でっきぶらし(News Paper)

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思い出の動物達(?U)◎アメリカバイソン

今でこそバイソンは何処の動物園でも見られるものの、十七年前の当時としては、アメリカ合衆国・ネブラスカ州・オマハ市より開園記念として贈られてきたとあって鳴物入りの登場でした。上野動物園系統以外の新しい”血”としても歓迎されました。
元々が、何故こんな動物が絶滅の危機に瀕したのかと、不思議に思わせられる動物です。当初、まだ離乳しているかいない程度の子であったものの、飼育する上での苦労はそうなかったように思います。
ただ面白かったといえば語弊がありますが、あまりにも小さかった為に、放飼場の隅のわずかな隙間から脱走してしまうという事件が一度ありました。モンキー舎の前をピョンコ、ピョンコ。笑いの伴った脱走事件は、後にも先にもこれひとつだけです。
成獣になるのは早く、繁殖も予想以上にスムーズ。バイソンの放飼場は、あっという間にアットホーム的な雰囲気が漂うようになりました。それも、毎年、毎年、こよなく暖かさを展開してくれました。
しかし、いつかは衰えを見せるものです。おおよそ何事もなかった中で、担当者が嘆きの顔を見せ始めたのは、もう何年前のことでしょう。かれこれ五年は経つでしょうか。
異変は、まずオスのキッドから。顔面より膿汁がたれ始め、採食量が落ち出し、次第に“やせ”が目立つようになりました。
何度か、顔面の膿んでいる部分を取り除く治療がほどこされたものの、全く効果なし。効果がなかった訳です。死んで解剖してみれば、皮膚ガンは顔面から肩口にまで広がっていたのです。わずかに一部を取り除いていただけだったのです。
その後を追うようにメスのシズカも数ヶ月後にあの世へ旅立ちました。メスとして最も悲劇的な形で・・・。
すでに過去に六頭出産し、やや衰えが見える中で妊娠。それでも、亡きキッドの最後の遺児を誕生させてくれるとの期待があっただけに、難産の末に両方とも駄目とは、担当者にしてみれば、二重三重のショックではなかったかと思います。
今も広がるバイソン舎の親子仲睦まじいのどかな風景。もう、そこにはキッドやシズカの影すらも見られませんが、そこにいる親や子は、紛れもなく彼らの末えいです。

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