52号(1986年07月)7ページ
思い出の動物達◎オウサマペンギン
ペンギンを飼うには、静岡は暑過ぎるのでしょうか。ペンギンの飼育成績は概してよくありません。オウサマペンギンも、五〜六年の飼育で姿を消してしまっています。
私にとって忘れられないのは、開園して間もない頃に寄贈された、一時は名古屋の東山動植物園にも預けられたことのあるオウサマペンギンです。感慨深くならざるを得ないのは、環境に慣らし餌付けるのに、ひとかどならぬ苦労をさせてくれたせいでしょう。
逃げるのを追いかけてつかまえる度に突っつかれ、食べさせるのにも少々“コツ”を要しました。名古屋の東山動植物園に再度預けたこともあって、そんな餌を与える為の“鬼ごっこ”を足掛け二年にも渡って繰り広げさせてくれたのです。思い出も一際になる訳です。
そんな苦労のお礼が人見知り、私と代番者の明確な区別。環境にも慣れ、私の手からすんなり餌を食べるようになり、もう安心と思った頃、代番者から思わぬ愚痴が漏れました。手から受け取らないどころか、顔を見ると逃げ、さっさと池の中へ入ってしまうというのです。
休日の時、たまたまペンギン舎の前を通りかかり、はっきりとその光景を見せつけられた時には、思わず苦笑いしてしまいました。いやはやこんなずっこけ場面、他園ででもあるのでしょうか。
元々飢えには非常に強く、数日間食べなくとも平気で耐える鳥ですが、いずれやってくる担当替えを考えると“人見知り”は少なからず心配になりました。
で、敢行したのは、突き離し作戦。食欲が増す換羽期前を糸口にして、手からではなく、フンボルトペンギンと一緒に自力で食べるようにしむけていったのです。
それが効を奏して、担当が替わってからも何ら支障はきたしませんでした。が、最近どうも調子が良くないと聞き、腸炎で死亡するまで、そう長い月日を経てなかったように思います。しばらくは「あいつがいなくなったのか」と空虚な、やるせない気持ちに覆われました。