でっきぶらし(News Paper)

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動物病院だより

 一九八九年、皆さんはどのようにおむかえになったでしょうか。
 さて、今回は昨年一年間をふりかえってみたいと思います。このところ開園以来の動物が、毎年少しずつ姿を消してゆきますが、昨年はより世代交代を感じさせた年だったように思います。
 まず、二月十一日ニホンツキノワグマの忠太(実はメス)が、卵巣腫瘍で死亡しています。彼女は来園時すでに成獣だったのですが、結局子宝には恵まれず、母親になることはできませんでした。
 二月十六日にはヒョウの♂が肺出血で死亡しています。彼は18頭の父親(実際に生育したのは6頭)のクロヒョウの父親でもありました。一昨年の冬に胃潰瘍になりかなり痩せてしまったのですが、その後徐々に体力を回復してきていました。しかし二月二十六日の朝、突然死亡してしまったのです。
 三月に入り、21日にベンガルトラのメス(名前:カズ)が、肺膿種、肺出血で死亡しています。彼女は37頭の子供を産み、ほとんど自分で育ててくれた模範的なおかあさんでした。
 その彼女が、三月七日放飼場でケイレンをおこし、堀に落ちてしまったのです。ケイレンは二十分ぐらいでおさまったのですが、自力で上がれない為麻酔して引きあげました。
 その後治療を行なっていたのですが、二十一日の朝、多量の喀血をし、死亡してしまいました。
 その他開園以来の動物ではないのですが、ハイイロキツネザル(ゴサク…実はメス)が、八月十八日に肝硬変で死亡しています。彼女は一九七三年二月に寄贈され、日本の動物園に初めてお目見えしたのです。何を食べるのか、どんな習性があるのかわからず、当時担当だった後藤飼育課員は大変苦労したそうです。
 その暗中模索の中、一九七四年四月二十五日、日本で初めての赤ちゃんが生まれました。それ以後三回繁殖し、計五頭生まれたのです。
 しかし、子供達も次々に死亡してしまい、一昨年の冬からはゴサク一頭になってしまいました。そして彼女も徐々に体力の衰えが見え始め、八月十八日に死亡してしまいました。
 このように書いていくと暗いことばかりだったように思われますが、昨年は繁殖もいろいろあり、特に人工哺育にあけくれたうに思います。
 まずは御存知ツチブタ。三月十日午後五時すぎ出産。ほとんど身体の表面に毛がはえておらず、子の身体が床に敷いた砂で傷だらけになってしまった為取りあげたのですが、どうやって哺育していこうか、不安で一杯でした。その翌日、コモンマーモセット出産。これも抱き方に不安があり、人工哺育へ。
 三月十二日グラントシマウマ、一頭出産。こちらは母親がよく子の面倒をみてくれました。流れが変わるかと思ったのですが、三月二十七日クロキツネザル(三日後に人工哺育)、四月に入り、十三日ピグミーマーモセット、十七日マサイキリン、三十日チンパンジー、いずれも人工哺育となってしまいました。キリン、チンパンジーは、各々獣舎で哺乳作業を行なっていましたが、その他は動物病院、まるでもう保育所そのものでした。
 五月に入り、カリフォルニアアシカ(エル)が出産しました。前回人工哺育にしたのでどうか心配でしたが、今回は落ちついたママさんぶりを発揮してくれました。そして二十六日にはアメリカバイソン、六月十七日ニホンカモシカが生まれました。
 昨年は、ハ虫類のおめでたもたくさんありました。六月十八日コロンビアレインボーボア、七月十一日フロリダキングスネーク、九月六日ヒイロニシキヘビ、九月十日アカダイシヨウ、十月四日フロリダキングスネークがふ化しています。特にヒイロニシキヘビは日本で初めてのふ化でした。
 鳥類では、六月二十七日タンチョウ、七月八日アンデスコンドル、九月十六日チリーフラミンゴがふ化しています。
 この他に昨年はワシントン条約違反ということで、いろいろな動物が保護収容されました。その中で何といってもオランウータンとアジルテナガザルがありました。四月十六日に保護され、ちょうど他の人工哺育と重なり、てんてこ舞いしたことが思い出されます。
 今年は、市制百周年、日本平動物園開園二十周年にあたります。それを記念してシロサイを展示することになっています。皆さん、今年もよろしくお願いいたします。
                                           (八木 智子)

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