう言い切っていいぐらい、外気温と晴れ具合の絡みで、体温は上昇し微熱の域に入った。
 口にこそ出さなくても、いよいよ腹をくくってしまった。食欲がガタガタと落ちた上に、どうしようもなく狂った体温のリズム。何ひとつ希望の持てる要素はなかった。2年前の体温表と比べればそれは一目瞭然で、直感を証明するデータが悲しく横たえていた。
 死ぬ少し前、ほんの1ヶ月ぐらいだったか、食欲が回復し、体調をやや持ち直したことがあった。体温表はそれをも見事に表している。8月の下旬頃より、朝夕ともにそう微熱を発さなくなっているのだ。特に午後は、やや高目であったがほぼ正常範囲を維持し、朝夕の体温が逆転(朝の方が低くてふつう)することもなかった。そして9月19日の嘔吐、発熱。一抹の喜びを与えてくれた後はあっけなかった。
 前回でも、体温の安定とは何であろう、異常とは何であろうと疑問が湧いた、と述べた。クリコの死に際しても、更にその疑問が増した。常識を常識とは考えず、疑問をぶっつけてみようと思ったし、「検温」を自らの飼育係生活のテーマに据えようとの根のつき始めでもった。歩みは着実に進んでいる。

« 46号の7ページへ46号の9ページへ »