54号(1986年11月)9ページ
昭和61年をふりかえって
三宅隆
いつもの事とはいえ、過ぎてみればアッという間の一年ではありましたが、日誌をめくってみると、やはりそこには色々な出来事がしるされていました。動物の生死は言うに及ばず、商工部への移管、キンクロライオンタマリンの移送、将来構想の確立等々。そのあたりを少しふり返ってみたいと思います。
まずは動物の面から見てみましょう。全般的に言えば、前半は順調、後半はズッコケと言ったところでしょうか。順調の原因は、よく繁殖した事です。昨年に続くエリマキキツネザルの繁殖。人工哺育ながら初めて育ったヒトコブラクダ。アメリカバイソンは一日違いで二頭、それも雄が。ブリーディンググローンが大成功のタンチョウ。持ち込み出産ながら四頭の内二頭が育ったココノオビアルマジロ。自然フ化育雛に成功したコンドル。久しぶりのアシカやピューマの子。マレーバクの三度目の出産。(一日遅れで、福岡市動物園へ貸し出しているトシも雄の子を出産ししている。)八年連続出産のブラッザモンキー。四度目の人工哺育となったマサイキリン。おそらく日本の動物園で初めての繁殖と思われるカンガルーネズミ等、列挙にいとまがない程で、ベビーラッシュで何度、新聞やテレビをにぎわした事でしょう。しかし、同じ出産でも、残念な結果に終わったものもいくつかありました。老令にもかかわらず、十五回目の出産をしたトラのカズ、子育て記録を伸ばすかと思われたのですが、難産となり、結果子を殺してしまいました。途中まで元気に育っていながらカビの為に死んだフンボルトペンギンの雛。予期せぬ出来事だったとはいえ、流産したツチブタ。うまく育っていれば…。まあこれは次に期待することにしましょう。
後半のズッコケは、死亡が多かった事です。年の初めから目につくものをあげてみますと、二月のマサイキリンの綾子の急死。徳子の後釜にと思っていただけにかえすがえすも残念。小さい動物ですが、コロンビアツノガエルが十二年二ヶ月という長期飼育の末に死亡。(従来の記録は十年十ヶ月、ギネスブックにのせようかな!?)トッケイヤモリ(七年七ヶ月)、アンボイナホカケトカゲ(十二年二ヶ月)と、長期飼育の八虫類が相ついで死亡しました。いずれも立派な長期飼育記録です。
三月は、ハクビシン(十四年五ヶ月飼育)ぐらい。四、五、六、七、八月はほとんど死亡がなく、獣医の暇な月でした。
しかし、九月に入った頃から、そろそろ前半のツケがまわってきたようで、動物病院の解剖台がふさがる日が多くなってきました。ワニの闘争による死亡。弱い個体からどんどんやられていき、年末までに何と五頭も死んでしまったのです。
九月六日ワオキツネザル雌(肺水腫)。九月十四日ニホンツキノワグマ雌(大腸癌)、開園以来の友がまた一頭いなくなりました。九月十六日ハイイロキツネザル雌(糖尿病)と、やや中物の死が続き、十一月七日には、中国西安市からの親善使節のレッサーパンダ雄の安安が、老令により死亡。さらには十二月十三日に、中国蘭州市から来たヒゲワシ雄がカビ性の肺炎にて死亡するという、強力なダブルパンチもありました。
動物の死に、買った物、もらった物だからという区別はありませんが、やはりもらった物というのは反響も大きく、気になるものです。そして本年のしめくくりの死はオナガガモの雄、十七年も飼われていたフライングケージの片隅で、ひっそり死んでいました。
次に動物関係では、やはりキンクロライオンタマリンのブラジルへの移送があげられます。昭和五十九年一月に来静してから二年と九ヶ月あまり。すっかり静岡の気候にも馴れていたのに…。ワシントン条約違反だ!!ニセの許可証だ!やれ珍獣主義だと、マスコミにはさんざんたたかれ、すっかり現所有者である我々が悪人扱いされてしまいました。反論したいことは山程ありますが、そこはグッと我慢して、ブラジルのサンパウロで元気に、そしてふえてくれる事を祈るばかりです。しかし、心残りといえば、静岡でふやせなかった事ですが…。入れ替わりに入った世界最小のサル、ピグミーマーモセットを大事に飼育して、ふやしていきたいものです。
商工部への移管も十大ニュースの一つでしょう。今までの都市開発部より四月一日をもって商工部へ移され、もっと観光面での充実をするよう要請されてきました。静岡まつりや産業まつりへの積極的な参加等、外へでていってアピールする必要性が、以前よりずっとふえています。たしかに仕事がふえ、忙しくなるのですが、商工部に入った以上は、それなりに、務めをはたしながら、動物園の必要性、理想をつらぬいていく事が、今の時代にはより必要なことではないでしょうか。
そんな中で、動物園友の会有志によるボランティアグループの発足は、社会教育等の充実を計っていく為に大きな力となります。新しい企画のズーフレンドデーでは、たいへんお世話になり、大きな成功をおさめました。
最後に、プロジェクトチームを作って話し合った「日本平動物園将来構想」が一応まとまった事は、動物園の将来にとって非常に有意義であったと思われます。とにかく場当たり的だと批判された獣舎建設も、これでなくなり、将来にむかってきちんとしたレールが敷かれる事になります。この構想の内容については、機会をみて紹介しましょう。以上、激動といえば激動の一年と言えたでしょう。今年からまた初心にかえってよりよい動物園をめざし、皆で一歩一歩頑張って歩んでいきたいと思います。