47号(1985年10月)10ページ
オランウータン 嘆きのベリーに思う
松下憲行
いや、全くみすぼらしい。来園時の面影などもう何処にもない。三つあみが編めた長い髪も、マントのようにふさふさした背中の毛も、すっかりすり切れ、肌がもろに露出していっそうわびしさを誘う。
逃げ回るベリーを、ジュンが追い毛を引っ張る。毎日毎日それを繰り返すうち、気がつけばそうなっていた。放飼場の掃除の度に毛玉が排水口にたまり、いやな感じを受け懸念していたことが、そのまま現実の姿となってしまったのだ。
ジュンが悪いわけではない。実際、2頭の動きを追っていて感じるのは、ベリーのオランウータンとしての自覚のなさである。『こんな汚いサル嫌い』と言いたげな仕草が、はっきり見てとれる。そうであろう。今まで人の中で育てられ、うんと可愛がられてきたのだ。『汚いサル』との同居は、苦痛以外のなにものでもなかったであろう。
熱も出した訳である。ひどい時には平熱のピークを1度近くも上回ったのだから。ジュンをどれほど嫌悪したのか想像がつく。だからといって『左様でございますか。それでは同居することはやめに致しましょう。』と言う訳にはいかない。どうにも仲良くして貰うことが、絶対の条件である。
ここでベリーにまず望まなくてはならないことは、自分はヒトではなくオランウータンであるということ、その為の心構えを、ジュンを通して学ぶことである。ジュンを毛嫌いしている限り救われないのは、ベリー自身。今は、自分で自分を不幸にしているとしか言いようがない。
見合い期間が1ヶ月余り、それから更に3ヶ月。いい加減に仲良くなってもよさそうなものだが、仕方なしに一緒にいるだけで前進している様子はない。毎朝毎朝私に抱かれて満足、ジュンと一緒にされてギャー。そしてしばらく追い駆けっこの繰り返し。
でも、見通しにそう悲観することもあるまい。ベリーにしてもジュンにしても、まだ若い。いや若いというより幼いといったほうが良い。それにベリー自身の自覚のなさはともかく、ジュン自身は決していじめているつもりはなく、ただひたむきにベリーに気を寄せていることに、何よりもの救いがある。
それに何だかんだと言いながら、わずか1ヶ月余りの見合いで同居が可能になったのだ。見合いさせた当初など、全く見通しが立たず、長期戦を覚悟したにも拘わらずである。ゴリラの場合など、完全に同居させるのに1年8ヶ月もかかっている。それでいながら、その後も問題らしい問題を起こしていない。
それを唐ワえれば、今の苦労などゴリラの担当者に笑われそうである。双方が少々ムキになったところで、咬みつき合いになる訳ではない。ベリーがすさまじい悲鳴をあげたところで私が駆けつけ、ジュンを叱ってそれでおしまい。多少の怪我もあるが、咬み傷はなく、たいてい何かに体をぶっつけた弾みで、である。この辺もゴリラの同居作業時に比べれば軽い。
一人前になるまで、まだ6〜7年はかかる。要は、気の長い闘い。その間に少しずつ、一日一日、あるかないかぐらいのわずかな歩みでいい。その程度の歩みでも年月が積み重なれば、立派に前進している。今、ベリーに求めるのは、それ。私に依存するのはいいとして、ジュンを自らの心底からの遊び相手として欲しいのだ。2〜3年後、あるいは3〜4年後にそんな姿を期待している、と言っていい。
まだ体の出来あがっていないベリーは弱く、すぐ熱を出す、下痢をするので、ハラハラ、ドキドキのしっ放し。増してや日ごとに寒くなってゆく現在、戦々恐々として気の休まることがない。が、それを乗り越えないことには、ベリーにも、私にも、笑いはない。とにもかくにも、ベリーの健康を維持することが、私の絶対の使命である。
◆補足として
私のこの愚痴話は、見えにくかったでしょうか。オランウータン同士が一緒にいながら、どうして仲良くならないのか、かなり疑問を持たれたのではないかと思います。
ここには、人工哺育と、介添えを要しながらも自然保育で育った個体との違いがあるのです。私たちがどの動物にしろ人工哺育を嫌うのは、自覚を奪ってしまうためです。つまり、大きくするのがヒトである為に、自らもヒトと思い込んでしまうことです。結果として、当然のことながらヒトとの付き合いがうまくなっても、同種の動物との付き合いが下手になってしまいます。
オランウータンのベリーとて例外ではありません。だからこそ現在の苦労(ベリーの)があるのです。オランウータンとの同居が遅ければ遅い程、その苦労は大きくなるだろうと思います。それを唐ワえれば、2才半くらいで同居を始めることができたことに救いを感じます。
将来の問題にも大きなものがあります。もし、無事に出産するようなことがあっても、まず自らの力での育児は無理でしょう。(これも人工哺育の影響)せめて、母性愛だけでも示してくれれば、と願っています。私自身、ベリーとの信頼関係を築くのにやっきになっているのも、クリコにしてやれた介添保育を、ベリーにもしてあげたいと望む一念からなのです。